息子と映画へ
我が家の息子はもうすぐ9歳になります。
下の娘は3歳半。
まだ私にベッタリで、
息子が私に甘えたい時も
「私が抱っこするんだもん!」
と娘が主張するので、
遠慮したり譲ったりする時もしばしば…。
それでも妹に付き合って
遊び相手になってくれたり、
泣いてる時はふざけて笑わせてくれたり、
頑張ってくれる兄です。
そんな息子がガス抜き出来るように、
娘抜きに私と息子2人で出かける時間を
時々とるようにしています。
2時間じっと小さい子が観るのは難しいし
暗くなるし音も大きいし、
娘ちゃんには無理だよー!と言い聞かせて、
映画を観にいったのが最初だったのですが、
それが習慣になって
映画デートが恒例になりました。
私自身、
両親の趣味が映画鑑賞だったので
小さな頃から親につき合って
映画を観ていて、映画館の雰囲気とか
実は大好き。
昨日は公開中の
「映画ドラえもん・のび太の月面探査記」
を観にいきました。
親になると「我慢する」事がいっぱい?
息子は最初の子なので
私も親業1年生で、
その都度いっぱいいっぱいになりながら
育ててきました。
お母さんって、
自分の時間が一瞬もないじゃん!
なんて今では当たり前と思う事にも
ビックリしましたし、
食べないものが食べられない
(息子の偏食に合わせて調理するから)
やろうと思った事を
ことごとく中断させられる
10分の距離のスーパーにたどり着くのに
しゃがんで遊び始め、それをやめさせ
ループで1時間かかる
(そもそも「遊びを中断して出かけるのを非常に嫌う子」で、その日出かけられるかどうかも分からない)
息子はコントロールが全然出来ない子でした。
自分の興味あることしかやらない、
集団活動ができないし指示も聞かない。
突進系、他害タイプではなかったので、
人様には迷惑をかけずに済んだものの、
岩のように興味の対象がスローで
共感性も低く頑固。
知らない事を嫌う、
できないことは決してやらない。
私自身もそれに縛られて身動き取れず、
「自分の感情や希望は全部封印しないと
彼にとって良い母親になれない」
そんな感じの幼児期でした。
とことん彼に付き合おう、と覚悟を決めて、
「一人ひとりのやりたい事」を尊重する
少人数モンテッソーリ園に入れ、
年中〜年長になった頃からでしょうか、
何となく様子が変わってきました。
息子の成長
まず「好きな事をとことんやる」が進化して
好きなものを見つけ、
追求するのが得意になりました。
キノコ、危険生物、毒の生き物、魚、
大砲、戦車、戦艦、ジャイアントロボ、
ガンダム、ジブリ、レゴ…
こういうものが好き、を通して、
人と関わったり出かけたりする事が
徐々に出来るようになってきました。
私も息子の好きなものは
一緒に見聞きして自然と詳しくなります。
好きな部分や嫌いな部分について
話し合ったりしていくうちに
息子の感性の大人っぽさに
気づくようになりました。
さらに好きなものを絵に描くようになって、
全く形になってなかった絵が
どんどん上達。
4歳になっても顔も描かず、
絵心ない人かと思ってたのに…
未来は分からない
5年前の私に、今の状態を教えたら
信じられないんじゃないかと思います。
「あなたがそんなんじゃ、
お母さんどこにも行けないじゃん!!」
と毎日泣いて怒って買い物と散歩に
連れ出してたあの頃。
一緒に映画を観て、
大人と話し合うように
感想を言い合って楽しめるような
息子になってるなんて。
全く私のやりたい事、行きたい場所、
用事や指示を聞き入れなかった息子が
「お母さんと映画に行って、
色々感想を言ったり、
お互いの意見を話し合うのが楽しい。
また連れて行って」
と言い、
妹のワガママを聞いて、
「お母さん大変だから、
僕のやりたい事は後にするね」
と言うようになってるなんて。
偏食も、給食で出るものは
ちゃんと食べますし、
嫌いなものも交渉すれば食べられます。
(これ頑張ったらデザートあるよとか)
ママ友からも
「好きなものがハッキリしてて
集中力あるし絵も上手ですごいねぇ」と
言われるようになってて。
この子をどうにか育てやすくと、
色々悩んで、怒鳴ったり叱ったり、
本を読んだり、様々な手法を取り入れたり
そういった経過を経て、結局
開き直って付き合うしかない、
という結論に半ばヤケクソで
たどり着いたんですが…。
後から知った
仏教の「この世の道理」に照らし合わせれば
当たり前の結論なんですよね。
絶対のものはないから、未来は変わる
今見ているものが全てではない
私のものの見方が間違っていただけでした。
この世の道理に照らし合わせてみる
物事に善悪はない。
相手をコントロールしようとするのは
エゴでしかない。
幸せになりたければ、エゴを捨てること
全ては己の心の現れ
自分を受容して欲しい私が
満たされず不幸だと思っていたから
息子を受容できなかった。
息子も受容されないから
私を受け入れないという風に、
心が現実に現れていた。
お母さんは我慢ばっかり!と
思っていたから、
我慢してばっかりの生活にしか
感じられてなかった。
表面に見えるものしか捉えられていなくて、
不安ばかり抱えていたけど、
その底に流れていた息子の性質が
数年経ってこんな風に芽吹くとは。
4歳くらいまでは、
その子の性質が見えにくいし
単なるワガママにしか見えない
付き合うのが難しい自己主張もあるでしょう。
その時は受け入れられないと感じたり
世間的に良しとされない性質でも、
我慢ばかりさせられて辛くても、
それはほんのいっ時の事でした。
私がいつまでもエゴを捨てず
私の物差しで息子を良いと思う方向に
矯正しようとしてたら、
いまの結果にはたどり着いてないと思います。
息子の物差しに合わせて
彼の「好き」を尊重したから、
彼の自我が育って、成長とともに
他人を尊重する人に育ってくれたのです。
もともと彼の中にあったものを、
私が邪魔しなくなったから、
歪まず芽吹いたんですよね。
生きながら死ぬということ
松井先生は悩みを抱える方に
「いっぺん、死んでみたらいいんだよねぇ」
…と仰っていたそうです。
本当に死ぬということではなく、例えとして。
色々な意味、場面で当てはまる言葉ですが
親になった時、
子どもを育てるのに、
自分の価値観や執着を捨てて、
生きながら死ぬような気持ちで
子どもと向き合わないと
うまく行かない時もあると思うのです。
私が開き直って息子をまるっと
受け入れるようになった状態も
スケール小さいけど
それに近かったかもしれません。
死ぬというと、
悲壮で大げさな言葉のイメージに囚われて
そこまでしないといけないのか!
と拒否感が出る方もいるかもしれません。
価値観や執着を捨てるというのは
それくらい難しいことですが、
実はやってみると
ものすごく楽になる楽しいことです。
その自分を縛る執着や価値観に
ひとつずつ気づいて、剥がしていく
子育て中って
そのチャンスの宝庫なんですよね。
「子どもが言うこと聞かない!イライラする!」
「何度言っても同じことの繰り返し!」
「何でうちの子は普通じゃないんだろう…」
怒りたい、怒鳴りたい、
脅して言うこと聞かせたい。
あれ?でもよく考えたら…
「自分が」気分悪いから
何度も言うのが嫌なんでしょ。
「自分が」楽したいから
言うこと聞いて欲しいんでしょ。
躾って、誰のための躾?
…こういうことに一つ一つ気づいて、
軌道を修正する。
素直で育てやすい子のお母さんは
そこを悩まずにスルーして、
何の問題もないまま大きくなるのかも
しれません。
育てにくい子のお母さん、
執着や価値観に縛られている方ほど
悩み、大変だと感じると思いますが、
そういう方ほどチャンスがある。
いっぺん死んでみたと思って、
何もかもまっさらでやり直したら、
今までよりもずっと囚われない
豊かな世界に生きられるように
なるかもしれません。