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かけはし

日本とヨーロッパの交流コーディネイターのさんぼです。
草の根のちいさな交流が広がれば、きっとお互いにわかりあえる、受け入れられる。

手術の次の日、主治医が回診に来たんですが、なんと帰りたければ帰っていいよ、とのことで同室の婦人と一緒に驚愕しました。昨日おっぱいを部分的とは言え切ったばかりなのに。しかも両方。


ドイツの病院はほとんど破産寸前というかかなり経済危機に瀕しているところが多いんですよね。だから家に早く帰したいのかな?とも思うけど、急な治療を要さない人は家で静養の方がいいと考えるひとが多いと言う理由もあるかも。手術終わったら、ドレーンとか付いていない場合は、病院でやることもないしね。


ただわたしはもう一泊しています。帰っていいかもしれないけど、昨日はずっと嘔吐していたし、そもそも傷も自分ではゆっくり見ていない。手入れの仕方もまだよくわかっていない。

同室の婦人もやはりもう一泊します。ご主人が、手術したばっかりで帰ってよこされても困る。こっちが心配だ。だそうです。


手術の次の日は忙しく、ソーシャルワーカー、心理士、医療ブラの担当の人などとの面談がありました。


医療ブラは、数週間は24時間乳房をしっかりと支えておかねばならないとのことで、ちゃんとサイズを測って、きちんと合ったものを選んでくれました。かなり厚手で、つけると鬱陶しいですが、仕方ありません。



圧迫ブラ。着けるのに、コツが要ります。手で胸を持ち上げて、しっかりカップに入れ込む感じ。温存手術の手術後の写真など探しましたが、あまり参考にならなかったので、自分の場合どうなるか、かなり心配でしたが、右は切り傷も短く、あまりわかりません、左は乳首の裏だったので、乳首が歪んでかなり変形しましたが、ブラをすればあまりわからないかもしれない。今はまだ腫れているのでなんとも言えないですね。

傷が落ち着いてからもっと正確にレポートできると思うけれど、腫瘍の大きさのみならず、位置や元々の胸の大きさや脂肪のつきかたでも手術後の外観は変わるんじゃないかなと思いました。

わたしは巨乳ではないですが、小さくもなく、カップはDでした。同室のご婦人はドイツ人によくいるかなり胸の豊かな方で、彼女は胸の奥に小さな腫瘍があったんですが、手術後傷跡を見せっこしたんですが、彼女は切り傷に沿って窪んだ感じでした。彼女はなぜか内出血はほとんどなかったですね。彼女ぐらいの胸のボリュームがあれば、それこそブラをすればほとんどわからないかもしれないな、と思いました。


そのほかの写真は、悪名高いドイツの入院食。ただし、わたしは大喜びで美味しくいただきました。1日絶食でしたから、空腹は最も優秀なスパイスですからね。夕食ははパンの山にきゅうりとハムとジャム。ランチはジャガイモのパンケーキとにんじんスープ、にんじんとトマトのサラダでした。


手術の次の日からシャワーできます。なんだか怖かったけど、病院にいるうちにトライしておこうと思って、シャワーしましたが、腕も上がり髪を洗うのもできました。リンパ節をとった場合は、もしかしたら違うかもしれません。


またソーシャルワーカーからは、多くの手当の申請が可能なことを教えてもらえました。

長くなるのでまた今度。


さんぼ



手術が終わりました。

当日の早朝6時半に病院に行って、まず部屋に通され、すでに用意されていた手術着に着替えます。

持ってきた荷物を整理して、さまざまな書類にサインしたりチェックしているうちに 看護師さんがやってきて、ベッドに乗せられて待機室に運ばれます。これが大体7時15分ごろでしたね。

そしてそこで点滴を始めます。わたしはせっかく入れたポートがあるので「わたし、ポートもあるんです。これを使ってください。」と言ったんですが、「いや、それは使えません」と無視されました。

そして時間が来ていよいよ手術台に移動ですが、かつての顎の手術の時は温められた毛布で包まれて、なんだかすごく癒されたんだけど、今回は無し。ゴワゴワの毛布でした。

そして登場は麻酔医。限られた経験から言うと麻酔医は快活な感じが多いですね。軽口を叩いて笑っているうちに寝るとかね。今回はなんとご近所さんで、わたしのことを知っている人で、「いつもバス運転してんの見てるよ。すごいねー」とか言われながら眠りについたようです。眠りに落ちる前に時計を見ましたが7時45分。

手術終わって、覚醒室に運ばれている途中で目が覚めました。尿管もドレーンもついていないことをまず確認。そして時計も確認。この病院はあちこちに時計がある。病室にもあります。これはかなり便利ですよ。時計は12時ちょっと過ぎでした。

わたしは両側手術でしたし、放射線照射もあったので、通常の温存手術よりも長かったと思います。

同室の人も温存で、リンパ節を取らない手術でしたが、片方だけで放射線もない方式で大体1時間ちょっとだったようです。もちろん場所や大きさやいろいろな条件で所要時間は全く違うと思いますけどね。


まず、思ったのが今のところ全く痛くないなあ、と言うこと。今まで大きな手術を3回やったことになりますが、最も痛かったのは腰骨を取った時。これは本気で辛かった。動けないし、咳も痰も出せないので、痰で窒息して死ぬことはあるんだって実感しましたもん。それと比べれば、まず体をある程度動かせるのは、かなり楽でした。

ただ、これは初めてのことでしたがものすごい吐き気で、かなり辛い思いをしました。覚醒室にいる時から、ゲー袋が手から離せませんでした。水はすぐに飲むことを許されて、シャーベットももらいました。ガリガリ君のソーダー味があればなあ、と思った。


部屋に戻ったのは2時ごろですが、とにかくこの日は頭痛と吐き気で次の朝まで辛かった。胸の痛みはほとんどなく、どちらにも横向きに寝ることができたのは幸いでした。わたしは両側手術だから動けないかまっすぐ仰向けにしか寝られないだろうと思っていたんです。

夜ご飯も当然食べられませんでしたが、そもそもその夜ご飯がスキャンダラスなもので、パン2枚、ハムをマヨネーズで和えたサラダとトマト半分、そしてなぜかそのお皿が暖かかったもんだからすっかり液体状になったバターという組み合わせで、常時でもとても食べたいと思えないものだった。看護師がスパルタで、食べろ食べろと言うもんだから、無理してパンを齧っては見たものの、無理。

なんとか食べられそうなものとして、ツヴィーバックと言うラスクのようなものとジャムをもらって食べました。


それからは長い夜でしたね。気持ち悪いし、時々吐くし、頭は痛いし。ただ痛み止めは点滴で入っていたので全く痛くなかったのかもな、と今にして思います。現在2日目で、鬱陶しいので、点滴の針を早々に取ってもらい、もう痛み止めも要らないと言ったんですが、ちょっと痛くなってますもん。


ただ本当に助かったのは、ある程度動けること。座れるし、トイレにも行けるし。


手術後の胸は、サラシのような厚い包帯でぐるぐる巻きにされています。どうなっているか全くわからない。ただわたしはかなりの内出血が認められたので、途中で包帯を切って、内出血治療のジェルをたびたび塗るために、捲り上げることのできるような伸縮性のあるチューブトップのようなものに変わりました。



病室。3人部屋でしたが、入ったのは2人。3人だとかなり狭い感じだっただろうなあ。シャワーとトイレは部屋の中にあり、いつも使えます。これは日本の病院にはあまりないシステムですよね。


持って行ったのは日本のドラマをダウンロードしたiPadと水とお菓子。お水は前に入院した病院がガスなしの水を推奨しており、ガス入りがなかったので好みの水を持参しましたが、ここはちゃんとガス入りもあった。


とりあえず一歩先に進めました。


さんぼ




がんと伝えられて、すぐに夫と娘たちには言いました。ま、これは当然でしょう。娘たちは成人していますが、もっと小さくてもおそらく伝えたと思います。


次に伝えたのは、日本にルーツのある敬愛するお友達。クループメッセージが出来るんですが、そこで白状-もっと良い日本語があるんだろうけど-しました。これは、助けを求めることがあると思ったからだし、彼女らはきっとなんらかの形で助けてくれると知っているからです。


そしてドイツの親しいお友達にも。


従業員にもグループメッセージで伝えました。その時点では本格的な化学療法から始まる予定でしたから、絶対に仕事どころではなくなると思ったので、従業員各位に、わたしがしばらく音信不通になるであろう旨伝え、緊急時とシフト関係の連絡を次女経由で行うように指示しました。


同業者には特に伝えていません。

わざわざ伝えていないのは、親しいと言っても、生き馬の目を抜くこの業界、「もうあいつらはそろそろヤバいらしい」とか言う噂が流れて、我が社のよく手入れされた高級車両を、あわよくば格安で買い叩こう、なんて思うヤツらは絶対にいるからです。あるいはうちの契約を引き継ごうと揉み手をしながら近づくとかね。

ただ、特に隠してはいませんから、もうみんな知っていると思います。こんな噂は早いからね。


最も困難だったのは日本の家族に伝えること。両親はまだ健在ですが90すぎているので、なんか可哀想ですぐには言えなかった。妹も彼女自身が難病なので、なんか言いにくくて、結局日本の家族へ伝えるのが一番遅くなりました。父はまだ知らないんですよ。妹が難病になった時も数週間毎日「かわいそうに、あんなに良い子なのに」とメソメソしていたらしいから、追い打ちをかけるのもかわいそうなので、妹も母も言えないんですって。これは日本に里帰りした時に言わなくちゃ。


ブログに書くのはちょっと迷いました。だって、闘病関係のブログ、特に乳がん関係は、かなり詳しく調べている方が多いので、ブログをそのまま鵜呑みにして参考にする人はあまりいないだろうけれど、病になって、その状況を発信するならやはり責任感を持って発信せねばならないだろうけど、そこまで真面目に正確に記録できるかどうか自信がなかったから。

ただこの日記はわたしの個人日記でもあり、公表しているから書く気になると言う意味で、とても便利に利用しているので、気軽に書いちゃおうかな、と言うことにしちゃいました。


ここに書いていることは、あくまでもわたしの場合、と言う旨を度々書き込んでおかなければいけませんね。


さて、従業員に、ドイツ語不能なギリシャ人のおじさん運転手がいます。運転はかなり上手で、経験豊か、バスを神経質に掃除して、磨き上げるので、車両が汚れてきたら、彼のところに持って行って、2週間ばかり運転させると、新品みたいになるんです。唯一彼だけがまだバスに傷をつけたことがない。

問題はかなりの方向音痴なことと、ドイツ語を覚える気が無いこと。


さて、彼は、ギリシャ正教の信者です。わたしの病気のメッセージを読んで、彼はなんと、故郷テッサロニキに住む彼の妹さんに頼んで、テッサロニキの近くのタソス島にあるミカエル修道院と言う有名な修道院に行ってもらって、そこは病気治癒祈願のために巡礼者が訪れるらしいんですが、祈りを込めて、「コンボスキニ」と言う仏教の数珠のようなブレスレットを修道院で手に入れてもらってドイツまではるばる送ってもらったそうです。

そして先日、わたしは彼のバスのタコメーターと彼のドライバーカードを読み取るために黒い森まで行ったんですが、そこで恒例のギリシャレストランでのディナーの際にその貴重で心のこもったブレスレットをプレゼントしてくれました。


これは十字架を表した結び目らしいんですが、心臓に近い左手にするのが決まりだそうです。一目一目修道士(タソスの修道院は修道女)が祈りながら結び目をつなげて作るらしいです。これは魔除けとかお守りと言う意味合いのものではなくて、祈りの象徴、つまり「貴女のことを祈っていますよ」と言う気持ちの象徴らしいです。なんと貴重なものをいただいてしまったんでしょう。


そう言えば彼自身もこのブレスレットを5本ぐらいしているわ。彼のために祈る人が少なくとも5人はいるってことかな?


病気になっちゃったのは残念ですが、人から改めて「貴女のことを心配していますよ、大事に思っていますよ」なんて形にしてもらうことなんてほとんどないから、なんか、すごく嬉しかったなあ。


さんぼ