母は、
自分に聞きなさい。
本音で生きなさい。
そう言ってはないし
言い方は、そうじゃなかったけど
結果として
自分で聞く。
本音で生きる。になってた
母の言葉として、記憶にあるのは
嘘をつかない。
自分に正直に。
よそは、よそ。
うちは、うち。
人は、人。
自分は、自分。
自分で決めなさい。
この辺りのことを
子どもの頃に
よく言われてたかな
母は、嘘が嫌いな人だった。
嘘をつくことで
人を騙すのは、よくない。と
教えられたし
もし、嘘をついて
人を騙せたとしても
自分を騙すことは、できない。
お天道様は、騙せない。
いつだって
お天道様には、お見通しだし
自分の心も、知ってる。
嘘をついちゃダメ。
嘘はつかない。となれば
必然的に、自然と
本音で生きる。
しかないじゃない?
よそは、よそ。
うちは、うち。
そう母に言われる時って
子どもながらに
都合よく、言い訳にして
言いくるめられてるような
気がしてた
そのエピソードについては
今度、書いてみようかなぁ
人は、人。
自分は、自分。
そう言われてたから
「人と同じことが、正解なわけじゃない」
「人と同じである、必要はない」
そう思えるようになった✨️
それから
ある意味では
放任主義の母だったから
自分で決めなさい。と
選択権、決定権を
子どもに
委ねてくれてるとこ、あった✨️
だからって
なんでも、かんでも自由に
いろいろと好きなことが、できた。
わけでもないけど
母のルールに乗っ取り
その中では
自由にさせてもらってた。
そんな感じ
自由にできる
放牧させてくれてるのかと
思ってても
全部が、そうじゃない。
広い牧草地の中では
放牧されていても
外枠の柵は、設置されてる。
みたいな感じで
母のこだわり、譲れないとこは
決まりごととしてあったなぁ
母の子育ての仕方は
素晴らしかったと思ってる
完璧じゃなかったとしても
母に、育てられて
良かったと思えてる
子育てに
正解も、間違いもないし
何が正しいのかも
決まってなくて
ただ、私の言えることは
育てられた子どもの私が
母の子育てを素晴らしいって
思えてるから
それだけで♡
母の子育ては
満点だったんじゃないかなぁ
周りからも
よく言われてたのが
「お母さんの育て方が良かったのね」
大人になってからのほうが
よく言われてたなぁ✨️
私自身も、母の子育てを
素晴らしいと思ってるから
「お母さんの育て方が良かったのね」は
そう!そうなんです!と納得しちゃう
相手に返す言葉では
「そうなんですね。ありがとうございます」と
言って、受け取ってた
サメくじら