ペイントという常駐のパソコンソフトを使った写真を使ってのコラージュ作品
ぼくは姉と妹がいて、両親合わせての5人家族だった。2016年に父が亡くなり、その3年後に妹が亡くなり3人家族となって、ずいぶん寂しくなった。
ぼくは青森県出身で、今はぼくだけ埼玉県に住んでいる。春の連休、夏季休暇、そして正月と年3回実家に帰っている。なんでそんなに実家に帰るかというと、青森の実家で『家族麻雀をしたいから』という単純な理由だ。
ぼくが麻雀を覚えたのは遅くて30歳になった頃で、父や母に教えてもらった。母が急に「一緒に麻雀しよう」と言いだしたのだ。それで、僕も妻も同時期に麻雀を覚えた。母が麻雀に目覚めたのは、1984年製作の和田誠監督・映画「麻雀放浪記」を見てからで、映画の影響というのは大きなものだ。
父が亡くなった今でも、母や妻を交えて麻雀をするのだが、そのたびに思うのは父が参加した麻雀は面白かったという事だ。父の代わりに知人が入っても、それで父の代わりになるというものではない。父が亡くなった寂しさを、麻雀の牌を握った都度に
思い返されてしまう次第だ。
父は寡黙な人だったけれど、自分の意見を家族にいろんな場面で語っていたとは思うのだが、何をどのように話したのかを覚えていない。父が亡くなった実感としてぼくが毎回思うのは、「麻雀に参加してくれない寂しさ」というのも、いいのか悪いのか・・・・・・。
母から父の場合は、『癌でもう治療は難しい』という事を半年くらい前から聞かされていた。覚悟はある程度できていたが、妹の場合はあまりに突然だった。ただ、妹が亡くなる一年ほど前に会ったとき、すいぶん手が震えるようになったことが気になった。
実家で作った料理を妹夫婦の家に届けた時に、姉も交えて、三人で中華店に入り食事をした時のこと。それぞれ好きな麺を注文し、いざ食べる時に妹が一口、麺を口に運んだだけで箸を置いた。「もう食べれない」と言った。ビールも頼んでいて、それだけは飲んでいた。食事ができないくらい胃がおかしくなつているのかと、ふと思ったものだ。
妹はお酒が好きで、毎晩、旦那さんと晩酌をするのが日課になっていた。酔った勢いで電話をかけてくるときもあり、亡くなる2日ほど前にも電話をかけてきた。それが、母から亡くなったと聞かされたときは、しばらく茫然として信じられなかったものだ。妹も父も結果的にお酒で体を壊し、死に繋がってしまった。
妹が亡くなった時に、遺影の写真を探して最近の写真がないということで、選択されたのはぼくが撮影した20代の頃の写真。約30年前の写真になる。実家に帰ると、一番綺麗で元気一杯だったニコニコ顔の妹が、仏壇で迎えてくれる。
