二度目の手術 ⑤ 袖振り合うも多生の縁 | かけはし

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日本とヨーロッパの交流コーディネイターのさんぼです。
草の根のちいさな交流が広がれば、きっとお互いにわかりあえる、受け入れられる。

入院した部屋は二人部屋でしたが、合計7泊したうち一人だったのは4日で、3日はお隣さんがいました。最初に入ってきたカザフスタンからの女性とは、わたしが手術直後で、生きるのだけで必死だったことと、彼女がドイツ語も英語もほとんどわからなかったために、あまり話しませんでしたが、動けないわたしを色々と気遣って、飲み物を取ってきてくれたり、松葉杖を取ってくれたり、手伝ってくれました。ありがたい。彼女は炎症で、抗生物質の投与が必要で、二日間入院したのです。


退院する前の日に入院して来た女性は、偶然、わたしが度々通訳に行く重機会社の社員で、共通の知り合いも多くいる人でした。

実は彼女が同室になるのに、わたしは抵抗があったんです。彼女はコロナワクチン接種拒否者でした。わたしはどちらかというとコロナワクチンに懐疑的で、三回接種はしていますが、それは仕事上必要だったのと行動の自由が欲しかったからで、もし何もなければ接種していなかったかもしれません。ワクチンの効果は自覚しているし、このおかげで、かなり世界が好転したとは思っていますが。

どちらかというと懐疑的なのにも関わらず、同室になる人が一回もワクチン接種していないことに、すごく抵抗があったのは、一体全体どういった精神状態だったんでしょうか?これもコロナの副作用の一つでしょうか?2年間周りにいる人々は全てワクチン接種者だったからなのか?我ながら不思議なことです。

ま、いずれにしても、彼女は同室になり、最初に挨拶した時に「実はわたし、未接種の人と交流がなかったから、なんかすごく不安だったのよー。これもコロナの後遺症かね?」なんて正直に言いましたけどね。

その後、色々と自己紹介している間に、仕事上も多少は関わりのある人と分かったんですけど。


2月下旬に、日本からの視察団の通訳を頼まれているのですが、該当機種のある部分の設計に関わった人だったので、PCで設計図を見せてもらったり、見どころを説明してもらったりと、とても有意義におしゃべりしました。


ドイツの病室は、ベッド周りにカーテンなど無いところがほとんどなんじゃないかなあ。ベッドの間にテーブル付きワゴンがあるので、ちょっとは目隠しになっていますけれど。

日本ではカーテンがあるお部屋が多いようですが、わたしはカーテンは埃がまといついて不潔と思っているので、もし日本で入院したら気になるかもなあ。コロナ的にはカーテンぐらいで全て防げる訳はないので、閉めようが開けようが同じと思うし。

同室者が居ても、病室ではマスク着用義務はありませんでした。ありがたいことです。ただ、病室外ではマスク着用でした。これはしばらく続くでしょうね。


洗面所もちゃんと「窓側」、「廊下側」と書かれた専用の棚やタオル掛けがあり、私物をきちんと整理しておけます。わたしは前回の手術時の入院が結構楽勝だったので、手入れのためにフェイスマスクやパックまで持参してたんですけどね。使ったのは入院当日だけ。その後は息するだけで精一杯だったので。

わたしが入院した科は、MKG(Mund Kiefer Gesichtschirurg)と言うところですが、ちょっと調べたんですが、日本語でなんと言うのかはっきりはわかりませんでした。口腔外科とも違うし、頭頸部外科になるのかなあ?

入院患者の多くは、わたしもそうですが、首と脳の間の部分や舌の腫瘍とか、口腔内の腫瘍などの治療の人が多い感じでした。緊急で入院する人のほとんどは、歯茎や口腔内が炎症を起こして顔面が腫れ上がっている場合が多かった。


炎症などで緊急に運び込まれた人のほとんどは1-2泊で退院が多かったし、同室になったとしても、これと言った交流は無いに等しいんですが、合計三回入院して、合わせて25泊ぐらい病院に泊まりましたが、今思い返してみても、同室だった人のこと覚えています。

一番強烈だったのは、ずーっとかかりつけ歯科医を訴えると息巻いていた淑女。彼女は腫瘍を見逃され、気の毒にも歯がほとんど無くなったため、今後噛むことが出来なくなるそうで、しかも今後噛めなくなることを病室に入って初めて知ったらしく、もう驚愕なさって、怒りの電話を歯科医院にしたあとは弁護士とずっと電話しており、そのやりとりを逐一わたしに説明してくれるのでした。

あと印象に残っているのは、舌がんの手術で来たロシア人のおばあさん。彼女は一言もドイツ語がわからないために、その当時はコロナ規制でドイツ語がわかる娘さんがなかなか部屋に来られないので、看護師も医師もどうしようもなくなったら携帯電話で家族を介して通訳してもらいながらの診察で大変そうでした。ロシア語だったら喋れる人結構病院の職員にもいそうですけどね。どうせ手術後は何語であっても喋れなくなるから、「痛い」「息苦しい」「気持ち悪い」とか緊急の単語をロシア語とドイツ語で表にして持って来ておいたらどうかと娘さんに提案し、次の日娘さんは、表を作成して持って来ていました。実はわたしも表を作って持っていたので、便利かもしれないなと思ったんです。わたしは結局口腔内はほとんどいじらずに、全て喉のところから切開して外側からの手術になったので、術後も喋れて不要でしたけど。

ロシア人のおばあさんは手術の日も準備を済ませたら、ずっとぶつぶつとお祈りを唱えていらして、もうわたしも胸がいっぱいになって、一緒に隣でそっとお祈りしました。


今は手術の傷も癒え、続く治療が順調に行っていると良いんだけど。


同室だった方々、なぜか忘れられません。


1回目の手術の際、顎が曲がってくっついてしまったので、その矯正のために上下の歯を固定されてしまい、窒息とかの危険があったので運び込まれた物々しい吸引機械。使う羽目にならなくて良かった。ロシア人のおばあさんと一緒に食べた病院食のパスタ。美味しいね、とお互いに言いながら食べた。彼女に取っては術前最後のご飯で、この後はわたしも長い間食べたペースト食になったはず。


さんぼ