1978年春 ファイナルへのラストスパート(9) ~金沢公演の長くて忘れられない一日 ~ | Bohemian78-ambのブログ

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日付が変わってしまいましたが3月20日「ありがとうカーニバル金沢公演」当日の続きです。
当日券に早朝から並ぼうとしたら、ファンは私含めて2人しかいなかったところまでお話しました。


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ここも34年前のランちゃんに出す予定だった未完のファンレターの下書きを元に思い出をたどります。下書き状態だったため細かい修正を入れながら、なるべく当時のままの文章で掲載します。

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 実践倫理記念館の正面玄関。私が近づいて行くと彼も人なつっこい目で私を見上げます。目鼻立ちの整ったなかなかの美少年でした。
「キャンディーズの金沢公演見に来たの?」
彼は急に安心したように
「はい、そうなんですよ」
おたがい仲間ができた安心感ですぐに打ち解けました。

彼は長野から来た佐藤君という青年で、当日券を求めて同じ夜行列車で着き金沢駅からタクシーを飛ばしで来たという。高校1年生でランちゃんのファンだった、(もう34年も前の事なので名字を出しても問題ないでしょう。)
熱狂的なファンとはとても思えぬ大人しい真面目そうな少年。
彼がこの追っかけツアーで最初に知り合いになったファンです。

~これから10時間もの間、どうやって過ごす~

彼も本当にここで公演があるのか不安を抱いていました。
会場前の広場にはファンはたった2人だけ。「つま恋」からは考えられません。
残雪がところどころ残る建物の周囲を散策すると丘の上から金沢の街が見渡せます。街の向こうにはうっすら日本海が見え、そして能登半島らしき陸地の線が水平線の先に伸びている。何百年もの歴史と伝統にささえられた城下町。この街はキャンディーズの解散に全く関心が無いのか。。。
午後5:00開演のコンサートを10時間も前から並ぶ我々をあざ笑っているかの様でした。

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券売窓口のガラスを覗いてもガランとして何1つありません。入口のドアが空いていたので会場内に入ってみると、ロビーには誰もおらずポスターもなし。奥のホールを覗いてびっくり。ステージの準備はおろか椅子1つ並べられてない。

私は公衆電話で今日の宿を予約することにしました。もちろん貧乏旅行なのでユースホステル。空いてなければ野宿も覚悟していました。

金沢ユースホステルに電話すると幸い空きはあるとのこと。
キャンディーズのコンサートがあるので到着が遅くなる事を伝えると、驚いた事に同宿のヘルパーの2人が(女性)がこのコンサートを見にくるので帰りに車で拾ってくれるという。やはりキャンディーズは地元の大きな関心事だったのだ。2人の座席NOを聞き開演前にたずねる事にしました。

~ 会場に少しづつ動きが ~ 

そのうち管理人らしきおじさんが建物から出てきて私たちに怪訝そうな目をやると
「君たち アルバイトの学生?」
とたずねてきました。コンサートを見に来た事を伝えると呆れた顔で去って行きました。

日が高くなり9:00頃になるとようやく5人組みのファンが現れました。仙台からやってきたグループで大きなラジカセ、一眼レフカメラ、紙テープ等かなりの重装備で異様な集団でしたがすぐに意気投合しキャンディーズとの思い出話等で楽しい時間を過ごしました。[1]
そのうちの1人はスポーツ刈りの男気な顔に似合わず各ヒット曲の振り付けに妙に詳しく、微笑みがえしの振り付け指導までしてくれました。[2]
彼らとはその後楽園のファイナル会場でもバッタリ対面し感激しました。彼がこの旅で2人目に出来た友人でした。

10:00を回った頃にアルバイト学生がボツボツと現れ、MMPのメンバーらしき方々も続々と玄関前に到着。入口前にありがとうカーニバルの大きな看板が張られ、プレゼント預かり所なるものも設けられました。しかしファンの数は20名程度でやはり広場は閑散、まだまだ現実感がありません。
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~ 会場に緊張が走る! キャンディーズ到着!!~

お昼近くになると先ほどから現れたガードマンの動きがあわただしくなり、あたりに緊張が走ります。すぐさまキャンディーズの到着を察知しました。この場所に通じる道は一本。この広場を通っていく事は間違いなく胸の鼓動が高鳴ります。数人のガードマンが我々の動きに神経質になり始め、この線より前へ出るなとばかりに注意を向けます。僕らは3人に迷惑がかかる様な事をする気はさらさらないので、とても腹がたちました。しかもファンと行ってもそこにいたのはたった20名足らず。

突然数台のタクシーが入ってきてあっという間に我々の前をすり抜けて行きます。あまりの一瞬の出来事でキャンディーズを確認する事ができません。後席で頭を低くして乗っている3人を見た様な錯覚はあったのですが。。。すると誰かが
「あれだ! あれが確かにキャンディーズだ!」
と叫びました。
彼の言うとおり会場の裏口に横付けされた車から出てきたのはキャンディーズでした!どっと歓声があがり皆そちら方向に行きカメラを向けます。
「ここから先に出てはダメだ!」
というガードマンの言葉に従いやむ追えず距離にして50mの場所から皆シャッターを切ります。

誰かがもっと近づこうと実力行動に出そうになると、例の仙台から来た5人組みの1人が
「そんな事したらキャンディーズに迷惑かけるし、写真も写させてもらえなくなるよ。我慢しようぜ!」
となだめます。僕に振付を教えてくれたスポーツ刈りの彼です。ファンの節度ある行動に心打たれる瞬間でした。我々はトラックで裏口の前を塞がれてしまうまで与えられた場所で撮影をしました。


#実践倫理記念館の左横の裏口に車は着いた。[3]  自分は2年後、能登に旅行した際この場所を再訪している。もちろん3人が立っている場所に行き当時を懐かしんだ。自分にとって最初のキャン光地旅行だった。
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#写真を拡大してみた。楽屋が空くのを待っているのだろうか。
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#何やら楽しそうに談笑している。
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~沢山あった当日券~

よい席は無さそうだけど、当日券は沢山残っていました。コンサート直前に来ても入れたと思います。僕と長野から来た彼は隣同士の席をゲットしホッと一息。腹も減ったので仙台の5人組みも含めて山のふもとに降りて昼飯となりました。
平和町周辺にはところどころに「キャンディーズありがとうカーニバル無料バス発着場なるものが儲けられます。
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バスを利用して会場に戻った時には次々に到着するファンで広場は一杯になっていました。いよいよ興奮と熱気が高まります。

僕らはカメラを持ちこみたかったのですが、入口でのチェックが厳しそうで断念。(実際はそうでもなかったので心残り。。) 列を見ると、腹が妙に出っ張っっていたり、片足のふくらはぎが異常に太いファンが平然と並んでおり、とても滑稽でした。
ホールの中は朝とは様変わりし立派なライブ会場に変貌。落ち合う予定のユースホステルのヘルパーさんの所に行くと27,8の綺麗なお姉さんと中学生くらいの女の子のペアでした、

~いよいよ開演へ 忘れられない For Freedom ~

「いよいよ開演です」というアナウンスが入ると、あちこちで拍手が沸き起こり、照明が落ちていきうっすら光りを放つドラムセットやマイクスタンドを残してホールが暗くなります。
ミキちゃんの歌う聞きなれない曲が優しくくあたりを包みました。
孤独な心の内にすっと入ってくる様な愛にあふれたなんとも美しい曲。つま恋の時とは違う。。いよいよ本当のカーニバルが始まると思うと胸がジーンとしてきます。
(これがミキちゃん作詞作曲の「For Freedom」でした。)

その後の事は今でも昨日の事の様に鮮明に覚えています。
3人が熱く情感を込めて全身で歌いあげた「Going in Circles」あまりの素晴らしさに背筋がぞくっとしました。

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一部と2部の間には3人の懐かしい思い出の写真がステージ後方のパネル群に映し出されるなど演出も見事でした。

#別途写真埋め込み予定

第二部の衣装が実に可愛かったですよ。そう「ちょうちんブルマー」です。確かこの後の広島公演の時にファンがそう叫んで以来その名前がついたと記憶しています。

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この衣装の時に「微笑みがえし」第1位を祝して皆でジュース無しの乾杯をやったりしましたよね。MMPのメンバー紹介も「つま恋」の時の様にエピソードを交えて楽しい時間でした。

初めて聞いたキャンディーズ応援歌「スーパーキャンディーズ」。客席の大声援に迎えられ3人が「ハートのエースが出てこない」で登場した時のあの健康的なトレーニングパンツ姿も印象的。

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こんなハプニングもありました。
興奮で感極まったファンが次々に椅子の上に立ちだしたとき、あなた(ランちゃん)が
「皆さ――ん、座ってくださーーい! 座らないと次のステージが続けられませーん」
と叫んで興奮するファンを座らせた事。

そして一番印象に残っているのは、スーちゃんが最後に涙声で言った。
「みなさんとのこのひとときを大事にしたいから解散を決めたんです。」
という言葉。
その意味がよくわかった様な気がしました。

最後の曲「つばさ」が始まると、いよいよ別れという現実を意識したのか周りのファンの表情も心なしか寂しそう。でもそれを押し隠す様にあたたかい声援を送っています。
ステージから3人が消えた後は別れを惜しむかの様にいつまでもアンコールの拍手が鳴り響きます。結局アンコールはありませんでした。[4]

皆がっくり肩を落としやや伏し目がちに重い足どりとなってホールを後にします。コンサートに早くから並んだ疲労に加え、言いようのさびしさ、切なさに襲われたのか男達の背中は悲しげでした。3人の別れの言葉をかみしめているかの様に。
でも誰の心にも今日のこのコンサートが青春の一ページを飾る思い出として残ったでしょう。

ロビーの手荷物一時預かり所は我先にという人達が殺到し大混乱。その雑踏の中で僕は佐藤君に別れを告げました。
「今日、朝の7:00から2人で並んだ事は一生忘れないよ。じゃ元気で!」
固い握手を交わし、そのまま人ごみの中でちりぢりになって別れました。[5]

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・ ・ ・ ・ ・ <名古屋公演へとつづく>・  ・ ・ 』

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[1] 前回の記事でご紹介したニッポン放送1978年3/19の「Candies Special」の録音を彼らがラジカセで聞かせてくれた事を思い出した。どこかで聞いた記憶があったと思っていたのだ。

[2]この影響で私のディスコの踊りはところどころキャンディーズの振り付けの要素が入ってしまった。(笑) もちろんちゃんとしたディスコダンスはその後、虎ノ門の喫茶店でバイトした時にヤンキーな兄ちゃんから教えてもらった。自分のオリジナリティーとして少しだけキャンディーズの振り付けを残している。(笑)

[3]この時の衣装そのままでリハーサルをやったと思われる。当時の雑誌に同じ衣装でのカットがある。(音楽専科別冊 キャンディーズラストアルバムより)
#私服でのリハーサル写真

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[4]実際はファン同志の乱闘騒ぎがありアンコールを続けられる状態でなかったと推察される。これに関しては当blogの龍人さんの過去記事が詳しい。
http://blogs.yahoo.co.jp/ryusbar64/30771807.html

[5]彼の住所は記録してはずだが実家を探しても見つからなかった。もう五十路にさしかかっているだろう。元気でいてくれる事を祈っている。このblogを見ていたら連絡して欲しい。

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記事の掲載が遅れてしまってすいません。
自分はこの後金沢ユースホステルに泊ったんですが、消灯時間が近づいているのに身支度がすすまずやや放心状態でした。宿のヘルパーから「大丈夫?キャンディーズで頭おかしくなった?」と言われたのを今でも覚えています。

次回は名古屋公演の思い出をたどります。