読みかけの本がいくつかあって
自分にとっては待望の本であったのが
この『イエスとエッセネ派』
 
待望と言っても
この本が翻訳されることも何も知らなかったけれど
Amazonの購入履歴からだと思うけれど
ふとこの本が上がっているのを見つけた
 
こんなタイトルの本は知らなかったなぁと思ったら
そのはずの新刊本の紹介であった
(エッセネ派についてはとても興味はあっても日本語の書物がないのである。この本の翻訳者である白鳥氏も後にエッセネ派に関する参考文献を載せているがほぼ英語文献!!)
 
今年の2月に新刊されていて
すぐにポチってから
かなり分厚い本だけれど
内容に引き込まれてはいくものの
途中で何度か立ち止まるを繰り返している
 
まだ読めていないのに
この本を読みかけ途中として
ブログにしようと思ったことを
すでに後悔しながらも書いている
なぜこの本のことを書かないといけない氣がしたのか
自分のことながら氣がしれない
 
それでも好き勝手の自分のブログだから
書かないという選択肢
写真だけのタイトルだけのお蔵入りにすることもできる
なのになぜか
やっぱり書かないといけないみたいで
神妙な面持ちでノートパソコンのキーボードを叩いている
 
画面の向こう側では夜になると寒くなるので
電気ストーブをつけた
その前にニャンコが寝ている
コーヒーまで淹れにいきマグカップが左横に鎮座している
なぜそんなにしまった!
なぜこれを今書かなきゃならないのか?と自問するかというと
 
とってもとってもおおものだからである
とってもとっても
大きな存在に働きかけようとしているからである
まさに魂のミステリーそのものだからである
 
自分の過去生含めて
魂の軌跡を紐解くようなことだからである
 
だから
それは本当は書かなくてもいいはずなの
ごく個人的であり(まあこのブログ自体がとても個人的なんだけれどね
私がわかっていればいいのだから
でもなぜか今宵は書かないとすまないようだ
他にもやるべきことがたくさんあるっていうのにね!!
ぷんぷん(そんなかわいキャラでもないわな笑)
 
これは自分の記録用にということも兼ねているのか
ここで少しあなた
頭をまとめなさいという感じか
諦めて抵抗はやめて
流れに乗って書いていこうと思う
 
 
自分は退行催眠(催眠療法)を受けたこともないし
(この本を読んだら興味がでたが)
自分の前世に関してお金を払って
誰かにみてもらうということには全く興味がない
 
こんな面白いミステリーを
人に任せて解いてもらっては
今から読もうとしている
ミステリー小説の顛末を先に言われてしまう
ネタバレみたいに
この人生は自分のものなのに
人にリーディングしてもらってはもったいないのでは?
それくらいに思っている
(リーディングが必要なこともあるだろうけれど明け渡してはいけないと自分は思う)
 
というか元々はヒーリングの師の受け売りであるが
前世(過去生)は自分でわかるものである
というかそれでも
師の言説をそのまま鵜呑みにしたのではなく
契機にはなったし
スピリチュアルガイダンスという講義を受けたことも
(「ガイダンス」というカタカナ英語は大学などの教育機関での初めの手引きみたいな意味しか知らなかったが、本来の意味は違うようである)
大きなきっかけにはなった
 
輪廻転生を信じているというか
信じるも信じないも
魂は転生するものだという認識、事実、真実
 
肉体とは魂の宮殿であり
死とは古い衣服を着替えるように脱ぎ捨てる(「バカヴァッド・ギーター」)
彼方の世界に移行するだけで魂は普遍であるということを
ヴェーダーンタもしくはヨーガで学んだので
 
自分の魂に向かい合っていくと
おのずと(過去生)を辿っていくものなので
誰かにみてもらう必要はないし
自分が自分の魂の軌跡を辿るからこその醍醐味というか
過去生云々が大事なのは
基本
今世の人生をどう生きるかという
自己理解を深めること
生き方の指針になるという点において重要なのである
ヨーガでは
今世を生きる魂の使命を「ダルマ」という
ダルマの理解を深めるという点で
自己の魂の軌跡を知ることは大事なのだ
多くのヒントがあるから
 
 
それで実際に自分がいつから意識的に
魂の軌跡をたどり出したかというと
まあそんなに昔でもなくて
自分の記録ノートによると
2019年の初夏あたりからである
 
それも日々心がけるほどではなくて
それはそう意識しだすと
やってくるのである
向こうから
これは本当に不思議なことだ
 
わかろうわかろうと
無闇に動き回ったわけでもなく
深く瞑想したわけでもなくて
 
それは自ずとやってくるのだ
ユーミンだって歌っている
高校生の時から大好きな歌だ
 
「目に映る全てのことはメッセージ〜〜」
 
そう、神は全てに偏在していると
ヴェーダーンタではいう
全てに偏在しているから
そのチャンネルに
その周波数にただ少し注意していたらいい
 
そうして何より本当に
心の底から信じることだと思う
「シュラッダー」とサンスクリットではいうが
心底信じる強い気持ち
何かの宗教を信じるとか
そう言ったことを言っているのではなくて
究極神を信じなくても
自分自身を強く信じる気持ちだ
(無神論者こそがある意味、神を信じる人以上に神に近い人であるように、私は神様大好きですけどね)
だからある意味
特別にスピリチュアルなことでもないのだ
誰がなんといおうと世の中がどんなことであろうと
自己を信じるのである
信頼するのである
自分の魂を信じるのである
心は動くから信じれるものではないし
心によって苦しみは生まれるけれど
魂によっては苦しみは生まれない
魂が感じてきた受難を
また今世で同じように経験することはあってもだ
 
強く信じる気持ち
これは何より前進させる、何よりのサポートになる
私たちを
私たちが行きたい方向に
その舵をとるのだ
 
私たちを進化させる
魂が進化すると命が喜ぶのである
だってその使命のために肉体を持って
人間として生まれてきたのだから
そういうカルマを持って(星の配置図)生まれてきたのだ
 
と、こう書いてきて
こうも思う
2019年の初夏はまだコロナ前である
自分は個人的には
2019年は超どん底、闇で
超現実的な問題で
かなりしんどい年で
かなり自分を低空飛行せざるを得なかったのだけれど
現実はしんどかったけれど
内面、魂はヒットし続けていた!!
魂は常にいいね、いいねを何度も押させてくれたのだ
魂の軌跡を追うことが楽しくて楽しくて仕方なかった
現実はかなり不幸だったけれど
こうなってくると
何が幸不幸かわからない
でも確実に今から思えば
現実、現世が不幸であればあるほど
魂に内向して
魂がその傷を持って色々と教えてくれたのだ
私たち現実生活で幸せだったら
魂のことなんか忘れちゃうからね
 
世の中がコロナ禍になって
より自己に潜水することが適するような時代になって
今日も大阪は最高の感染者数を
ニュースで言っていますが
 
こんな時ほどに
そんな数字におそれ慄くのはナンセンスなんで
(というと怒られるかもしれませんが)
己が魂に潜れと
言われているような気がするのである
こんな時ほど
己が魂に意識を向けることが
何よりの防御
免疫力アップ
 
そなアホな〜〜って笑
言われそうですけれどね
 
免疫力上げるには防御するには
ウイルスから身を守るには
魂と共にいるしかない
ソーシャルディスタンシングでも
マスクも必要やけど
魂に向かうときには
ノーマスクやし
深い呼吸ができるのです
そうして過去、未来において
呼吸ができます!!
 
 
すみません長くなったので
これは継続で
次回につなげますね