”時間”とは、“時”と“時”の”間”のこと
私はそう思っています。
中学2年生のとき、腕時計がたまたま電池
切れで止まっていてたのを目にした瞬間、
悟ったんです。
「時計の針が示す“時間”というのは誰かが
決めたものであって真実ではない」と。
それから腕に時計をはめるのをやめました。
だまされないぞ、って思いがあったなあ。。
クリーン・ランゲージでは“時間”や“空間”と
いうメタファーに意識的になります。
私は瞑想を通して、時間が縮んだり伸びた
りする経験をしています。でもたとえば、
楽しい時間は早く過ぎ、退屈な時間は長く
感じる、というのはどんな人も体験してい
るはず。
時間を観念的に説明するならそれは、1日
24時間という時計の針が示す時間のことで
すよね? それは秒刻みで切れ目なく連続
するもの。
でもメタファー的に言うなら、私にとって
は”時”と”時”の“間”のことなんです。
その”間”に意識を向けると、世界が変わる。
その”間”にこそ永遠の<生>がある。
その”間”があるからこそ、さっき体験した
ことが自分の中で落ち着く。
その”間”は必要なだけ伸ばせたり縮めたり
できる。
その”間”の中で、いやしが起こる。
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次から次に、イベントからイベント、新し
い体験から次の体験へと動いて、”間”を持
たない人の、何と多いことか。
いったい何を”得たい”のでしょう? ある
いは何も得たくないのかもしれませんね。
田舎に行けば行くほど空間と時間に意識
が向きます。瞑想が”起こる”可能性も強
まる。
都会では山ほどの楽しそうなイベントに
意識が向きます。”間”を得るために瞑想
が必要です。
ホントに、、、。
斉藤だそさんのメッセージを引用させていただきました