摂食障害になった171cm75kg文系SEのダイエットニッキ -40ページ目

摂食障害になった171cm75kg文系SEのダイエットニッキ

75kg→55kgダイエット後、摂食障害となり78kgまでリバウンド。現在寛解中

2024年12月 第1子誕生
実家とトラブルで絶縁状態。
産後うつ&コロナ後遺症で83kg→現在60kg

ダイエットのこと、日常のことを書きます。



里帰り期間を振り返って思ったこと。


母は、認知症なんじゃないか?


自分たちが子供のころから(20年前くらいから)、少し頭がアレな部分があるなぁとは思っていました。


・話が支離滅裂
・決めつけや強迫観念が強い
・正しい日本語が使えていない
・人とコミュニケーションがうまく取れていない


本人は自覚してるのかどうか分かりませんが、実家の本棚に
小学校低学年の漢字ドリルや算数ドリルがあり、母親がやるために買ったようです(でもやってない)





で、私の主人や義両親も、今回の一連の里帰り中の話を聞いて
認知症かもよ?と話しており


地域のボランティアで知り合ったご近所さん(70代)とも電話したのですが
「それはもしかしたらボケてるのかも分からないね」と言われました。





また、弟は死期が近い人や、認知症の進んだ人をにおいで察知するという特殊能力を持っており(どこまで本当か分からないけど泣き笑い)

「父親は認知症的には大丈夫だが、母親はやばい気がする」と言っていました。




私の言うことは何も聞き入れてもらえないので、
弟のほうに一度受診を促してもらうようお願いしました。



もう実家のことはしばらく忘れたいのでこれ以上書きませんし、母に対してはちゃんと会話ができないのでどうしようもないですが

放っておいて困るのは父親や弟だと思うので
なるべく早くに一度受診してほしいと思いました。








前回記事の続きです。
だいぶ大変なことになってしまいました。






2025/01/02

コロナ陽性の両親(軽症だがめちゃくちゃ咳してる)

新生児がいること、産後の自分がいることを考慮して、
1/2までは最低でも隔離生活を送ろう、と両親と合意していたにも関わらず、
(本当は両親は咳がまだまだ出ていたので1週間は隔離したかったが多分言っても聞かない)

「もう隔離生活終わりにしたい。普通にリビングで過ごしたい。大画面でテレビ見たい。」

と言い出して

リビングに荷物を移動しようとし始める。




私はもう、かける言葉も気力もなくなってしまい
メンタルもだいぶガタガタで辛すぎて

主人に相談して、主人から私の父親に電話してもらう。




すると、横で聞いてた母が発狂。


「ウワアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!

タスケテタスケテ!!!!

お前のせいだ!!!!!


ウワアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!





私に襲い掛かろうとしてくる。

本当に殺されると思った。

赤ちゃんにも何されるか分からず本当に怖くなって

咄嗟に警察を呼んだ。



すると、母はさらにヒートアップ


「なんで警察なんか呼ぶんだ!!!バカ野郎!!!!!」

「ぜんぶお前のせいだからな!!!!」




私と母はそれぞれ分かれて事情聴取。

弟から後からきいたが、母は警察に対して

「私の主人から30分以上、捲し立てるようにせめられたので、電話を終わらせるために発狂したフリをした」
と説明したらしい。


↑これ全部ウソで、
電話はそもそも5分間くらいしかしていない、
発狂したフリではなく本当に発狂していた




世間体を気にする母なので、警察にすみやかに帰って欲しくて嘘をついた様子。



私は私で事情を説明。


母には警察から「厳重注意」を受けたらしいが、
警察と話し終えて戻ってくると

延々と私に対する暴言を聞こえるように話してくる。

アイツが警察なんて呼ぶから、

アイツを育ててやったのは私なのに、

アイツが悪いんだ


と延々と。

そしてふすまを殴ったり、モノを投げたりしている。


私はもうメンタルの限界で、赤ちゃんにとっても良くない環境となってしまったので


主人と、主人の両親と話して
ホテルに避難することに。



本当は自宅に帰りたかったのですが、高速使って3時間近くかかるので
新生児でまだ首もすわってないので、道路の揺れや長時間の車内は良くないということで
実家から少しだけ離れたホテルに行くことにしました。




私がタクシーに荷物を運び出している時も
母はふすまを殴ったり、モノを投げたりしていました。
また、実家の車につんであったチャイルドシートを外そうと鍵をあけても、


家の窓からスペアキーで親が施錠ボタンを連打して開けさせてくれないので
チャイルドシートは諦めて、とにかく自分と赤ちゃんを守らなきゃと思い実家から去りました。




義両親は急きょ飛行機を手配してくれ、その日のうちに同じホテルの隣の部屋に来てくれました。


私のメンタルと身体のがボロボロだったので、しばらく義両親が隣の部屋で子供を預かってくれることになりました。

義両親は、小学生の甥っ子くんがおり、沐浴やオムツ替えなどもかなり手慣れた様子で対応してくれてとても頼もしいです。



私は今はとにかく身体と心の回復に努めています。
とはいえ、実家での出来事がフラッシュバックして涙が止まらなくなってしまったり
思考がモヤがかかったような、あまり頭が回らないかんじがあり
寝ようとしても起きてしまったり

もともと双極性障害を持っているのでこのままでは産後うつになりかねない、もしくは片足突っ込んでるようなきがします。

義両親は完全に子供のことをあずかってくれて、感謝の気持ち半分、
年始から申し訳ない気持ち半分といったかんじです。



産院からは、助産師さんが定期的に「今大丈夫ですか?」「身体や心の調子はどうですか?」と連絡をいただいており、逐一状況を報告しています。


連休が終わったら、2週間健診があるので
そこで産後ケア施設などについてまた相談してみようと思います。



貴重な新生児期に、まともにお世話ができないこと、
抱っこしてあげられないこと、
たくさん話しかけてあげられないこと、


本当に悔しいです。



ホテルに着いたあと、母親よりは建設的に会話のできる父親に

・しばらく連絡をしないでほしい
・心がもう限界
・発狂されると自分のメンタルと赤ちゃんへの影響が心配
・チャイルドシートは後で取りに行かせてもらいます

と伝えると、
「こちらも色々と考えが甘かったです、ごめんなさい。落ち着いたら連絡ください。」
と謝罪のLINEが来ました


このラインを見て
父親とはなんとか話ができるかな?と思ったのですが


弟には、私が全て悪い的なニュアンスの愚痴を
両親が言っていたようです。




両親とはもう、必要最低限の付き合いにしたいと思います。



私は両親にとって、悪者でしかないようです。



私は両親にレールを敷かれて、勉強しなさい、この学校に行きなさい、と言われた通りにやってきて
逆にやりたいことに対しては否定されることが多く



弟は、自由に育てられ、やりたいこともやらせてもらえていました。



私は両親の操り人形のように育てられ、途中までは言いなりになっていたけれど
今回みたいに予想外の行動をとった途端、一気に悪者になってしまったようです。




そんなわたしはもう両親にはどうでもいい存在なのかもしれません。


でももういいです。


これからは子供のことを最優先で考えていくことが大事だと思うので
分かり合えない、思考がまるで違う両親とは距離を置く以外手立てはないです。



里帰りしてから、両親とはちょいちょい考え方や価値観のズレのようなものを感じたり

母親からは、こうするべき、ああするべきと色々言われてストレスになっていたり

前にも書いた通り、私が小学生のときから大学生のときまで毎日つけていた大切な日記帳(10冊近くあったかな?)を全部捨てられてしまったり


色々とストレスはたまるところはありましたが、里帰りすると最終的に判断したのは自分だし、

居候させてもらってる身なんだから、と我慢してきました。



ただ、主人も約5日間わたしの実家で過ごして、明らかに感覚がおかしいと言っていたし

私の弟も、同じようなことを言っていたので

両親の感覚がズレていると感じてるのは自分だけではないんだな、と分かって少し安心したというか

私が実家を去るという判断をしたことは間違ってなかったと思っています。



産後、色々ありすぎて
頭の処理が追いついておらず
食欲もなく母乳もほとんど出なくなってしまいました。


1/4現在の症状としては
・熱は下がった
・多少の咳、鼻水あり
・味覚障害
・においがわからない

と、まあコロナなんだろうなって感じです。


それ以前に産後の会陰切開の縫ったあとの痛みや、骨盤の歪みからくる歩く時の違和感、身体の痛みなど、産後の諸症状自体いろいろあるにはあるんですが

もう色々とありすぎて、なにがなんだか…



義両親、主人がいなかったら
わたしは今頃どうなっていたんだろうと思うとおそろしいです。





12/25

母子ともに退院許可が降り、実家に戻りました。


ただ、父親の様子がおかしい。
なぜかトローチをこまめになめている。


気になったので聞いてみると、
「なんか喉の調子が悪くて」

とのこと。



まさかコロナとかインフルじゃ…!?と思い
検査してきてもらったら



父親、コロナ感染。

(私と子供の退院と同時に感染って、すごいタイミングだなぁ)



最低五日間は隔離となりました。



ただ、わたしの実家は古い団地で
じゅうぶんな隔離ができません。


どうしても、トイレや洗面所、リビングなどの共用部の行き来があります。



なので、ホテル隔離してほしかったのですが
両親の意向で、自宅隔離となりました。
(このとき、無理にでもホテル行って貰えばよかった)

父親は、「ホテル探したけどなかった」と言ってましたが、
私も同じタイミングでホテルないか検索したところ全然たくさんあったのでおそらく調べもしてないと思います




一応、リビング隣の寝室を隔離部屋として使用することになり
そこで寝ていたのですが、ふすまは開きっぱなし、リビングにたまに出てきてテレビを見たりしており、咳もしていて


全くと言っていいほど、隔離になっていませんでした。


新生児と、産後で免疫の弱っている人間がいるのに、、、
感染症に対する意識が低すぎる。





12/26

母も咳をし出しました。

母に「コロナなんじゃないかな?私と子供はまだ抵抗力弱いから検査してくれないかな?」
と頼むも、



母は、
「私はコロナじゃない!!!!大丈夫だから!!!!」

と完全否定され、何度お願いしても検査してくれず、
ゴホゴホ咳しながら私たちのいる子供部屋に入ってきたり、ご飯を作ったりと
普段通りの生活をしていました。



12/28
ついに私も喉が痛くなり始めました。
産後は家から出ていないので、父か母からコロナをもらうほか、感染源がありません。

母に懇願して、コロナの検査を2人で受けに行きました。

(年末の病院、めちゃくちゃ混んでて検査から結果聞くまで3時間以上かかりました)

結果、母親コロナ陽性。

私は陰性でした。
(とはいえ、即日結果のわかる抗原検査を受けたので精度はPCR検査より低く、おそらく私もコロナだと思う)


あんだけコロナ検査受けてほしい、
父親と同室で過ごしてたんだからコロナだと思うよって母には言っていたのに
かたくなに「コロナじゃない!!!」と否定され、普段通りの生活で咳しながら過ごされたことに腹が立ち

「だから、症状出た時点で検査してほしかったのに。。。」と母親に言うと

特に謝罪などもなし。



私がもし体調悪化して子供のお世話できなくなったらどうしよう、
新生児にコロナ移してしまったらどうしようと考えると
涙が止まらなくなりました。
助手席で泣いている私を母はガン無視で無言のまま帰宅。


その日のうちに、お産した病院に相談してみたり、産後ケア施設などを探したりしてみたものの、見つからず

仕方なく実家の子供部屋を隔離部屋として過ごすことにしました。



しかし、咳のみで比較的軽症の両親は
隔離期間は最低五日間と言われているのにもかかわらず
必要のない外出をしたり、ショッピングモールへ行ったり、
家ではふすまを閉めてほしいのにふすま全開で
リビングでテレビを見たりしており


まるでコロナ感染者という意識なし。
(こういう人がコロナばらまいてるんだろうな)



私はどんどん体調が悪化してきて、
動けなくなってしまい
赤ちゃんのお世話をできる人がいなくなってしまったので
急きょ、感染覚悟で主人に来てもらいました。



主人にまでコロナがうつったらもう終わりなので
両親に
「命を守るためにも、ふすまをしめてちゃんと隔離生活を送ってほしい」
とお願いし、
ご飯も両親と私たち、別々にすることにしました。


ただ、その日の夜は私たちのぶんまで出前をとってくれたと言うので受け取ると
なんとピザ🍕、、、、、。

ピザなんか、この辛い体調のなか食べられるかよっていう。。。



どこまでふざけてるんだ?

いや、真面目にアホなのか?





12/29

私のコロナ症状はどんどん悪化し、熱が39.4度に上昇。
かちわれるような頭痛、歩けない(立てない)、寒さ、倦怠感、呼吸が苦しい。

救急車を呼んだ方が良いのか?という位の苦しさだったので相談ダイヤルにかけるもつながらず。

カロナールを飲んでなんとかしのぐ。




それ以降の記憶あまりなし。
ただ、断片的に覚えていること👇

「年越し蕎麦は食べよう、毎年食べてるから縁起ものとしてやるべきだ」と死にそうな私に親が言ってきたこと

・両親は隔離期間なのに年末の買い出しと称して色んな店や施設に足を運んでいたこと

・結局、両親の隔離部屋である寝室のふすまは開いており、感染対策も適当だったこと

「リビングの大きなテレビで紅白を見たい」と、リビングで過ごしていたこと



これには主人も呆れ&怒ってました。




2025/01/01

私のコロナの症状はピークをこえ、多少動けるようになる。

主人が少し喉が痛くなってきたので、主人は帰宅。




続きます。

かなり遅くなりましたが
12/20 第一子産まれました



40週4日でした




12/18(水)

前回の記事を書いた日は、
誘発分娩で入院する1日前でした。

普通に過ごして、パソコンするかぁと意気込んだものの、
左骨盤の激痛再び。
横になってひたすら耐える。

でもこれって陣痛でも何でもないしなぁ…と思いつつ、30分くらい経ったらおさまった。

その後は前駆陣痛っぽい痛みがありながらも、お風呂入ったり夕飯食べたりして過ごし、
前駆陣痛の痛みの間隔が10分より短くなったので、痛みレベルは全然だけど
骨盤激痛もあったし、念のため病院に電話。

「心配なら念のため来てください」と言われ21時ごろ病院へ到着。


モニターつけると、定期的にお腹がはっていて
お医者さんも
「前駆陣痛じゃなくて陣痛ですね。もう入院しましょう」
となり
誘発分娩に関するもろもろの説明や、帝王切開の可能性、輸血の可能性などの同意書にサインをし、
そのまま入院。


入院時の内診では子宮口ガチガチ。
(↑もう何週間もこれ言われ続けてる)



ただ、陣痛はきてるということで
いきなり陣痛室へ。

点滴投与され、誰もいない部屋で心細かった泣き笑い
(このタイミングで、主人に部屋に一緒にいてもらって声かけとか手握ってもらえたら良かったのになぁ)





え???
陣痛なのこれ?って感じだったけど、だんだん痛みが増してきた。

途中、トイレに行ったんだけど
トイレ移動中に陣痛が来て動けなくなって、
トイレ中にも陣痛来て動けなくなって、
トイレ行くだけでも30分くらいかかってしまった。

ただ、その日は明け方陣痛間隔が少し空いてしまい終了。




12/19(木)




陣痛が遠のいたので陣痛室から大部屋へ移動。

内診では子宮口3cmとなり、状態もだいぶ良くなってきたということで
当初予定していたバルーンは、予想より子宮口が開いてきてるということで行わず。
ただ、子宮口の位置がが後ろすぎるとのこと。
この日もひたすら陣痛に耐える。


陣痛来たら深呼吸したり、立ち止まったりしながら、合間にスクワットや院内を歩いたりして陣痛を促す。
夜になってなかなかいかついかんじの陣痛になってきたので再び陣痛室へ。


夜通し陣痛と格闘。
助産師さんとかついててくれるのかなと思ったらまさかの陣痛室にひとり。
心細すぎ〜🤣
(大学病院は割とこういう感じらしいですね)

助産師さんに泣きついて
「すみません1人で陣痛耐えるのしんどいです、ここにいてください」
と懇願するも、最初の五分間くらい一緒にいてくれて、しれっと去っていった泣き笑い泣き笑い泣き笑い

どんどん痛みが強くなって耐えるのがしんどくて自分の髪引っ張ったり腕つねったりして耐える。


さすがにずっと寝れてなくて体力なくなってきて、明け方は陣痛の間に寝てしまい、陣痛が少し遠のいてしまった。

子宮口も3cmのまま。




12/20(金)

6:00
子宮口6cmまで開く。
お医者さんから、
「これを逃したら体力的に母体が危なくなり帝王切開になるので、促進剤で今日中に産みましょう」
と言われ、促進剤投与開始。


10:00
そっからは急激に陣痛が強くなり、陣痛のたびにジェットコースターで落ちてる時のような叫び声があがってしまう。
もはや過強陣痛なんじゃないの!?!?ってくらい、一気に痛みのレベルが加速。


助産師さんに「叫ぶんじゃなくて、呼吸だよ!!」と言われても苦しすぎて叫びが止まらない。

いきみたい感覚も出てきて、ついいきんでしまうが、助産師さんがテニスボール?で抑えてきて「まだだよ!我慢して!」と。


いや我慢できないってぇ、と思いつつ
この世の終わりのような陣痛に耐える。

この間、一度だけ耐えかねてナースコールを押した。とにかく痛い、やばい、と。





12/20 12:00

やっと子宮口全開大になり、陣痛室から分娩室へ移動。

この移動がしんどすぎた。
点滴につかまりながらなんとか移動するも、途中で陣痛来て廊下で
「ウワアアアアアア」と雄叫びをあげてうずくまってしまいながら
なんとか分娩室到着。


分娩台に上がるも、倒れ込むような形でなんとか上がったので向きがおかしいままで


助産師さんたちに笑われながら
「⚪︎⚪︎さん、そんなに斜めってたら赤ちゃん取り出せないから頑張って動こう!」
位置を調整される。

(今考えればガタイの良い私がわけわかんない方向に、まるで冷凍された巨大マグロのように横たわってしまってすみませんでしたって気持ち。)



13:30

痛みがMAX

もう、どうにもこうにもいきみを回避できずふんばってしまう。

(よく、💩が出るような感覚と言いますが本当そうだった)

助産師さんからも、もういきんでいいよと言われ
陣痛のたびにいきむも、なかなか赤ちゃん出てこれず。

その状態で医師の内診。
(これしんどすぎた)

「子宮口は開いてきてるんだけど、なんでだろう?なかなか赤ちゃん出づらい様子だね。最悪お腹切るのも考慮しないとだね」
と言われる。


助産師さんの内診でも、医師の内診でも、
5、6人たぶん見てもらったんだけど全員に

「あれ???なかなか赤ちゃんの頭に触らないな?」

みたいなことを言われた



(あとあと聞いたところ、下半身に筋肉がありすぎて、子宮のほうも筋肉でガチガチになってて帝王切開にするかどうかギリギリのお産だったらしい。たまにアスリートとか、鍛えてる人でこういうケースがあるとのこと。
私は妊娠前、ジムで筋トレを日課にしていたこと、もともとずっと運動部で筋肉質だった)



そのまま1時間ちょい、もう声が枯れるまで叫び倒して
いきんでるのに赤ちゃん全然出てこれないという状態が続く。




13:55

主人が分娩室に到着。

何度かいきむも、赤ちゃんが出てこれない。

赤ちゃんのほうのモニターから、心拍低下?のアラートが鳴り始める。

医師「赤ちゃんが危なくなってきているので、頑張っていきんで出しましょう。
吸引分娩という形をとります。ご了承ください」

と言われ、私はもう答える気力もなく
なんとかうなずく。

私は酸素マスクを装着される

思い描いていた立ち会い分娩は、陣痛来たら背中さすってもらうとか、合間に飲み物飲ませてもらうとか、手を握ってもらうとかだったけど

もうそういうフェーズではなく

主人は私の後ろに立って「呼吸意識して!もう少しだよ」などと声かけしてくれた。



14:02 
吸引分娩にて出産。
出産の瞬間は、もう痛いとかそういうのはなかった。よく「鼻からスイカ」とか言うけど全然そんなんじゃなかった。

お産でいちばん苦しいのは陣痛だった。


産む前は「静かなお産」を描いていたけど、それとはかけはなれたお産となってしまった。
ただ、最後いきむときだけは声を出さず、サンシャイン池崎のごとく目を見開いて赤ちゃんを出すことに力を全力投入できたと思う。



すぐに泣き声が聞こえて安心するも、私の身体はもう全然動かず、
廊下のほうから赤ちゃんの泣き声と、主人が「良かったねぇ〜かわいいねぇ〜」とスマホで写真撮ってくれてる声だけ聞こえてきてた。


会陰切開&会陰裂傷が酷く、縫うのにかなり時間かかった。
30分以上分娩台で縫われてたんじゃないかな???


途中で少しだけ赤ちゃん見せてもらった。
カンガルーケアとか、抱っことか全然できる状況じゃなかったので、分娩台で縫われてるなか
赤ちゃんを横付けしてもらって少し一緒に過ごした。


健診で言われていた推定体重よりも300g重く、
予定日超過していたせいか、よくいう「ガッツ石松」「シワシワのおじいちゃん」みたいな風貌ではなく、
新生児にしてはかなりしっかりしてるなという印象。
助産師さんにも「産まれたてにしてはかなり目鼻立ちハッキリしてて整ってるねー」と言われた(皆に言ってるかもだけどw)



また、出血量が多く、平均500mlくらいのところ
私は1リットル以上出血したため、貧血で倒れる可能性を考慮してその日は尿道にカテーテルを入れ、ベッドで安静となった。

車椅子で陣痛室に移動し、主人、母親、赤ちゃんと対面。
30分くらい写真撮ったり話したりして、私は大部屋のベッドへ移動。

その日は産後ハイになることなく、意外とちゃんと眠れた。
ただ、会陰を縫ってもらったところが痛くて痛くて、
その後もただベッドに横になってるだけでも縫ったところが痛く、最初のトイレは本当におそるおそるでした。(しかも出なかった、その後もしばらく尿意もどらず)
咳したり鼻かんだりするのも会陰の傷に響く。





ちなみに、いわゆる「バースプラン」は妊婦健診時に聞かれたので

・胎盤が見たい
・なるべく助産師さんに側にいてほしい

と言いましたが、どちらも叶わずでしたw


↑こういうのは多分個人病院のほうがしっかり聞いてくれるんだと思います笑い泣き

私の場合は精神疾患持ちのハイリスク妊婦だったので大学病院しか選択肢がなく。。

ただ、大学病院は「母子ともどもイレギュラーなことがあっても対応してもらいやすい」という安心感はありました。

産後のお祝膳などは一切なく、病院食はだいぶ薄味で正直美味しくはなかったです泣き笑い



今回初めて出産してみて、
次回もし産むことがあるなら、無痛分娩が良いなと強く思いました…
あの痛みは二度と経験したくない…

それと、こんなに大きな赤ちゃんが自分のお腹のなかにいたのか、と驚きでした。

出産直後の体重は83kg→78kgと5kgしか減っていなかったw
そんなもんなのかな??


いやぁとにかく壮絶でした。













昨日は骨盤の激痛で死にそうになり
夜は下腹部の痛みで細切れにしか眠れず

朝からだいぶ疲れてますが、出産前実家で過ごす最後の日ということで
入院セットの再確認、軽いウォーキングをして
クリスマスは家で過ごせないと思うので
昼下がりにケーキにっこり飛び出すハート




そして、今までおりものや出血などなーーーんにも兆候がなかったのが
本日やっとおしるし?らしき出血が。

個人的に「おしるし」っていう響きがなんか気持ち悪くて言いたくないんですが明らかにそれだった。。


おしるしが来てすぐ陣痛になる人もいれば、そこから2、3日かかる人もいるようです。
自分は今のところ生理2日目のような痛みがずっとあり、陣痛ではないとは思うのですが
なかなかにしんどい痛みが続いてます。

普段は薬飲めるからいいけど、今は飲めないのが辛いです。


とはいえ、明日入院なので
明らかに陣痛だ!とならない限りは家で過ごしたい。


ずーっとお腹痛くて、でも実家でやることないので
副業のブログでも書こうと思います。