今、日本に凄いバンドがいる。だが、そのバンドはもう20年も新譜を出していない。海外の大手音楽評価サイトで驚く程の高評価、ブラックサバスとヒップホップの新王者、ケンドリック・ラマーに挟まれて堂々の18位(※2021年9月時点、2022年6月では44位)、11位にビートルズのリボルバー、21位にビーチボーイズのペットサウンズ、36位にボブディランの追憶のハイウェイ61が位置している。え?ビーチボーイズの名盤より上?ビートルズやディランより上?世界のサカモトの間違いじゃない?ちなみに日本人でその次にラインクインしているのも41位のこのバンドの別のアルバムだ。そんなバンド、日本にいない!と誰でも思うよね。

 

18位に入っているアルバムのタイトルは「男達の別れ」バンド名はフィッシュマンズ!現在、海外で大ブレイクしている。もう再評価なんて甘っちょろいレベルじゃない。

 

https://rateyourmusic.com/charts/top/album/all-time/

(参考:Custom chart: top albums of all-time)

 

なぜ今、フィッシュマンズなの?大いなる興味を持った。以降はまとまらない話になるだろうが、僕なりに書いてみたいと思った。

 

↓これはヤバいアルバムです。

 

↓完全にラリってる?涙が出てきます。

 寂しかったのかなぁ?

 

 

 

 

1999年3月、ボーカルの佐藤伸治が急死した。このバンドの真の凄さは実はそこから始まっているのかもしれない。フロントマンを亡くし、活動休止状態になったフィッシュマンズ。ここまではフジファブリックと同じだ。では僕が今まで佐藤伸治の音楽を聴いてこなかった勝手な理由を白状する。確かに「いかれたBaby」ぐらいはiPadに入れていた。でも正直、忌野清志郎のモノ真似(ホフディランと一緒だし、実際にフィッシュマンズは清志郎率いるRCサクセションと同じ事務所だった)ぐらいにしか思っていなかった。また日本の音楽シーンは仕方ないことだが洋楽の焼き直しだ。例えば以前もこのブログで書いたけど、全盛期のハイスタを僕は聴いていない。海外パンクのパクリバンドと思っていたからだ。それなら本場のパンクを聴くよ、という感じ。これが僕の固定観念だった。フィッシュマンズもレゲエ?スカ?ダブ?意味わからんな、と。

 

それから例の噂。佐藤君のドラッグのこと。勝手な僕の記憶だけど、当時、フィッシュマンズはそんなこんなで少しキワモノ扱いされていた?というか、気持ち悪がられていたようなイメージがあった。ドラッグ問題で言えば、ずっと後だけど尾崎だって捕まったし、どんとの急死も多分、同じ理由だろう。しかしフィッシュマンズの音楽はまず大前提が洋楽と清志郎のパクリ、あの気持ち悪い猫の鳴き声のような裏声(今はもちろんそう思っていない!)、更にドラッグの影響が曲全体で剝き出しになっている気がした。裏声とドラッグを彷彿させる歌詞、繰り返される重いDUB、ロックスタディ的なアプローチにオリジナリティはなく、真似事だらけだと当時の僕は感じていた。まあ、一言で言えば、軟派なただのジャンキー音楽、そんな風に切り捨てていた気がする。本物のジャンキーなら海外にもっと気合いの入った連中がいっぱいいる。シドビシャスの方が断然リアル!これが僕の失われた20年の率直な気持ちだった。

 

音楽は聴いてきた方だと自負してはいるが、エアポケットみたいにポッカリ抜けてしまっているアーティストには、こんな僕の勝手な思い込みが多分に入っていたりする。ちなみに今調べたら、フィッシュマンズとハイスタの活動時期はほぼ同時期で、へーっと思った。YMOは活発に海外で活動していたのが70年後半から1983年頃までなので、彼らの音楽以前の活動だ。音楽年表は興味深い事実を浮き彫りにする。

 

まあ、色々書いたが、結果的には、ここ数ヶ月、僕は佐藤伸治の音楽を遅ればせながら追体験し、まさにどハマりしていた。頭の中で24時間、いつもフィッシュマンズの音楽が鳴りやまなかった。「何だかやられそうだよ♪」って感じで、今もLONG SEASONを流しっぱなしにしてこれを書いている。

 

佐藤君は僕の3つ上のほぼ同年代。中高時代、どんな音楽をどれぐらい聴き込んできたかで生涯の音楽偏差値が決まると言っても過言ではない。僕らの中学時代はちょうど1980年代、ロックもパンクもニューウェイブもヒップホップも、日本では歌謡曲も演歌も流行っていて、カオスだった。一つだけ言えるのは、音楽は今よりもっと僕らの生活の身近にあり、深く溶け込んでいたということだ。

 

佐藤伸治は1999年3月、突然、死んでしまった。17位に入ったフィッシュマンズ最後のアルバムは死の3ヶ月前、1989年12月28日、赤坂BLITZでのライブ音源だ。そしてこのアルバムが海外で大ブレイクしているという事実だけが今、ある。彼らの代表作のいわゆる世田谷三部作ではなく、このライブアルバムが支持されているのには理由があるはずだ。すぐに思いつくのは、死の直前のアルバムはやはりセンセーショナルだってこと。このライブにはきっと何らかのダイイングメッセージが表現されているはず!?というのは万国共通の好奇心だろう。確かに聴き込んでみると、そう感じなくもない部分が多数ある。レビューにはひたすら佐藤君、ラリってる的なコメントが並ぶ。でもこのアルバムは佐藤君の独自世界が爆発しており、壮大な宗教音楽のようにも、マントラのようにも聴こえてくる。無秩序で圧倒的な音の洪水が怖いぐらいに凝縮されている。うん、なんだか怖いのだ、このアルバムは。

 

こんな文章を想いついた。人は結局、死を捉えたいが捉えきれず、悩み苦しんで生きているものだ。出家したり、引きこもったり、忘れる為に変なことに夢中になったり、詩を書いて歌ったり、山籠もりしたり、滝に打たれたり、危ない薬を飲んだりする。死を受け入れた連中は放蕩の限りを尽くし、刹那的な人生を送る。そして芸術家はいつも民衆の奴隷だということ。いつの時代にも天才が生まれ落ち、その内面から凄いものを作り出してしまうが、民衆はそれを見逃さない。例えばゴッホ。生涯2枚しか売れなかった彼の絵は死後、天文学的な価値を生んだが、ゴッホが生きているうちに評価されないのもまた運命の(民衆の)仕業である。耳を切り落とし、精神を病んでも彼は描くことを止められなかった。それはもしかしたら現生ではなく、もっとずっと後になってからの世界、もっと後の時代の民衆に描かされていたのかもしれない。今、描いている自分の絵の本質が逃げることを許さないのだ。現生に生きていない未来の民衆が塊となって天才にのしかかる。もっともっと作れ!描け!絞り出せ!もがいて、頭おかしくなって凄いのを産み落とせ!とプレッシャーをかけ続ける。1枚も売れないにの描くのを止められないということこそが芸術の本質であって、まさに麻薬みたいなものなのだ。分かっちゃいるけどヤメラレナイのだ。

 

才能を持った者は、死ぬまで吸い取られていく。尾崎もどんとも佐藤君も、どこかのタイミングで死ぬのを分かっていたはず。このままこの生活を続けていたら肉体としては必ず滅びると。でも「そっと運命に出会い、運命に笑う♪」しかないのだ。それが「素晴らしくNICE CHOICEな瞬間」として音楽の(ドラッグの)魔力の前にただただ圧倒されて、佐藤君は歌い続けた。志村君なら「運命みたいな便利なものでぼんやりさせて♪」と表現した。

 

↓究極のドラックミュージック!

 NICEチョイスな瞬間

 

↓早逝の天才、志村雅彦のあのフレーズ

  運命なんて便利なものでぼんやりさせて

 

 

天使は悪魔である。良い芸術を作り出すという圧倒的な天啓の前に、個人の意思は関係ない。これは太古から共通した芸術家の末路である。それにエントリーされること自体が凄いことなのだけど。民衆は吸い尽くしたら次のターゲットを目指す。民衆は常に安全なエリアにいて催促する。よく早逝のミュージシャンが今もし生きていたらどんな曲を書く?どんなメッセージを打ち出す?なんて言う人がいるけど、そんなことは成り立たない。なぜなら佐藤君はあれだけのペースでドラッグをしないと、あれだけ凄い曲が書けなかったかもしれない訳だし、逆にあれだけのドラッグをして廃人に向かったから遺せた産物なのかもしれないのだ、皮肉だけど。このペースで30年後に生きていられる訳がない。例え生きれたとしても廃人だ。数多のジャズマンも、ホイットニーも、ワインハウスも、キースヘリングもバスキアも、みんな覚悟を決めた勇気ある天才だった。音楽や小説やアートと殉死する覚悟のある人達だった。目で見えないもう一つの別の世界、耳で聴こえない次元の違う別世界を必死に描こうとした。どんな手段を使おうと、圧倒的に感じるこの何かをキャンパスに、五線譜に叩きつけた。それが後に芸術と呼ばれているだけだ。例え勇気のない民衆が束になってかかってこようと、彼らは一人で、たった一人で立ち向かったのだ。耳のない男はあの麦畑で一人で。

 

あの夏のことは今でも鮮明に覚えている。別に大きなイベントがあった訳でも何でもないけど。時間というのは不確かで、本当に1秒づつ今この瞬間も過ぎ去っているのか、または時間は積層されているだけで、無数の時間が同時に進行しているのか、誰も本当のことは分からない。僕はまだあの世界を生きている気がする、まるでパラレルワールのように。それぐらい色鮮やかな夏の原色の記憶がある。数々のカラーは何の色もついていない塗り絵のような記憶を一瞬にして染め上げる。例えばジリジリと照り付ける太陽の影を、例えば陽炎ができたアスファルトの路面の下水道の匂いを、女の子達の真っ赤なスカートと駅前のクレープの匂いが溶け合った、スポーツクラブのプールの塩素と水しぶきの、描きたいのはそんな夏の総色だ。

 

不良っていうのは、こういう人達のことをいう。今でも僕の基準になっている人達と出会ったあの夏。国立大の医学部に通う兄ちゃんがやっている個人塾でアザブのオオイワ君と知り合った。彼はこの年齢にして既にちょっと現生からドロップしたような子だった。でもオオイワ君達の周りの子達も異常に頭が良く、ゲリラのリーダーのような、何をしでかすか分からない怖さがあって、僕のような凡庸な地方の高校生には越すことのできない、末恐ろしい分厚いカーテンの向こう側にいた。気後れというカーテン。僕はその向こう側へは結局行けなかった。

 

受験生だけど、身体を動かそうと誰かが提案して、気まぐれでスポーツクラブに入会し、みんなと仲良くなった。1989年とか1990年とかそんな時代だ。

会うとみんな優しかったけど、どこの誰だか一度も誰からも聞かれたことがなかった。そんなこと聞く前に既に見透かされていて、もう興味がないのだろう。みんな確信的な目をしていた。狙っているのはとてもとても高所で、それは小学生の頃からエリートで神童だったみんなが入ったアザブやカイセイやツッコマの連中が纏っている共通した空気感だ。もし今の僕の前に、当時の彼らがいきなりタイムスリップして現れたとしても、きっと同じように気後れするだろう。それぐらいに彼らはカッコよく、小生意気で、不良だった。

 

そこにいたツッコマのサトウ君もまた不思議な子だった。高校生のくせに見たこともないような外国製の大型バイクに乗っていた。家族が使用しているという別宅には、分厚い毛皮の絨毯が敷かれていて、いつ行っても誰もいなかった。みんなでいつもこの部屋に集まって、ロックを聴いた。この前のカイセイのパーティー、つまらなかったよね、金返せって感じ、とサトウ君が言う。箱ばかりデカくてさ、クロークにあり得ないぐらいの人が押し寄せて、あれでドミノ倒しになったら誰か死んでたよ。いつものボソボソした低い声のサトウ君。僕はいつも黙って下を向いて聞いていた。頷くことも、否定することも違う気がしていた。サトウ君がバイクを運転しながら、ピースコンやってるので乗ったらまずい、と聞いた。あいつ運転しながら5秒ぐらい白目を剥いてたぜ、オオイワ君が苦笑いした。僕はまたオオイワの家に何連泊も泊まり込む計画だった。僕が唯一、気を遣わないでいい人がオオイワ君だった。アザブの中でも浮いた存在だった彼は、御父上が開業したクリニックに夜、忍び込んでは鎮痛剤や風邪薬をくすねていた。お兄ちゃんの彼女があまりに不細工で、でも結婚すると言っているんだけど、あり得ないよね、と笑っていた。噂の彼女を一度見かけたが、確かに!という反応をしてしまった。

 

ピースコンとはオーディオの隙間を掃除する為に空気を圧縮した缶詰めのこと。商品名なのか、あだ名なのか、今でも分からない。頭の良い子達の学校で大流行していた。ゴキブリ用の殺虫剤のように空気の出るストローを喉の奥に押し当てて、ポンプを押すと、圧縮空気が喉に直接吹きかかって、数秒間、完全にトリップできる。アザブの連中や界隈の高校生がやっていたけど、やり過ぎると首のリンパが腫れて、かなりやばいらしい。ガクシューインの奴は死んだらしいという噂もあった。

 

 

(続く)

 

↓日本人ならこれを聴け!

 聴かずに死ねるか!ってアルバムです。

 

 

 

 

↓これが世田谷三部作!

 僕のお勧めは圧倒的に「空中キャンプ」!

 ビートルズに匹敵すると個人的には想う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フォローしてね…