
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
上の絵のように、本年も鉛筆画を何枚か仕上げていきたいと思っています。
今回は、突然の思い付きですが、昔に描いた年賀状のイラストで手元にある分をアップしていきます。

このようなことを思いついたのも、『年賀はそろそろ終わりにしてもいいのかな?』
と思っているから。そもそも『1年に1回のはがきの交換に何の意味があるのだろう?』
という疑問が前からあって、むしろ年賀のやり取りをしていない人との交流が深かったりする。

年賀状も出すからにはあまりしょぼいものや手書きメッセージのないただの印刷物はイヤだと思って工夫をしてきたけど、それにかける情熱って『空回りしていないかな?』と思ってしまう。

ところで妻が、今年の自分の弟の年賀状に、なにやら腹をたてていた。何かと思ったら、弟から『今年限りで年賀状は終わりにします』ということが書かれていたのだ。これを「年賀状じまい」と言うらしいが、それが「人としての基本的な礼儀が欠けている」という理由で、怒っているのだ。

一方ぼくは、思っているだけでなかなか決断できないでいた事を、妻の弟に先を越されてしまったと感じたし、特にその文面が失礼だとも思わなかった。妻からは、ぼくが思った以上に「年賀状じまい」の文面に不快を覚える人もいることを教えられた。

「来年の参考にしたいから、その弟さんの年賀状を貸してくれない?」
と、ぼくは妻に聞いたのだが、そのリクエストは即、却下。
「そんなの参考にしないで。年賀がそんなに面倒だったら私が代筆してもいいから」
「年に1回のはがきなんだからボケ防止だと思って続けたほうがいいのよ。」
ボケ防止?そこまでまだ頭がやられていないつもりだが、それはともかくとしても「年賀状じまい」には断固として反対らしいのだ。

参考にするのなら、ネットでもできるので検索してみると、『今後は年賀の代わりにメールを活用しましょう』という提案の内容にする例が書かれてあった。
以下がサイトに書かれてあった文例の一つ。もっと早めに確認したらよかったかも・・・・。
あけましておめでとうございます
昨年は何かとお世話になりありがとうございました
毎年いただいております年賀状ですが
誠に勝手ながら 今年限りで失礼させていただきたいと思います
今後は電話やメールで近況の報告を頂ければと思います
今後ともよろしくお願いいたします。

と、いうわけで来年からは年賀状は出さなくなる可能性が大なので、今まで裏面用に作成してきたイラストを手元にあるぶんだけ、記念に並べてみたいと思い至った。

ところで、朝日新聞デジタルの去年の年賀状に関する記事を読んでぼくは驚いた。
今年(2020年)は年賀を出すか出さないかを1600人を対象に調査したところ、出さないと、考えている人が11%いて、その理由に「友人知人と会う機会が少なくなったため」「年賀はがきによるコロナの拡散が怖いから」と挙げる人もいたとのこと。

『会う機会が少なくなったため』は、わかるとしても、『年賀はがきによるコロナ』って、
どんだけ神経質なんだろう?と、ぼくはあきれた。

記事では実際に年賀状のような紙に付いたウイルスは、いつまで「生存」するのか。各国の研究チームが、実験で用意した紙などにわざとウイルスを付けて「寿命」を調べた研究結果が報告されている。

香港のチームは温度22度、湿度65%の環境で、さまざまな素材にウイルスを付け、検出できなくなるまでの時間を調べた。印刷紙やティッシュペーパーは3時間、紙幣は4日間だった。

皮膚に付いたウイルスの量を調べている京都府立医大の広瀬亮平助教は「紙幣で少なくとも数日間、ウイルスが残っているので、年賀状も油断はできないと思う」と話す。
実験で、表面がざらざらした紙からウイルスをぬぐい取ることが難しいため、ウイルスが紙に残っていても検出できなかった可能性も否定できないと言う。とはいえ、「過度に恐れる必要はない」と広瀬さん。
「年賀状を書く前や、届けられたものを扱った後に手を洗うといった、帰宅時やドアノブなどに触った後と同じ基本的な感染対策をとればいいでしょう。私は例年通り、年賀状を書きます」と説明していたとのこと。ぼくもあまり神経過敏になってもきりがないと思う。

以前に、年賀状がいつのまにか『印刷物の交換だけになった』と、感じたときがあって、『年賀状って、まるで名刺交換みたいなもんだなぁ』
と、思ったことがあった。
今回、年賀のイラストを並べるにあたって、過去にもらった年賀状を眺めていて気が付いた。やはりハガキサイズで紙で残っている存在感は大きいなぁと改めて感じた。あたりまえだが、名刺の比ではない。家族写真を毎回年賀で送ってくれる人は、ある年を境に年賀の家族写真に写り込んでいる子供の数が増えて、本人の存在が子供の影に隠れていく。それもその人の人生の意識の断面を、年賀に反映させていると感じる。
単に印刷物の年賀を送ってコメントいっさいない人も、年賀に対する、また僕に対する一つの物言わぬメッセージと考えれば、まるで意味がないわけでもない。
などと、最後の最後にいまだにスッパリ年賀をやめられない優柔不断な自分にまた出会ってしまうのだった。
参照:コロナ禍の年賀状、注意いる? 専門家「私は書きます」