じぶん実験・今日の「生きる」637日目~母と娘の不協和音は、いつの時代も題材となる~ | 斉藤淳子のじぶんを愛する旅ブログ

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ようこそ、Alopeciaの世界へ
私の特長は全身の毛がないこと
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*Alopecia...とは 脱毛(症)をいいます

こんにちは、斉藤淳子です。


私の特長は、全身の毛がないこと
世界でも日本でも稀な姿
みんな違って、みんな倖せ

生きる希望と癒しをお届けしています。

 

 

じぶん実験

今日の「生きる」

 

#637

 



母と娘の不協和音は、

いつの時代にも題材になる

 

父親と息子のイザコザは、

息子が父親の位置に立つことで

父親を乗り越えるとワタシは考える

 

母と娘はそうじゃない

母親が完璧ではなくなった時、

乗り越える準備ができ

じぶんと同じなんだと思えた時、

許す気持ちになる

 

父と息子がタテ関係なら

母と娘はヨコ関係

 

母もまた、じぶんと同じだったのだ、、、

そう思えると、娘は母を許そうとする

一旦、そこで納得するのです

 

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ワタシ自身、母への気持の葛藤があったので

不協和音に悩まされた経験があります

 

今では、不協和音もなんのその

母が元気でいることが事態が

ありがたいことだと思える

 

受け入れるとか、許すとか

認めるとか...

いろいろあるが、

 

相手がいるだけで

いいじゃないか

存在しなければ、

受け入れるも、許すも

認めるも、何もできない

 

何も始まらないし

何も終わらない

 

生きているだけで、いいじゃないか

横たわる母をみて

それだけで、ありがたいことです

 


夏はかき氷(^^)


今日はこのあたりで、、、

 

 

ブログをお読みいただき

ありがとうございます。
今日のこの瞬間
あなたの生きる希望となれば
私の喜びになります。
それでは、また