早朝、母親から何度も電話がありました。
しかし私は昨日寝るのが遅く、気づきませんでした。
起きてから電話すると、
「おばあちゃん亡くなりました」とのこと。
昨日の時点で、お医者さんから「ずっと寝ているのは昏睡状態になっています。
亡くなるのは今日明日ってことではないです。」
と母には連絡があったそうです。
しかし、翌日(本日)の早朝に亡くなったようです。
約1週間前に会って、おばあちゃんが起きているときに目を合わせて、手も握って触れ合えて
行っておいて本当に良かったと思っています。
あのあとは、母曰くほとんど眠っている日が続いていたようです。
おじいちゃんが亡くなったときみたいに、バイタルモニターの波形を見ながら
親戚一同がおじいちゃんに声をかけながら亡くなっていたのではなく
おそらく施設の方が朝見回りに行った時におばあちゃんが亡くなったことに気づいたのだと思います。
全然実感はありません。
お葬式は、私は妊娠中ということで両親に無理に来なくて良いと言われたので
四十九日に行こうと思います。
子供のころ、おばあちゃんは「何がたべたい?」と私に電話越しに聞いてきて、
私は「ツナマヨのサンドイッチとー、お肉とー、アイスとー、…」
と好きなものを何も考えずに答えたのですが
おばあちゃんの家に遊びに行ったとき、昼食にそれらが全て出てきてとても喜んだのを覚えています。
近くの山では山菜採りや栗の収穫をしたり
おばあちゃんは書道の先生だったので書道を習ったり
お茶会とか国際交流に連れて行ってもらったり
社会人になってからも、
仕事終わってから歩いて帰りながら、おばあちゃんと電話したりしてました。
おばあちゃんは「⚪︎⚪︎ちゃんが歩いてるヒールの音が聞こえてきて、おばあちゃんも東京にいるような気分だよ」と喜んでくれて
ついつい長話することもありました。
文通もしていました。
おばあちゃんは家の庭で色んな野菜を作っていたので、今何を育てているか、どんな野菜が採れたかなどを教えてくれました。
おばあちゃんは乳がんと肺がんの経験がありますが、
その後も元気に畑仕事をして、自転車で買い物に行き、
とても社交的で元気なおばあちゃんでした。
私が20代半ばくらいのころ、「⚪︎⚪︎ちゃんは好きな人いないの?」とやんわり聞かれたことはありましたが
早く結婚しなさい、とかは特に言われず
20代後半で結婚した時は喜んでくれました。
主人の名前も呼んでくれて、おばあちゃん家でお寿司を食べました。
おじいちゃんが亡くなってからは、きっとすごく寂しく、孤独なときもあったと思います。
いつもケンカしてましたが、なんだかんだそれがハリになっていたんだろうな。
最後、まさか認知症になってしまうとは思いませんでした。
コロナでなかなか会いに行けず、そこは心残りです。
でも、母が施設に面会に行くたびに「⚪︎⚪︎ちゃんは元気?」と、私や弟のことを気にかけてくれていたようです。
おばあちゃん
93年間、お疲れ様でした。