今から45年前の1980年8月19日のこと、新宿駅西口で発射待ちのバスが放火され、死者6名、重軽傷者14名を出した。殺人罪で起訴されたのは丸山博文(38=当時)。死刑判決を求める世論が高まったが、無期懲役となった。
放火されたバスから、全身ヤケドを負いながらかろうじて脱出した21歳の女性は、「肉体的にも精神的にも、一切がひっくり返ってしまう苦悩を丸山に味わわせてやりたい」と怒りを露わにした。
一方では、全身の80%に及ぶヤケドを負いながら、命をとりとめた後、丸山と、面会や手紙で交流を重ねた被害者がいた。杉原美津子さん。事件当時36歳だった彼女は辛い不倫の渦中にあった。だから、ふいに火炎が迫ってきた時、「これで死ねる」と思い咄嗟に逃げるのを躊躇したため、大ヤケドを負ってしまった。
そうした複雑な事情も手伝ってか、丸山に宛ててこんな手紙を書く。
「私は一度だって、あなたのことをうらんだりにくんだりしてきませんでした。あなたをさばく気持ちも全くありません。どうか、もう一度、生きてみてください。あなたにとって、いちばんたいせつなものを見つけて、勇気を出して生きてみてください」
獄中の丸山は次のような返事を書いた。「おてがみありがとうございました 五五年八月十九日はほんとにすまないことおしました。じぶんは、こうかいしています。(中略)大ぜいなくなり おわびのしよが ございません ほんとにすまない 丸山」
杉原美津子さんは後に、『生きてみたい、もう一度』(文藝春秋)と題した手記を出版した。この本はぼくも購入して読んだ。
言語に絶するつらい治療、10度の手術。2度の死線を彷徨い、ケロイドが全身に残り、もはや健康体には戻れない。
それでも丸山を憎む気持ちになれないという理由を本からみつけたかった。読んで、人間の心の不思議さを感じさせた。しかし、本一冊分の本人の心情と状況の詳細を読んでも、杉原さんの考え方を根本から理解することはできなかった。
参照:「6人を焼死」させても死刑回避 判決後には「うまくやった」と笑みを浮かべ
