週刊文春の5月23日号を買った。今週号では気になっていた二つの事件の記事があるので購入した。一つは新宿タワマンの刺殺事件、もう一つは宝島夫婦殺害事件。

それで毎回思うのだが、和田誠の表紙の使い廻しはいつまで行うつもりなのだろう。文春の表紙を描きたい人は、大勢いると思うのだが、使いまわしをする理由は何処にあるのか。週刊誌は『現在』を表現しなければならないのに、『過去』の表紙を使う事は、意味がないこだわりに思える。雑誌が終了するまで続けるつもりなのか?

あとは漫画がよくわからない。司馬遼太郎原作で鈴ノ木ユウ漫画の「竜馬がゆく」。どんどんページが減っていく中で、あいかわらず16ページ割いている。総ページが160ページに満たなくなっているのに、全体の1割以上もマンガに割いている事になる。あまりまともに読んだことがないし、たまに目を通しても内容に引き込まれない。だから、このページ数はきつい。

そして益田ミリの「沢村さん家のこんな毎日」という見開き2ページのマンガ。ほのぼのを狙っているのかよくポイントがわからないのだが、あきらかに内容が薄く平凡なワンシーンを見せられているだけの印象で面白くない。彼女自身をモデルにしたマンガのほうが内から出た言葉に思えるし、内容があって面白い。

一方、桜玉吉の「日々我人間」というマンガはスペースが1ページの半分以下。『せめて1ページ、与えてくれ!』と、言いたい。彼の持ち味が、あの少ないスペースでは、死んでしまっている。

という具合に、文句ばかり言っててもしょうがないけれど、ほとんど毎週買っているので誌面構成を今一度、見直してほしいものだ。

参照:週刊文春 最新号