佐川一政(さがわいっせい)が先月の24日、73歳で亡くなった。

佐川一政と言っても、誰だかわからない人もずいぶん増えてしまっていることだあろう。

 

彼は、28歳の時にフランスに留学していて、31歳の時はパリの大学院で比較文学専攻修士課程を修了した。引き続き大学院博士課程に在籍していたが、25歳のオランダ人女性留学生が自室を訪れた際、彼女の背後から銃で撃って殺害した。



屍姦の後、解体し写真に撮り、いくつかの部分の肉を食べてしまったという犯罪で、有名になった。しかし、精神鑑定の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不起訴処分となった。

1984年に日本へ帰国し、精神病院の東京都立松沢病院に入院した。

同病院での診察では、佐川は人肉食の性癖は持っておらず、フランス警察に対する欺瞞であったという結論に至った。副院長は、“佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないか”としていた。

日本警察も同じ考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が「不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡すことはできない」として拒否した。

日本に戻ってから佐川は、小説や漫画やエッセイを書いたりイラストを描いたり。マスコミに頻繁に顔を出して有名人だった。確か作家の林真理子が、佐川一政と会ったことをエッセイに興奮気味に書いていた。そのエッセイはまるで好きな芸能人に遭うがごとく、浮き浮きした心情を書いていたと記憶する。

当時の佐川一政の日本でのもてはやされぶりは、事件で亡くなったフランス人の女性の両親にとっては、たまらない怒りと哀しみに襲われていたのではないかと、思ったものだ。

しかし、彼が死亡した事はぼくが想像していたよりとても小さな扱いだった。マスコミも『過去の人』になってしまった人物に対しては、報道が実にしょぼいものだと思った。

ところで本日18日、日刊ゲンダイDIGITALに、『73歳で逝った佐川一政さんから届いた「佐川君からの年賀状」には「助けてください!」と』というタイトルの記事が出ている。その年賀の部分はこのような表現で書かれている。

そこには新年の挨拶とともに一筆添えてあった。
「助けてください!」
暮らしに困っていたのだろうか。佐川さんは実際に会ってみると、猟奇的な事件を起こしたとは思えないほど温厚な人で、その胸中を察するしかなかった。


ぼくがこの記事を読んでまず思ったのは、「佐川から届いた年賀状の年代をはっきりと書いてほしかった」という事。その年代によって、彼の状況が推測されるので。

年賀の「助けてください!」は、たぶん金銭的なことで仕事をください的な意味だろうとは思うが、他にも特別にお願いしたいことの「助けてください!」だったのか?

佐川一政に関して、ぼくがスクラップしていた記事があった。以下は2001年9月に書かれた佐川一政のエッセイ(メール)で「女性に呪縛されていた僕ーーーさらば女性」の冒頭の抜粋。今、読んでも彼の心情に何かを感じてしまう文章であることは確かだと思う。

 

                 *

僕は今まで、白人女性を中心に、女性という存在に呪縛され続けてきた。

チビで醜悪の外見にも拘らず、性欲だけは盛んで、しかしセックスレスのまま、若い頃よりあまたの女性達に憧れつづけ、振り回され、それが為に、あまりにも多くのものを失ってしまった。

かの人肉食事件以前に於いても、すべてが女性中心に回転していた。関西の大学の大学院に入ったのも、好きな女性がその大学に入学した為である。大学院でも、勉学に身が入らず、一人のかわいい女性に好かれ、嫌われながら、その娘のことばかりを考え、そして傷ついていった。

フランスに渡ってからも、娼婦から学友に到るまで、女性ばかりが頭に。そして遂に女性を殺害し(もちろんそのお肉を食べる為に)、すべてを放棄してしまうことになる。


                 *

佐川の事はここまでで、気持ちを変えて・・・・・・
以下は、12月18日12時51分、ぼくの心に響いた対称形のART作品の一点。

対称形ではあるけれどよくよく見ると、微妙に部分、部分に異なる箇所がある。まるで間違い探しのような楽しみもある。

 

 

参照:佐川一政さんから届いた「佐川君からの年賀状」には「助けてください!」と