ここ1年で一番観たかった映画を観た。先週金曜日の深夜。本当は劇場で観たかったんだけど、コロナで中々ね。しかも単館上映の映画だったので、キャパ小さくて感染リスクもあって。待ちに待ったU-NEXTでの有料配信開始は25日だった。スケジュール帳に配信日をわざわざ記入しておいた。もちろん彼らのアルバムは全部聴いてきたし、関連書籍も読んだ。

 

結論、面白かった。うん、面白かった、ハンドの記録としては。未公開映像満載だったし。3時間超えの長いPVとしては面白かった。でも、映画のテーマにして欲しかったものに対しては不完全燃焼だった。そこにはもっと切り込めたはずだ。その核心に、彼の本質に、彼の最後に。彼の名は佐藤伸治。映画「フィッシュマンズ」はバンド結成30周年を記念し、膨大な記録映像を再編集した大作だ。デビューから活動休止までの3時間を一気に観終わって、まず最初に思ったのは意外なことだった。佐藤伸治の周りの人達、フィッシュマンズのメンバー達はとてもまとも(誠実で真面目)だということ。僕はどっかでフィッシュマンズというバンド自体がちょっとズレた存在なんだろうと思っていたが、そこは裏切られた。明治学院大学の音楽サークル出身の彼らは本当に普通の人ばかり、そういう意味でフロントマンの佐藤伸治以外はまともだったのだ。 なるほど、そうなるとこのバンドの沿革に刻まれた相次ぐメンバーの脱退、関係者の離脱の歴史の一つの答えになる。最初は5人いたオリジナルメンバーは佐藤の死の直前には現在スカパラのドラマーである茂木欣一と二人だけになっている。映画の中では脱退したメンバーのインタビューが随所に収録されていたが、自らの脱退の真相について本当のことを語っているメンバーは一人もいなかった。それは死者に対する配慮なのか、彼の死の真相は今でもタブーなのかそれは分からないが、そこにも彼らのまともさが表れていたように思う。そして皮肉にも自ら語らなかったけれど、彼らが普通の人達だったことが分かると、かえってその脱退理由を話さずも明瞭に物語っていると感じた。要はまともな神経ではついていけなかった、ついていけなくなったのだ。それぐらいに佐藤伸治はヤバかった。エキセントリックで、音楽に厳しく、得体のしれない激しさを持つモンスターだった。フィッシュマンズの危うさ、レゲエやロックステディという太陽の下の音楽がベースにあっても、常に漂う厭世的な、世捨て人的な、いわば死の匂いのする彼らの音楽。それは佐藤の世界そのものであるが、普通な感覚の彼らまで呑み込まれて向こう岸へ連れていかれるような魔術を感じ、そこから「逃げるしかなかった」のだろう。川の水と海水の交わる異形の地点、たくさんの魚が巣食うが如きフィッシュマンズの作品群は危険だった。そして目が覚める程に本物だった。結局、評価されるのに30年という時を要したのは何かの意味がある。

 

佐藤伸治とドラッグの関係はネットを引けばすぐ出て来る。飛び降り自殺という説が有力だが、ベースの柏原譲から「佐藤は躁鬱だった。アップダウンが激しすぎてついてけなかった。」と語られている。また最後のメンバー茂木欣一から「男達の別れ」という死の直前の最後のライブ以降、全く佐藤に会えなくなってしまって、何かある、絶対にまずい!と思っていた当時の状況と嫌な予感についても語られている。結果、佐藤の自殺は躁鬱と薬物のオーバードーズによるバッドトリップだろうと思う。もし巨匠、原一男監督に撮らせていたら、切り口は何故、佐藤伸治は薬漬けになったか?にフォーカスされただろうが、映画の中ではここに一切の光を当てていない。佐藤の遺した音楽、彼の最後の幕の引き方で僕らはもう十分に分かっているが、この映画が完成したと聞いた瞬間、当時周りにいたメンバー達によって、こっち側から見たあっち側の世界(あっち側の佐藤伸治)が語られている、重い腰を上げて語ったからわざわざ映画にしたのだろう、と勝手にドキュメンタリー作品だと思い込んでいた。そんな僕の期待は裏切られた形になった。佐藤伸治という存在は、今尚、甚大な影響力がある。未だに映画の中ですらちゃんと描けないぐらいの存在、未だに総括できない存在、彼の呪縛は続いているのだ。それから僕の中でサプライズがあったとすれば、映画にお母さんが出演していることだ。身内は未だに佐藤の噂を完全否定しているといった報道があって、彼女は堂々と生前の息子について、幼い頃の写真まで出して饒舌に語っているところを見ると、身内に配慮した構成になったのかもしれない。

 

事実関係だけ書けば、1999年3月15日、佐藤伸治は33歳で死んだ。それ以上でも以下でもない。彼の死後、バンドは活動休止になった。当時、大して売れていないバンドのフロントマンの死は大きなニュースにすらならなかった。しかし活動休止から20年が経った頃、彼らの音楽は海を超えて、急に高評価を受け始める。(この詳細はこれを読んで欲しい)時代が追いついた、とは陳腐な表現だけど、まさに今の時代に最もマッチしている日本のバンドと言えるだろう。佐藤伸治の音楽が今頃になって世界を席巻し始めたという事実を考えるに、生前2枚しか売れなかったゴッホの絵のような現象だと思った。それは爽快なことだし、嬉しいことだが、何故かそんなことも超越してしまう佐藤不在の虚無感、その存在の不思議さ、割り切れなさ、随所に歌詞に現れる謎に包まれた心情風景等が想いとなって消えない。それがフィッシュマンズの魅力の根源であり、神秘性であると考えると、佐藤は自らの死によって作品を完成させ、作品に命を吹き込み、その死によって永遠に生き続けるような魔法をかけたのだ。茂木がインタビューの中で「サトちゃんの歌詞については今なら色々聞きたいし、聞けるとも思うけど、当時はそこに触れてはいけないような感じがしていて...何も聞かなかった」と語っていた。クスリの影響を感じさせる内容も多かった佐藤の歌詞。茂木の言葉は当時の様子を的確に伝えていると感じた。またレコーディングエンジニアの方が「佐藤さんがあれもこれも音を入れたい、音をかぶせたいという欲求が止まらなくなっちゃって、同時に100個以上のトラックを作ってしまい収集が取れず、どうしていいか途方に暮れた」と言っていた。これも象徴的なエピソードだと思った。

 

とにかく、百聞は一見(一聞?)に如かず、である。フィッシュマンズをまだお聴きになっていない方がもしいたら、それは人生の大損出なので是非、聴いて欲しい。例えば立川談志の落語のようなものだ。(元ブルーハーツ、ハイロウズ、クロマニオンズの甲本ヒロトが談志の落語をそう言っていた)

 

最後に、佐藤伸治のこんな歌詞を紹介したい。

 

よく日の当たるこの部屋では 

音楽はマジックを呼ぶ

地上7m この部屋では太陽は人を変えるよ

 

HEY MUSIC COM'ON ROCKERS

僕にMELODY 暗いメロディー ずっと

 

窓からカッと飛び込んだ光で 頭がカチっと鳴って

20年前に見てたような 何もない世界が見えた

すぐに終わる幸せさ すぐに終わる喜びさ

なんでこんなに悲しいんだろう

 

(「Melody」1994年)

 

90年代の日本はアメリカに次いでGDP世界2位、バブル崩壊はあったが、まだまだ大成功した豊かな国、日本の将来を悲観的に捉える人はいない、誰も疑いを持たなかった時代。彼には「20年前に見てたような何もない世界」が見えていた。「すぐに終わる幸せ」であり、「すぐに終わる喜び」なのだと彼は忠告していた。そして「なんでこんなに悲しいんだろう」と、こんなに豊かなのに、こんなに幸せそうなのに、そう結んでいた。

 

あと2時間だけ夢を見させて 

ホコリと光の凄いご馳走

揺れるテンポの中で 

見たこともない顔を見せる

君は今も今のままだね

 

何かの予言書のようにすら感じる。歌詞の一つ一つがダブル、トリプルミーニングになっている。ホコリ=誇りとも聞ける。2時間(これは実質の2時間という意味ではおそらくない。もしくはラブホテルの休憩タイムとも取れる、いわば白日夢のことだろう)という限られた虚構の世界が見え隠れする。揺れるテンポもラブホにかかる隠語だろうが、見たこともない顔とは終焉に向けた終わりの始まりを意味するのかもしれない。映画の中で、佐藤伸治は最初に歌詞を書き、その後に音をつけていくという珍しいタイプのソングライターだったという事実が明らかになっている。出演していたUAは「もうやられそうだよ♪なんだかやられそうだよ♪もう溶けそうだよ♪(「すばらしくてNICE CHOCE」1996年)って歌詞を先に書いて、そっから音をつけるってちょっとヤバくないですか?....」と言っていたのが印象的だ。確かにめちゃくちゃ変だし、怖いよね、そこ。映画の中で佐藤の直筆の歌詞ノートが何度も映ったが、一言一句、実際の音源と同じだった。完璧に完成させた言葉が先に降りていて、その歌詞に対してまた完璧な音が後乗りしていく。未だ聴く度に新しい発見があるフィッシュマンズの音楽。佐藤伸治の音楽は終わりがなく、今後も何度も僕のブログで登場する存在だ。

 

今回はこの辺で。映画、観て下さい。

いつも読んで頂いてありがとう!

 

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映画:フィッシュマンズ


 

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