すきなふくきて、生きていく?
ひとはいつから身体に布を纏いはじめたのだろう考察パート2
この感覚は、例えるならばスーツ。
私はいま毎日スーツを着ているのだけど、それではじめて日々の気温の変化を意識しはじめた。
いままでは大人たちの言う、
「肌寒くなってきたね」とか
「今日は蒸し暑いね」とか
そういうのが本当に分からなかった。
なぜかというと私はなんとなく暑そうな日には薄手の服を着て、
なんとなく寒そうな日には厚手の服を着ていたのだ。
あたりまえのように思えるけど、
感覚的に感じた気温や、その日の気分で好きな服を着ているから
暑いのが服のせいなのか、はたまた気温のせいなのかわからないし意識もしない。
冬にはよく母に「また真夏みたいなワンピース着て…」と呆れられた気がするし
夏にはよく母に「また真冬みたいなワンピース着て…」と呆れられた気がする。
毎朝、下着を付けて、キャミソールを着て、ストッキングを履いて
そしてワイシャツを着る。最後にスカートを履いてジャケットを羽織って完成。
おなじことの繰り返し。
(隣の校庭の作者の気持ちを、高校生たちが理解できないのも無理は無い気がする。)
これが単調だということに気づくのに約1年もかかってしまった
就活の会場で「私服で参加して頂いてかまいません」の文字を目にして
それはどうなんだろうかと疑問に思ったことがある。
スーツは没個性的で、企業はもっと就活生の個性に着目するべきだぷんぷん!という意見もなんとなくわかるけど、
リクルートスーツで同じ格好をすることではじめて個々の違いが見えてくるのでは?
ド派手なピンクのワンピースに、奇抜な髪の色。
しましまの靴下に馬鹿みたいな厚底のスニーカー。
かたや地味な紺色のTシャツにジーンズに黒髪。
どちらが個性的か?と言われれば、うーんなんというか多分前者。
だけど個性ってきっとそういうことじゃない。
同じ物を見て、聞いて、それで何を感じ取るかの違いだと思う。
だから、同じようなスーツを着て、同じ場所に集まって、同じことを聞かれる。
それに対してどう答えるのか、何を思うのか、どんな態度をするのか
そこで初めてそれぞれ違うはずの「個性」が見えてくるんじゃないかな。
「やりたいことを、やりたい時に、やりたいだけする!」
が将来の夢であり人生の野望である私に今一番必要なのは、
特別な瞬間でも、めまぐるしく変化する日々でもなくて、
平凡で、ありきたりで、同じような、繰り返しのような日々なのでは?
そんな日々を送っているからこそ、私は私の「個」としての思考に濃密であれるのでは?
大学生の私には、なんとなく、よくわからないけど、サイコーに楽しい日々が無条件に与えられていたし、毎日朝起きた時からぼんやりハッピー!だった(と思う)。
それってすごく幸せなこと。
だけどいまもすごく幸せ。
起きたらぼんやりハッピー!なきもち、忘れずにいたいな〜。
おわり。