1948年に熊本県人吉市で一家4人が殺傷された事件で、日本で死刑確定後に初めて再審(裁判のやり直し)無罪となった免田栄(めんだ・さかえ)さんが12月5日、老衰のため福岡県の高齢者介護施設で亡くなった。95歳だった。
免田栄さんの名前は、死刑から無罪になったということが、犯罪関連の本に何度か出ていたので知っていた。日本で初めて死刑から判決がひっくり返ったということは、歴史的な事件ともいえる。23歳で逮捕され、57歳までの34年間、獄中生活を送った。冤罪で奪われた時間は大きい。
事件は熊本県人吉市の祈とう師宅で夫婦が殺害され、娘2人も重傷を負った。また現金も奪われた。免田さんは犯行を自白したとして強盗殺人罪で起訴された。
免田さんには、関与を否定する確かなアリバイがあったが、警察は事実を捏造(ねつぞう)。睡眠をさせずに拷問を続け、免田さんは警察のつくった筋書き通りに自白を強要された。取り調べで「われわれは天皇陛下から公職を拝命した警察官だ。百姓が何を言うか」と、どう喝されたという。
熊本地裁八代支部での第3回公判からアリバイを主張し犯行を否認したが死刑が言い渡され、1952年に確定した。
家庭の事情などで学校にほとんど通えず、「“あいうえお”も書けなかった」と話す免田さん。裁判長に心情を訴える上申書を書くため、獄中のちり紙に字を書いて猛勉強し、1956年の再審開始決定書(西辻決定)として実った。
免田さんは無実を訴え続け、6度目の再審請求で1980年12月、刑事裁判史上初めて死刑囚に対する再審が決定した。地裁八代支部は1983年7月、事件当夜のアリバイを認め、自白は信用できないとして無罪を言い渡したという。
死刑確定後の執行におびえる日々の事と、無実を勝ち取ったその後のことを免田さんは生前このように語った。
誰かが執行される朝はすぐに分かった。
「30人ぐらい役人が来る。どこで止まるか。自分の部屋か、隣の部屋か…」。自分ではないと分かり、「きょうは助かった」と思う。冷たい汗がどんどん背中を流れた。執行のため刑場に連れて行かれる死刑囚を大勢見送ったという。「免田さん頑張ってください。私はちょっと残念です」。別れのあいさつを交わした死刑囚もいた。
6回目の請求で無罪を勝ち取った。34年ぶりの自由。しかし、現実は厳しかった。
「人殺し」「うまく逃げたな」。釈放後、中傷の電話や投書が続いた。有名な落語家が「やってないはずがない」と発言したことも。「こういうふうになったのは運命。そういう宿命だったのかな」。免田さんは寂しそうに語っていたという。
参照:免田栄さん死去 元死刑囚、初の再審無罪
権力は暴走する 冤罪被害者・免田栄さんが告発
付きまとった「死刑」 疑いの目に苦しみ続け―免田さん
