場所はえーと渋谷の道玄坂だ。プリメイラ道玄坂というビルの5F。」
近所に住む幼馴染のO君はそう言った。
そ、そんな組織があるのかと思ったが、とにかく藁をもすがる思いだったので早速メモを取った。
彼は私がキャンディーズの追っかけをやるという暴挙に驚きと好奇心を抱いている様だった。
「あれ、キャンディーズのファンだったっけ?」
「あ、、いや まあ春の卒業旅行みたいなもんで。いつもの鉄道の撮影のついでにキャンディーズのライブも見るだけだよ。まあ今すごく話題だしな。ははは」(汗)
あわてて取り繕ったが幼い頃から何事につけ奥手たっだ私を知る彼からしてみれば信じられなかっただろう。彼とは中学の時に福島県の日中線、会津線にSL C11を撮影に行ったことがあった。
「でも、もう切符なんか売れ残ってないよ。」
結構辛辣なコメントだった。
ところで彼は何でこんなに芸能界に詳しかったのか、今思えば情報ソースは少年漫画雑誌だろう。小学生のころから少年マガジン、サンデー、キングを購読していたと思う。彼の家にはマンガがいつもあふれていた。例えば少年マガジンは当時から音楽、芸能、SF、プラモデル、ラジコン等遊びやサブカルチャーの情報満載。キャンディーズの情報もそこから得ていたハズである。当時の男の子達は「明星」や「平凡」など恥ずかしい思いをして買わずとも漫画雑誌からアイドル情報は十分に得られたのである。
「ぴあ なんか見たって載ってないよ。」 彼は自慢げにそう言っているようであった。
#例が前年のもので申し訳ないが、以下少年マガジン 1977年 31号での日比谷野音ライヴ直前のグラビア特集。キャンディーズが原宿、日比谷等でとジョギングスタイルでロケ。




#最終頁の新宿の写真の右下には7/17日比谷野音での初の野外コンサートの件、及びチケット問合せ先(夢の企画舎)の電話番号が書かれている。この年の夏、多くの少年が一斉に電話をしたことだろう。
私は浪人時代はマンガは誰かの読み残しのジャンプやビッグコミックをたまに手にする程度であまり読んでいなかった。少年マガジンの購読。この差が2人の間にこれだけの行動力の差を生んでいた。しかも彼は現役で大学に入っている。
自分の高校の校長は毎年夏休みになるとマンガや週刊誌はくだらんと言って推薦図書100冊のリストなどを配っていたが「カラマーゾフの兄弟」も「人間失格」も、この問題に関しては何も解決してはくれない。キャンディーズ解散まであとわずかの時に太宰を読んで暗く落ち込んでいる時間はなかった。
少年漫画雑誌はバカにできない。事実あれから34年たってマンガもアニメも初音ミクも今や世界があこがれる日本文化の象徴であり一大コンテンツ産業になろうとしている。
ところで、その幼馴染のO君はどうやらピンクレディーのファンだった様だ。(笑)
庄野真代のコンサートにもよく行っていたと思う。
-----------------------------------
向かいのO君の家を訪ねたのは多分3/5(日)~3/9(木)あたりのどこかだと思われるが記録はない。キャンディーズの追っかけのチケット入手を急がねばならなかったが、入学の手続きなどいろいろやることがあってバタバタしていたと思う。
キャンディーズが出演しているラジオの存在に気づきはじめたのもこの時期だ。
3/4(土)の夜にはTBSラジオのヤングタウン東京にライブ出演。
この時はピンクレディーを迎えての歴史的なお別れのセレモニーだった。
(実際のヤンタン出演の最後は4/1の「キャンディーズラジオさよならコンサート」である。)
詳細は当方の1/7の記事をご参照ください。
1978年3月4日 ヤングタウン東京 キャンディーズ&ピンクレディー【追記有】

当日は気づくのが遅く最後の30分しか録音できなかったが、その後、あるキャンディーズファンの方の御好意で前半部分の音源を入手。全編Youtubeにアップすることが出来た。
http://www.youtube.com/watch?v=1MPVSnH2psE
http://www.youtube.com/watch?v=tynG3JhRy0k
http://www.youtube.com/watch?v=dXbp3iL0GFw
http://www.youtube.com/watch?v=-QnwLGhGPY4
この時のライブはこの水色のドレスだった。(写真は別のコンサートのものです。)

ヤングタウン東京のLiveを聞いてキャンディーズへの想いはますます深まる。
なぜかこの後25:00からの鶴光のオールナイトニッポンへの出演はチェックから外れていた。鶴光の延々続く猥談とキャンディーズのイメージが結びつかなかったのであろう。いつものFM東京 渡辺貞夫マイディアライフを聞いて寝てしまったと思われる。残念な事をしたが、後日つま恋ツアーの帰りのバスでファンの方の録音テープを楽しむことができた。
続きはまた明日。
* * * * * * * * * 追記 * * * * * * * * * * * * * * * *
・当時の少年マガジンのキャンディーズのグラビア例を画像追加しました。
この写真は前年1977年7/17の日比谷野音でのライブ直前の3人です。心なしか、全体にいつものキャンディーズのオーラが足りない気がする。疲れていたのだろうか。
最終頁の解説には
「。。。新曲『暑中お見舞い申し上げます』から自分たちで作った歌まで、初めての野外ステージに燃える3人。。。」
とある。
日比谷野音での出来事を思うと写真を見ていてちょっぴり複雑な気持ちになる。
特にミキちゃんがさらに痩せた感じでいつものオーラが弱い。
ヤンタンの写真と見比べるとそれが分かる。
先日の3/3のearly Candiesの写真と比べてもだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/sambahos/archive/2012/03/03
でも解散宣言後のミキちゃんは再び大きく輝きだした! もちろんランちゃんもスーちゃんも!
* * * * * * * * * 追記 その2 * * * * * * * * * * * * *
・この少年マガジンの記事に関しては2010年に他の方のblogでも話題になっていたんですね。みきでぃーさん Never4get1978さん情報ありがとうございます。
http://blogs.yahoo.co.jp/intervals_32yr/1153347.html
http://blogs.yahoo.co.jp/intervals_32yr/1436877.html
http://blogs.yahoo.co.jp/intervals_32yr/2092652.html
みなさんが同じように異変を感じられていた事に驚きました。
これに関して興味深い雑誌記事がありました。
解散宣言直後はミキちゃん、ランちゃんは体重がぐっと減って悩んでいたそうです。コンサートも多いうえに解散宣言直後で心労も絶えなかったのでしょう。3人で焼肉や寿司で体力つけたいとこですがあまり太りたくないスーちゃんは大弱りだったとのこと。そのスーちゃんは弟さんと生まれてから3度目のパチンコに行ってストレス解消をしていたみたいですね。下町娘らしくて微笑ましいです。そのお姿見てみたかった!(笑)
(「明星」1977.11月号より)

この頃は彼女が3人のムードメーカーだったかもしれませんね。
「あたしパチンコで当てちゃった!今日はおごるわよー!」とスーちゃん。
「このところその自慢ばっかりなんですよ~」とミキちゃん。
「今日は焼き肉はだめだけどお寿司ならなんとか。。」とランちゃん。
「なんだ、ラン先輩元気ないね。よし美味しい寿司屋知ってるよ!行こう行こう!」
妄想が止まらない。。。(笑)