連休中に実家の青森に帰った。実家には亡くなった父と妹の仏壇がある。
本来なら、線香でもたくところなのだろうけど、線香の煙の臭いが嫌いなぼくは、線香をたいたこともなく、仏壇に向かって拝んだこともない。
しかし、人がどんな宗教を信仰していようと、自分や他人の生活をこわしていない限りぼくは批判的にはならない。それは自由なことだから。
ところで、仏教がベルギーで3月末に正式に宗教団体として認定されたという。2006年にベルギー仏教連合(UBB)が仏教を認定するよう求めてから17年後の結果とのこと。

今回の認定が示すのは、仏教がベルギーの社会の中に溶け込んでいること。ベルギーでは仏教徒が増えており、15万人のベルギー人が仏教を信仰している。
ヨーロッパでは仏教の教えを実践している人達はカルトのメンバー、あるいは奇妙な世界の人たちと思われていた。
しかし『1989年にダライ・ラマがノーベル平和賞を受賞すると、そのイメージは一変した』
との事だけど、ダライ・ラマが少年の唇にキスをしたうえで舌を突き出し、「私の舌を吸って」と促したというニュースを最近目にしていたが、その影響はどうなのだろうと、ふと思ってしまう・・・・・・。
ダライ・ラマの話をすると別の話になってしまうので、元に戻しますが、『特に仏教の一派である禅宗の教え「禅」はその後、大きな支持を得ていきます。』とのことで、記事ではブリュッセルで禅の修行などを行っている協会「ダイセン・センター・ゼン」の創設者であるディディエ・エルヴォーさんの紹介に記事の内容は移っている。

「禅は個人的な経験ですが、1人で修行することはできません。禅は精神を強くし、自分を強くする。しかし、『無所得』以外に、禅には他に目的も目標もありません」とエルヴォーさんは語る。
禅のプログラムは次の通り。40分間の瞑想、7分間の経行、40分間の瞑想、そして最後に簡単な儀式を行う。実施日時は、月、火、木曜日の午後7時から8時半まで。
禅という言葉は、黙想という意味を持つ。禅は本来、地面に座り、黒い座布団に座って足を組み、背筋を伸ばすもの。目的も対象もなく、静寂の中で、平和な状態に身を置く。
「体は少しずつ、身体と精神が一体となった喜びという、本来の状態を取り戻していくのです」とエルヴォーさんは説明する。
記事を読んでいるこちらも仏教の認定の事より、禅のことに興味が傾く。それは、何かしらの惹かれる要素があるということだ。
そういえば、ドラマ「刑事コロンボ」にも、禅を行う若い女性が出ていたシーンがあって、印象に残っている。自分の身近には禅にはまっている人はいないのだが、きっかけさえあれば、ぼくも座禅を組んでいたかもしれない。
参照:ベルギーで「仏教の教え」が支持を得ている理由