描いていると空白を全て埋めたくなってくるのは困ったものだ
「ジョニーは戦場に行った」という映画は、戦争に行って目も見えなくなり口もきけなくなり耳もなく手足もなく、ただ生かされているだけの肉塊だけになってしまった苦しみを描いている。実際に、そのような体で第一次世界大戦が終わってから15年近く生き続けたイギリス将校がいて、彼をヒントに1939年にダルトン・トランボが発表した小説を自ら脚本、監督した映画とのこと。
実際の現実的な不幸な状態をそのまま、描写するのではなく、本人の頭の中に展開する夢のような世界にも時間をさいて描いている。逆に夢のような世界を描くことで、現実的な人生の苦しさのインパクトが薄れてしまったように思えた。

「ジョニーは戦場に行った」 1971年製作 アメリカ
また前半出てきた看護婦さんはいたって機械的に自分の仕事をこなすだけの人だった。けれど、後半の看護婦さんは、ジョニーに意志があることを見抜いて単なる生かされているだけの厄介者扱いから解放させてあげようとする、優しい人だった。そこは、見ていて少しだけ救われた。やがてその看護婦さんの優しさも、封じられてしまうのだが。
ところで、映画を観ながら同じような状況の人物を主人公にした物語を想いだしていた。江戸川乱歩の「芋虫」という短編。映画化もされているが、小説のほうが面白い。こちらは、自分の奥さんとの性だけが生きている証になってしまった歪んだ愛を描いている。「芋虫」を読んだときは、実際に胸が苦しくなるような妙な暗いリアル感があって、闇の奥底にひきずりこまれるような気持になったものだ。
「芋虫」は1929年、「ジョニーは戦場に行った」は1939年。監督で脚本を担当したダルトン・トランボが、江戸川乱歩の「芋虫」を読んで参考にしていたら、面白い。ところで、『ダルトン・トランボは、この映画の後に活躍したのだろうか』などという事を思って検索をして驚いた。「ローマの休日」や「スパルタカス」、「パピヨン」の脚本など映画史に残る名作を作り続けた人だったのだ。
