去年スワミジの生誕祭によせて書いたブログはこちらです

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今年2024年スワミジの生誕を祝して何を書くのか‥

のっけから期待してしまう自分がいる

それは去年とでは大きな変化があるからだと思う

 

2023年は

押し出されるように大きな変化、流れがあった

 

・ヒーリングスクールを退学したこと

・夜間の救急外来の仕事を退職したこと

 

自分の生活を占める大きな二つを手放した

後者の場合は社会的に機能すること(履歴書で仕事をする)

これをやめたのだともいえる

 

社会的にグラウディングすることをやめた

本質的な自分で生きるには地球はあんまりにも重い

もっと自覚的にふわふわしてやろうと思っている

それを意図するかどうかは怪しいところだけど

無理から重く生きる必要もないだろうくらいに

低空姿勢よりも飛べるところでは飛んでいてもいいだろう

大地にのめり込むくらいグラウディングした

もうこの経験はいいだろう

パスしたい

どう書くかは自分次第

どう生きるかは当たり前だけど自分次第

2024年はじめての新月を迎えて

一層にフェーズが変わったじゃないかと思う

 

 

スワミジは私に常に絶えることない

啓蒙と高いビジョン、霊性への道

人生に対する力強い明晰さを与えてくれる

その存在に変わりない

私がどう現世的に変化していこうと

つねに立ち戻るべき指針がスワミジにはある

私にとっては常にグル(霊的指導者)である

肉体としては存在していないが

それ以上に大きな存在だ

 

 

1893年シカゴ宗教会議(万博)に

スワミジはヒンドュー教代表として出席するのに

正式な招待状ももたず

たしか、一式の僧衣と片道の船賃(一等車)しかもっていなかったといいます

スワミジが母国を出て、西洋に渡ったのは

(日本にも立ち寄っている!)

19世紀後半から20世紀をまたぐ当時ですので

写真は珍しいころです

この一枚の写真はおそらく宗教会議のあとに

熱狂的な旋風を巻き起こしたまだ無名だった

スワミジがアメリカで撮られたお写真なはずです

残された写真のなかで

このお写真↑が私はとても好きです

年末から年越している美しい白い菊とともに撮影してみました

 

私が個人的にスワーミーを知ったのは

はじめてのインド、忘れもしない刻印された日付

2008年5月

南インド、ケーララ州にある

シヴァーナンダインターナショナルアーシュラムに滞在しいていたとき

金曜日のアーシュラムのお休みの日に

連れて行ってもらったツアーを思い出すことからはじまります

(おんぼろのワンボックスカーに朝7時集合で乗りこんだ)

 

インド最南端のカーニャクマリ岬で

夕陽をみるというのがツアーの最後だったのですが

(その夕陽は素晴らしかった!)

その前に何やら長蛇の列に並ばされます

常にこれからどこに行くのか?どこに行ったのかさえ

よくわからないツアーでまさにミステリーツアーでした

 

どこに行っても観光客は皆無だったし日本人も見ませんでした

そのツアーはヒンドュー教徒以外は入れない寺院にお詣りにいったり

(アーシュラム、という僧院から来ているので外人、異教徒であっても入れたようです)

人口的な瀧?のようなところにいったり(行水)

まさにスピリチュアルツアーだったのです

(聖地への巡礼ということが、アーサナだけがヨーガではなくて、ヨーガのなかの一つであることを知るのも随分と後のことです)

 

それでその長蛇の列に並んでいるとき

どうやら今から船に乗るらしいことがわかってきました

それも行き先もわかりません

ただものすごい信仰心のみがインドにはあること

そのことだけはヨーガをはじめて一年目

インドの叡智の奥深さについてその霊性について

ほぼ何も知らない自分にも

そのことだけはわかるような熱心な長蛇の列でした

だからこれは日本でいうお伊勢詣りみたいなものかとか

そういう解釈をしながら友人と待っていました

 

船着き場の今からこれからようやっと乗れそうだというときに

同じシヴァナンダアシュラムから来ていた

インド人の青年となぜか私は片言の英語で話すことになります

そのときに彼はS-VYASA大学の学生証を見せてくれて

自分はヨーガの大学で学んでいて

今休暇でシヴァナンダのアシュラムに来ているのだと教えてくれたのです

 

彼はその時に名前とメールアドレスを書いたメモを渡してくれたのに

帰国後すべらかな英語も出てこずに

自分は一度もメールすることはありませんでした

それでも彼は私に多大な指南をしてくれていたのです

それはまたあとにも出てくるとして

 

S-VYASA大学の文字だけはそのとき強烈に目に入ってきました

その大学がなにを意味するかも

(ヨガの大学があるのか?へー!くらいにしかその時は思わない)

それがこれから行くことになる

「ヴィヴェーカーナンダ岩」とどう関係しているのかも

全く何も知らなかったのです

おそるべくことです

というか「ヴィヴェーカーナンダ岩」という単語さえ知りませんでした

この無知さといったらどういったことなのでしょうか?

はじめてのインド体験は完全な無知

情報の無さといったらほんまになんも知らん

sivananda yogaのプログラムにある(どの国でも共通の)

はじめと終わりのマントラと呼吸法と太陽礼拝と

いくつかのポーズしかほんまに知らずに

インドのアシュラムにいったのでした

(当時通っていたヨガスタジオのティーチャーにそれだけで大丈夫って言われてたし笑)

 

言葉としてはチャクラとかクンダリニー

ヨーガの八段階を知るくらい

とくに見えないエネルギーがあることは感覚的には知っていたし

実際には秘かにこの部分にすごく惹かれたのがヨガでした

 

自分はヨガの文字通りのポーズ(アーサナでさえなかった)を体験した当初から

シャバアーサナ(屍のポーズ)のとき

アーサナを終えた後の軽い坐法のとき

眉間に美しい光を見ていました

たいていは紫色の光が見えるのでした

 

その光は今までに見たことのない光であったので

この光はなんだろう?という思いがありました

インドに行ったらこのことの意味がわかるのでは?と思っていました

日本では誰も答えてくれる人が周りにはいなかったし

こういうことをいうのは正直はばかれました

ふしぎちゃんを装っているようでね

これはなんだかとても美化したような言い方かもしれませんが

はじめての経験というのは何かとても純粋さがあるものです

 

何度も言うようですが知識はなかったのですが

はじめてのインドでは

強烈な「経験」のみがありました

そこにその中心には

偉大なスワーミーがいらっしゃって

その導きをえるというものだったのだと

今ならはっきりと思えます

 

 

話を戻すと

船に乗る時にはアシュラムから参加している日本人が

私をいれて四人

この旅

(インストラクターコースとかではなくてヨガ・ヴァケーションというプログラム!)

に私を誘ってくれたミキが

一緒に居たはずなのですが

オレンジ色の決して綺麗とはいえないライフジャケットを来て

これから乗り込むぞという感じになると

揉みくちゃ状態で気づいたらインド人に囲まれて

難民船のようなボートに乗り込んでいました

 

座りついたらすぐにもう好奇心旺盛なインド人の質問攻めです

(インド人はインド訛りであろうと猛烈に英語を駆使します)

のっぺりと薄い顔の日本人がとても珍しいのか‥

 

何人か、名前は?

(カーストを知りたいらしい、というか

外人やからアウトカーストやねんけどって思っていた)

結婚しているのか?仕事は?年齢は?

何しに(インドに)きたのか?

 

そんな質問攻めにあっているうちに

ボートから降りるとそこは強い風がふく

海の上のほんとに小さい島

島というよりロックといわれるように「岩」でした

建物があってその聖堂の大理石には

裸足であがるのですがなんと冷たく気持ち良いことか!

オーム音だけが流れる暗い部屋にも入りました

そこは永遠居れるくらいの心地よさで

安心感しかなかったことも未だに覚えています

 

 

Samana-Usna . YOGA   ( 大阪狭山市ヨガクラス )

 

 

記念碑なのだろう

大きな人物像のモニュメントがあるのです

ミキと二人で「この人誰?」ってはっきり言っていたこと!!

弘法大師的な?みたいな

あながち間違っていないのですが

 

その大きな足元の石像に子供達がよじ登ったりしています

この写真も気に入っていた一枚↓

 

Samana-Usna . YOGA   ( 大阪狭山市ヨガクラス )

 

この御足こそ、誰?って思っていたのが

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダでした

 

当時この時の写真はデジカメ

なので今は残念ながらメモリーカードがどれなのか?

わからない状態です

プリントアウトしたかどうかさえ覚えていません

探したらあるのかしら?

 

この写真は以前のブログからひろって書いたものです

 

 

 

この自分のブログ↑からひろってきました

簡単に写真てコピペできるんですね!?

まあ自分が撮った写真だからいいですけど

簡単にパクれるじゃん笑

 

そうなんですね

現在ではスワーミーを讃える名前のついた岩は

昔からあって

スワーミーは西洋に渡っていく前に

この岩に泳いでわたり

三日間瞑想して

そこでシカゴ宗教会議に行こうと決めるわけなんです

まず、当時から渡す船はあったそうですが

修行者であり無一文でもあったスワミジは泳いで渡ったということです

 

かなりの距離もありますしここは

三つの湾、

アラビア海、インド洋、大西洋が交わり

潮流の激しいとても危険なところでもあります

 

スワミジはインド人で知らない人がいないくらいの偉大な聖者

ラーマクリシュナミッションの僧侶はスワミジのことを

「預言者」とおっしゃっています

日本人には「預言者」というのは馴染みがなく

こういった背景がないので

少しこの言葉には偏見がありそうですが‥

このブログを読んでくださっている人には大丈夫だとしてスルーします

 

 

スワミジが瞑想し、悟った岩

その霊的なスペースとしてこのように残っているわけです

 

まずその場所を経験したわけですね

そしてブックショップに入ろうとしたら

さきほどの青年がまたブックショップの前にいたのです

そこで本を見ていたら

彼が僕の大学の先生の教科書だよって本をすすめてくれたので

英語の勉強にもなるだろうと本をかいます

そしてそのブックショップをでたところで

日本人の女性で同じアシュラムに滞在していた(今は沖縄に住んでいる)

東京から来ていたWさんに日本でも

ヨーガセラピーとして勉強できるよと教えてもらったのです

それが日本ヨーガニケタンです

今ではそのスワミヴィヴェーカーナンダヨーガケンドラアヌサンダーナ

大学のプログラムが日本でも受講できるそうです

 

 

 

で帰ってきてすぐに西宮にあるニケタンで

ヨーガインストラクターコース(YIC)

つづけてヨーガ療法コース(YTIC)を受講修了することになり

ようやっとはじめてのインド体験の意味や知識が入ってくることになります

ミステリーを読み解くようになったのです

 

あの方が誰であったかを知ることになり

ヨーガから

聖典を学びたいと思うようになり

ラーマクリシュナ・ミッションの日本支部である

日本ヴェーダーンタ協会からの大阪講座に通うようになり

そしたら体のヨーガやヨーガセラピーよりも

哲学、その霊的な学びにぐんぐんひきこまれていった

そしてその中心には常にスワミジがいらっしゃたというわけです

 

何度も読み返し

新しい驚きと発見

何をわかったつもりでいたのだ?という

ふりだしに毎回戻ることになります

 

 

 

夜勤の習慣で睡眠サイクルが完全に破壊されている私

まだまだぬけきっていなくて

(辞めてまだ10日も経ってない)

仮眠交代の時間に起きる癖が悲しいかな残っていて

昨日その時間にまた起きてしまったな

何時かな?とスマホを握ったら

一件メールがきています

facebookからのメールです

ほぼ無視するのですが

ミキが投稿しているというお知らせメールでした

で、ミキのフェイスブックを読むと

どうやら仕事を辞めたような感じなのです!

一昨年タイでミキと再会していて

去年の正月にもLINEで挨拶していただけでした

それ以来一年は話していなかったのです

 

彼女は今、マレーシア はペナン島にいます

私も仕事をやめてほぼ同時期に彼女も転職?

それで今日、というか日付変わっちゃったけど

1月12日のスワミジの生誕祭の日に

ミキとzoomで再会することになりました

 

彼女がペナンに行ったのは2019年のコロナ前

秋でした

私もこの頃から病院の仕事をしていて

同じ頃に二人ともはからずも一緒に仕事を辞めている!

この同時性に驚きました

今までもひさしぶりに会う度に

互いに経験していることその種類や環境は違えども

内的な経験がほぼ似たようなことで

またまた答えあわせをするような感じ

 

今日改めて

この日に

彼女がソウルメイトでなくて誰がソウルメイトなんだかって

ソウルメイトという表現はあまり好んでいなかったのですが

ミキの誘いなくして私はインドには行かなかったし

インドに行かないと私のこの道はなかったわけです

あの三つの湾が交わる

あの海をみてあの場所に行って以来

ヨーガの道があり続けていること

自分の力ではない偉大な大きな力

はからいが働いていること

そのことに感謝せずにはいられない

そんなことを思いました