このブログの読者さまで
死海文書にどれだけの方が
興味を抱いてらっしゃるかはわかりませんが
私は興味深々なので共有させてもらいます
(未読ですがシヴァーナンダ師も「死海文書」について本を書いています、自分はスワミー・ヴィヴェーカーナンダ師が見たビジョンに大きく影響されていますが、インド絡みに置いても「死海文書」とは決して遠いものではなく霊的にはインドともつながっておりますことは何やら自分は確信しています。と言いますのも霊的な叡智、真理というものは普遍であり人類においては共通、同じなのです)
1947年に死海はクムランから発見された巻物
それが今年この全世界を巻き込むコロナ禍
2021年3月にも新たにその断片が発見された
ニュースが飛び込みました
ちょうどその時、自分は
アメリカのある女性の退行催眠で
クムランに存在しただろう
エッセネ派の
<スディー>が登場した
『イエスとエッセネ派』が新刊本として手にして
読んでいる渦中でした(現在も完読してません笑)
そのときのブログはこちらです
そして今年三月の新たな死海文書の断片が発見された!!
ニュースをうけて書いたブログがこちら
今回のニュースでは
死海文書で見つかった巻物で
完全な形のものは七つあるそうですが
そのうちのイザヤ書(7メートルの巻物!!)の
書き手が二人いた!ということが
現代の最新技術(AI)で判明したというニュースでした
(出元はニューズウィーク日本版)
それでまず
死海文書とは何か?ということを
この記事から(一番上にリンクしている記事です)
おさらいさせてもらいますと
一連の文書は紀元前250年から紀元70年ごろまでに書かれたとされ、その内容は旧約聖書正典の写本のほか、外典および偽典、そしてクムラン教団の規則を記した教団文書などで構成される。(中略)その製作者は謎に包まれたままだ。写本を行った人物あるいは集団は、彼ら自身に関する記述を死海文書中に一切残していない。 洞窟近くの遺跡で集団生活を送っていたクムラン教団による写本であると見られるが、教団については古代ユダヤ教のエッセネ派とする説とそれを否定する材料が入り乱れており、真相はいまも謎のベールに包まれたままだ。
学術的というか
文書研究からでは
一般的にはこちらの記事にもあるように
死海文書の書き手(クムラン教団)については謎で
エッセネ派か?いや他の教団だというのがあるそうで
真相はわかっていないのです
それで
ある女性の過去生が退行催眠によって現された
クムランにいた教団はエッセネ派であるという
その構成員の一人<スディー>の語り(声)によって
謎であるという引用↑線部の
「彼ら自身に関する記述」が
『イエスとエッセネ派』では随所に紹介されています
ところで自分はまだこの本を完読していなくて
まだイエスの存在さえ出てきていない感じなのですが
(他に読んでいる本もあるしサラサラと読めるものでもなく)
退行催眠によって
死海はクムランに存在したという
エッセネ派の一人<スディー>という人物の過去生が
呼び起こされた
事細かに語るその<語り>を
それがそのまま真実であったのでは?ということが
最近になって発見された
死海文書の研究によって明らかにされていく‥
通説ではミステリー謎に包まれているけれど
退行催眠によって出現した
エッセネ派のスディーが語るところが
現代の研究で明らかに裏打ちされていく
それ(退行催眠のよるある過去生の語り)が真実である
ということが裏打ちしていく
この符号感に
密かに興奮している自分です
このことはこの退行催眠家であり
著者であるドロレス・キャノンが
「第1章すべてのはじまり」で書いている
輪廻転生が実証されたということでもあります
過去生を見るということは
魂は転生するのだという
輪廻転生が大前提となりますから‥
退行催眠という手法は、人々の過去生の記憶を蘇らせ、その時の人生を再体験できる。人生が一度かぎりのものではなく、人がこの世に何度も生まれ変わってくることを<リインカネーション(輪廻転生)>という。
『イエスとエッセネ派』ドロレス・キャノン、白鳥聖子訳、ナチュラルスピリット
もう一度確認しますと
退行催眠によって出てきた過去生の語りは
輪廻転生を証明することでもあるということなんです
世の中にはもちろん輪廻転生を信じない人もいるでしょうし
過去生を蘇らせるなんてことは
戯言、妄想にしか過ぎないと思っている人もいるでしょうが
退行催眠によって出てきて
事柄が
この場合は
死海文書の研究によって
証明された事柄があるってことで
ある程度はそれは戯言でもなくて
ある種実証された部分もあると言えるのではないでしょうか
今回この記事では
このようなことが書かれています
ポポヴィッチ博士は今回の研究により、写本を製作した古代の人々が、個人ではなくチームで作業に当たっていたことが示されたと結論づけている。また、酷似した文字で綴られていることから、学校あるいは家庭における教育制度が存在し、そうした場所で同じ訓練を受けた者同士による共同作業だとも考えられるという。
この引用は記事にのっている現代のことですが
博士が今回の研究で分かったこと
教団内での写本作業が
チームでの作業、教育制度の存在とはそのまま
<スディー>が語っていることでもあるのです!!
クムランで暮らすエッセネ派の人々の主要な目的は「知識の蓄積と保護」であった。そしてその知識を存続させることである。彼らは、その蓄えられた叡智を引き継ぐ資格のある者たちに教え、継承させることを目的として生きていた。またエッセネ派は隔離された世界で暮らす、穏やかでおとなしい民族だった。
『イエスとエッセネ派』ドロレス・キャノン、白鳥聖子訳、ナチュラルスピリット
これはこの<スディー>の存在に出会うまでは
古代ユダヤ教やエッセネ派の知識がほぼなかったという
著者で退行催眠家のドロレスキャノンが書いている文章ですが
結果的にはローマによって(ローマ人は恐ろしく人を殺しています)
惨殺抹殺されたエッセネ派です(生き残った人がより地下に潜ったのかもしれません)
すでに当時からひっそりと秘密裡に
クムランにいたのではないでしょうか
当時から迫害の危機に関して
(ユダヤ・キリスト教の歴史において「迫害」「弾圧」の歴史は事欠きません、ですから本質的で本来的な宗派は政治的な権力によって迫害弾圧抹殺されるために地下に潜らずには永続できなかった=秘教が生まれる)
とても敏感でナーバスであったことは
<スディー>の語りにも出ていますし
彼らはこれらの巻物(写本)を
叡智として守っていくことが
任務でもあった、自分たちの命以上に
叡智を守ることに使命を感じていた一派(エッセネ派)で
あったといえるのかもしれません
(ローマ人による酷い拷問にも決して屈さなかった高潔さはのちの史実に伝えられています)
『イエスとエッセネ派』の第14章巻物と聖書物語というタイトルでは
写本(巻物)に関して次のような記述があります
クムラン共同体の活動のひとつには巻物の執筆と複写であり、文献を世界中のさまざまな地域へ配布することだった。ある意味「出版社」であったのだ。
S 図書館での主な仕事内容は貴重な知識として保存することだ。すべては後世に残すためである。記録として残したあと、それらの巻物を保護するためにさまざまな国へ配布する作業もする。この世にひとつでも多くの巻物を生き残させるためだ。
『イエスとエッセネ派』ドロレス・キャノン、白鳥聖子訳、ナチュラルスピリット
このSとは<スディー>の語りの部分です
エキサイティングです!!笑
もう自分はこの本を読みながら
魂が「いいね」「いいね」を押しまくるんですが!!
で、現代の記事で書かれています
今回の死海文書で完璧に残っている
イザヤ書について
<スディー>が語っている部分を引用させてもらいます
S イザヤは知っている。彼は預言者だ。君は本だと思っているが、それは本ではない。それはトーラーの一部だ。トーラーにはイザヤの預言の内容が記されている。他にも‥
『イエスとエッセネ派』ドロレス・キャノン、白鳥聖子訳、ナチュラルスピリット
ここで、え?
トーラーってなに?ってことになりますよね
私はなります
巻物とトーラーは違うらしく
これまた<スディー>はこのように言っています
S トーラーには律法と預言が記されている。トーラーは基本的にはアブラハムの時代の話からはじまっている。それ以前に起こった事象についてはほとんど書かれていない。それ以前の話は巻物に書かれている。トーラーはアブラハムの誕生の話から始まる。
『イエスとエッセネ派』ドロレス・キャノン、白鳥聖子訳、ナチュラルスピリット
巻物より後にトーラーが存在するということですよね
アブラハムとはノアの洪水で出てくる人類の救済者
初めての預言者です
アブラハム以前が巻物なのか!!
お〜〜
と感嘆しながらも
まあ自分は正直
浅はかにも聖書(新訳も旧約も)
ほぼほぼよう分かってないからね笑
そんな自分がキャーキャー書いていいのかしら?
そんな自分の
一般的な初歩的な理解として
wikiによると
トーラーとはヘブライ語で書かれた
「モーセ五書」のことらしいです
これまた「モーセ五書」ってなんやねんて
キリがないのでこれはこのあたりでおいておいて
現代の研究では
<スディー>がいうような
クムラン教団(エッセネ派とも断定していない)が
世界中の叡智が集まりそうしてそれを
世界中に広める「図書館」としての役割を要していたとは
判明されていないが
これだけの写本(巻物)があったということは
世紀の発見として
事実として発掘されニュース記事にもなって
配信されている研究もイスラエルではされているということなんで
そういうことがもっと分かっていくかもしれないし
それを待つよりも(死んでまう)
この本に書かれているようなことが
実際にクムランであったのでは?と思うことの方が
なんだかすんなり説得力があるなぁと
そんなことが過去から交差してくる
プッシュしてくる
そんな時代の裂け目を感じます
ニュースでも言われるように
伝えられる以上に
大阪の病院の現実は(逼迫とか医療崩壊とか)
本当にひどい状況であります
このコロナ禍で見せつけられる現実(肉体を持ったレベル)と
死海文書、エッセネ派にスイッチする現実(魂レベル)が
同時であること
どちらかに偏るということなく
この事実にただただ圧倒されております