1978年3月21日、金沢から朝の特急「加越」に乗って次の公演地 名古屋に向けて出発した。


貧乏旅行に特急なんて贅沢と思われるかもしれないが周遊券で特急の自由席は利用できたハズである。当時の写真を見るとL特急「加越」で米原まで行きそのあとは安く上げるため東海道の普通列車で名古屋に向かったと思われる。
#米原で北陸線から東海道線に乗り換え。一路名古屋へ


今回も34年前のランちゃんへの未完のファンレターをベースに思い出をたどります。下書き状態だったため細かい修正を入れながら、なるべく当時のままの文章で掲載します。
金沢講演まで詳細すぎる程書いていたが、名古屋公演はさらっとした記述に終わっている。
-------- ここから ---------------------
『・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ずいぶん長々と書いてしまい申し訳ありません。こんな筈ではなかったのだけれど筆に任せていたらつい長くなってしまい。
とにかくこんな調子でその後、名古屋、広島、新潟と旅を続け、最後の後楽園のステージも当日に券が手に入り幸運にも観る事ができました。
僕の観たありがとうカーニバルの中では広島公演が一番素晴らしかったと思います。
・ ・ ・ ・ ・ <中略> ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
名古屋公演はあいにく天気が悪く雨の中で待たされた上に散々な目にあいました。[1]
名古屋市国際展示場での公演。広い会場でありながら観客席に全く傾斜が無いのに加えて、真ん中あたりのファンが係員の制止も聞かず椅子背に腰掛けて観ていたので、末席のほうにいた私は3人の姿が殆ど見えませんでした。[2]
ステージの上段にいるMMPを下におろして、上側でキャンディーズが歌うべきという声も出ていたほどひどい状況でした。
#カメラは持ちこめたが手を高く掲げないと撮影できず全ての写真が手ぶれになって
しまった。

しまった。

#MMPの方々には申し訳ないですが後方の席からは3人がよく見えず、キャンディーズと上下逆にすべきだという不満まで出ていた。

一番可愛そうだったのは母親に連れられ見に来ていた小学校低学年の小さな女の子。大好きなキャンディーズを見に来たのにこの有様で最後には泣きだす始末。
音響効果も悪く3人のおしゃべりがちゃんと聞きとれず、こんな席をS席として売った鵜飼興業を恨みました。
音響効果も悪く3人のおしゃべりがちゃんと聞きとれず、こんな席をS席として売った鵜飼興業を恨みました。
・ ・ ・ ・ ・ <次回へつづく>・ ・ ・ 』
--------------- ここまで -----------------
[1]goo天気で調べるとこの日の名古屋地方は午前中曇りで午後より雨となっている。
[2]持っていたチケットは後ろの席ばかりだった。チケットの手配がギリギリだったためやむ負えないがこのS席には本当に腹がたった。
- - - - - - -
このさんざんだった名古屋公演のあと広島公演まで2日あり、合間に山陰方面に小旅行の予定を入れていた。(実際は鉄道撮影) ところが京都発の山陰線夜行ドン行列車に間にあわず足止めを食い、結局、京都駅で始発まで一晩過ごす事になってしまった。この深夜の京都駅でまた様々なハプニングが。
続きは次回。
【追記】
季節のスケッチさんの御指摘でこの名古屋公演ではアンコールがあり「さよならのないカーニバル」が歌われた事がわかりました。確かに以下の写真を見ると「つばさ」の後に再びステージが盛り上がっています。ジーット目を閉じて当時の記憶を呼び覚ますとなんとなく思いだしてきました。このアンコールの時に多分、すべての観客がどんどん前の方に出て行ったと思います。完全に忘れていました。
写真は同じく頭上撮影による手ぶれなので、3人は上半身くらいしか見えなかったと思います。席が前のほうでなかったことが悔やまれます。
#最後の「つばさ」を歌うシーン

#アンコールで再び燃えいあがる。「さよならのないカーニバル!」
