自分で言うな、という感じですが、
私はけっこう料理が得意です。
大抵のものは作れます。
自家製酵母でパン作りもやってみましたし、
通常レシピはもちろん、
卵なしやバター無し、砂糖なしのレシピで
ひと通りの「手作りオヤツ」の
手持ちレシピがあります。
市販の添加物を気にして、
ドレッシングもマヨネーズも自家製でした。
塩麹だの甘酒だの起こしてました。
いわゆる「お店が出せる味」だと
夫からも評価されます。
それをやってたのは主に専業主婦だった時。
趣味でもあったのでせっせと作って、
ママ友なんかに
「くみちゃんってホントに
良いお母さんなんだね!」
とか言われて、悦に入りつつ
「そんなことないよー(エヘヘ)」
よっしゃ自己顕示欲満たされた〜!みたいな。
でも、今はほとんどやりません。
自己満足と承認欲求のために
やっていた事に、自分で気づいたからです。
いいお母さん、ダメなお母さん
現在、週に3回は夕飯を外注し、
お弁当も買います。
野菜は子供が文句言わず
食べるものしか出さないので、
同じ種類を延々リピート。
繊維を豊富に…このビタミンを…とか
考えず、食べたがるものと食べられるもの中心。
味付けも味ぽん・ゴマ油・マヨネーズが
三種の神器となっています。
手抜き料理の代名詞である「丼もの」もしょっちゅうやります。
以前の私から言わせれば手抜きもいいところ。
「子どもの健康を考えてない!!」
と非難されてもおかしくない内容です。
世間的に見れば
「いいお母さん」は以前の私の方で
今の私は「ダメなお母さん」と評価されるでしょう。
でも私に言わせると、自分自身を見て
「いいお母さん」と思えるようになったのは、
「いいお母さん的行動」を辞めて
「ダメお母さん」になってから。
「どっちの自分が好き?」と言われたら
迷わず「今の方!」なのです。
どういうことかを解説していきます。
「邪慢」というエゴ
そもそも「いいお母さん」的行動をするのは
なんのためでしょうか。
「栄養あるものを、手を抜かず、出来る限りの事をして食べさせるのが、いいお母さん」という世間的価値観がまず大前提で、あります。
「手作りの料理は心がこもっている」
「家族のために手間を惜しまないのがよい主婦」という価値観もあります。
もちろん、家族の笑顔と健康のためには
手作り出来ればそれが一番かもしれません。
栄養学的には、バランスの良い献立が
推奨されますしね。
その裏には、
「理想的な献立が並ぶ手作りの食事でないと、いつか身体を壊す」という、
呪いのような「怖れ」が横たわっています。
だからこそ、「それを無視するお母さん=ダメお母さん」という評価につながるわけです。
私はずっと、ずっと、
長いことその呪いに支配されてきました。
私の母が「いいお母さん」の権化だったからです。
仕事をしながら三食きっちりオール手作り。
自然派で外食一切なし。
私の中ではそれが「出来て当然」の事だったんですね。
母から教わった添加物の恐ろしさや、
手作り信仰のようなものが私の中には
染みついていました。
脅されるように、
「手作りのものを与えるのが母親の義務だ」と。
でも、野菜好きだった私と違い、
私の子どもは偏食でした。
大の野菜嫌い。
「自然で無農薬の良いものなら、子どもは喜んで食べる」という自然食信者の戯言なんてウチの子には通用しませんでした。
私がどんなに手をかけても「嫌い」
「食べられない」ばっかり。
好きなものは見事に
「おかあさんやすめ、ハハキトク」です。
(オムライス、カレーライス、アイスクリーム、サンドイッチ、焼きそば、スパゲティ、めん類 + ハンバーグ、ハム、ギョーザ、トースト、クリーム何とか。控えたほうがいいとされる献立のこと。)
子どものためにやっている(と思っている)
行動が、子どもにとっては苦痛になる現実。
ここで、信念を曲げず
辛抱強く「良いもの」を与え続けて
慣れされるのが愛情なのかもしれません。
でも、ストレスを感じずに
それをやり続ける胆力が
私にはありませんでした。
結果、食事時にはいつも
イライラしてましたし、
料理も苦痛で、
「何なら食べれるのよ!!」と
子どもにしょっちゅう
怒鳴ったりしていました。
食べられるものは「ある」んですよ。
「身体に悪いから与えたくない」
と私が思い込んで除外しているものが。
与えたら(私が)罪悪感を感じるから、与えたくない。
そう恐れるものが「子どもの食べたいもの」だったんです。
「健康に良くない」
「体のため」と思いながら
イヤイヤ食べるものは、
ほんとうに体にいいんでしょうか?
子どもにとっては「身体にいい」という
理屈もよく分からない内から、
自分は嫌いなのに、
鬼の形相で口に詰め込まれるものを食べて、
健やかに育つんでしょうか?
私は世間と自分の価値観に従い
信じる代わりに、
子どもの価値観を無視し続けている。
しかも子どもが喜ぶ方を優先して
好きなものを食べさせた時、
私は必ず勝手に罪悪感や恐怖を感じて、
「こんなものを食べたら身体に良くない…」
と潜在意識に恐怖を溜め込んできたわけです。
仏教的に言えば、これは
「邪慢」というエゴ以外の何ものでもない。
邪慢というのは
「間違った行いをしているのに正しい行いをしたと言い張ること」です。
仏教を学んで、
自分自身のモヤモヤの正体が
分かってきたところで、
ほとほとウンザリして
「もう、そういうこと考えるの一切やめよう!!」
「試しに子どもが喜ぶもの中心で、
私自身 これだけやってやってる みたいに思わず、
気軽に出来るレベルまで手を抜いて、
身体に影響があったら修正しよう」
と思い、「〜でないといけない」という縛りを
ズバズバ切り捨てて、今に至るのです。
心の健康 身体の健康
切り捨てていった結果、
「自分は楽させてもらってる」という
意識が生まれ、
子どもにも夫にも寛容になりました。
(ちゃんとしたご飯でないと責められる)と思ってたのですが、責める人はどこにもいませんでした。
正確には、自分の中にいたからこそ責める声を幻聴していたんですが。
時間がない時、疲れた時にご飯をイチから作ると、
どうしてもしんどくてトゲトゲしい態度になったり、恩着せがましい気持ちになったりします。
今になって分かりましたが、
その事自体が、家族にとっても
自分にとっても毒です。
心が身体に与える影響は
凄まじいものがある、と、
もっと私達は知らないといけません。
そして、ご家族の誰か自分以外の人が
世間の価値観に囚われて
「良妻賢母的振る舞い」を求めてきて、
それが苦しいなら、
「その価値観は絶対のものではない」と
自分自身でしっかり認識して欲しいのです。
自分で自分を責め始めると
周囲にも優しくなれず、
我見にとらわれるからです。
「心が健やかである」
「自分や誰かを責めずにいられる」
という状態は、
栄養満点の手作りご飯に
匹敵するくらい
子どもの安全や安心に
直結していますし、
価値があることなのです。
逆に、知識を取り入れたり、
「良いとされること」をやった所で、
その事によって心が健やかでなくなる…
つまり人を見下したり、優越感を得たり、
固定観念に囚われて
身動きが取れなくなったり、
罪悪感を感じたり、
相手や自分を責めたりするなら、
その知識はない方がマシです。
何も知らずバカでいた方が良いくらいです。
「身体のことを考えて、
食べものについて勉強しているんですが…」
「添加物を避けた方が良いですか?」
という質問を頂く事が時々ありますが、
私の答えは
「それに囚われて柔軟性を失わない自信があるなら、やってみても良いかもしれませんね」
…という程度です。
知識を得た時、それに振り回されない心の強さを持つというのは、とても難しい事だと思います。
「自分は何も知らなくて…」
という事が恥ずかしいなら、
知識を得るよりも
「何を知らないか」を見つめ直した方が
良いのではないでしょうか。