
嫌いになるほどムカつくわけでもなく、
絶望を感じるほど悲しいわけでもない。
なのに、ずっと頭と心の中に居座り続ける。
「さっさと出ていってほしい」と考えれば考えるほど、
もやもやは大きくなっていく。
言葉は、「心のもやもやを整頓する道具」である。
上に書かれた6行とタイトルは、梅田悟司氏著作の「言葉にならない日記」という本から抜粋した文章だ。その本は、本の目的に関してこう述べる。
「もやもやと向き合い、言葉にしながら受け入れていく旅」にでかけましょう。あなたの中にある言葉にならない気持ちが、言葉になる体験をおたのしみください。」
本を読み終えて、自分の心の中のもやもやがすっきりしたかというとそんなことはない。自分の心の「もやもや」と著者の「もやもや」は、一致しているわけではない。
この本は、1タイトルに2ページという決められた文章量の中で、とても読みやすくかつポイントを絞ってエッセイを書いている。そしてぼくが読んで感じたのは、誰にもある日常の一コマを実にうまい比喩で表現していること。
たとえば、あるひとつのエッセイでは、子どものいない友人の投稿に関して、
「海外旅行に、おしゃれなカフェ巡り、休日の素敵なブランチ。「いいね」を押す指が、少し重たい」
との感想。いいねに”少し重たい”という感覚に共感してしまう。
そして、そのエッセイは、このように終わる。「スマホを置くと、リビングに散らばるおもちゃが目に入る。その隣で、子どもがすやすや眠っている。知らぬ間にほほえんでいる自分がいる。やれやれと思いながらも、散乱した幸せの欠片を拾い集め、所定の位置に戻すのである。」
”散乱した幸せの欠片”という表現にしびれる。ぼくにとって「言葉にならない日記」という本は、その比喩のうまさを味わう大切な一冊となっている。