母国語について考えること。 | かけはし

かけはし

日本とヨーロッパの交流コーディネイターのさんぼです。
草の根のちいさな交流が広がれば、きっとお互いにわかりあえる、受け入れられる。

わたしは娘が生まれた時に、ドイツと日本のルーツを持つことになった娘の言語については、完璧な国語を習得することを第一義に考えなくては、と思っていました。

 

わたしはできれば日本語を自由に操れるようになって欲しかった。それは、わたしがドイツ語不自由ですから、将来自らの娘と心の内を言葉で理解しあえないという事態にならないように、また日本のわたしの両親を含む親族と日本語でコミニュケーションができるようにです。

 

ただ、わたしの父は違った観点から自分の初孫の言語についての考えをわたしに伝えてくれました。わたしの父は、英語を大学で専攻し、英語教師として長く働き、自分自身も語学オタクで、フランス語、スペイン語、ドイツ語を長年独学しており、ライフワークとしては日本の俳句を英語に翻訳することを続けています(趣味としてです)。その父が、娘にはちゃんとした母国語を与えるのが最も重要としつこくアドバイスしてくれていたのです。わたしはそのアドバイスは至極もっともだと思いました。

 

ですから、そのアドバイスに従い、何らかの理由で、二つの言語の習得に無理か困難が生じたりしたら、潔くドイツ語一本に絞らねばならないだろうと思っていました。

 

言葉っていうのは、コミュニケーションの道具であると同時に、思考のためのツールですから、大人の思考に用いるに足る言葉を習得するのが第一義であって、それがドイツ語であろうが日本語であろうが構わないと思うようにしようと。もし両国語の習得にこだわるあまり、どちらも中途半端になると、子供は大人の思考をするためのツールを持たないことになってしまい、これほど危険な事は無いのです。大人の思考をするための言語が母国語なんだろうと思います。

 

「大人の思考をするための言葉」という表現の仕方には出典があって、近藤紘一氏というジャーナリストの方の著書に載っていました。彼は「サイゴンから来た妻と娘」という本で有名な方ですが、残念ながら若くして亡くなりました。

彼のすべての著書は所持していますが、その中にベトナム生まれで幼少の頃日本に移住し、その後にパリに定住した娘さんの言語についての記述があったんです。彼の記述は語学のことのみならず、文化背景などについても触れていましたが、彼の考え方が、幼い頃から父に散々言われてきたことと似ていたので、頭にこびりついたんです。

 

幸い長女については、日本語もドイツ語も同時にうまく身についたと思いますし、大人の思考をするためのツールとしての言語、すなわち母国語はドイツ語だと思いますが、日本語も無理なく自由に使いこなせているので、本当に良かったと思っています。

 

次女に関しては、ドイツの学校でもついていくのに苦労したこともあり、日本語補習校に行くことは考えませんでした。次女は家庭の中で、わたしと、お姉ちゃんとの会話と日本の親族とのかかわりだけによって日本語を学びました。まだ発展途上なので断言はできないんですが、ドイツ語はしっかりと身についており、ドイツ語の本はどんどん読むほどの本の虫ですから、大人の思考のための言語は持つことが出来るようになるのではないかと思っています。



{00B7325F-BBAD-4C7B-85F9-B5B97D673B8B}
実家の近くの砂浜にて。次女は日本の海が好き。必ず砂浜散歩に行きます。

{4B5C912D-6B74-4F52-8803-0BCB6733D59C}
日本では実家の福岡に滞在するだけで、日本国内旅行をする余裕はなかったけど、一回だけ京都と奈良に行きました。もっと色々つれていくべきだったかなあ。
{9BFCE350-1596-4244-9A38-B8EFE35BAD89}
この時はわたしがたまたま京都で終わる仕事だったので、妹が実家にいた娘二人を連れて京都で合流。奈良と京都観光をしました。次女は神社仏閣はまだ興味なかったなあ。

 

長女の今のボーイフレンドは、ドイツに住んでいるイギリスとギリシアのルーツを持つ人で、主言語は英語。長女とボーイフレンドの会話は英語とドイツ語のまぜこぜだそうです。長女は英語は話しますが、今後、さらにブラッシュアップする必要もあるでしょうね。喧嘩の時にきちんと自分の主張できるくらいに。

 

さんぼ

 

 

 

 


にほんブログ村にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村