今回のここセラ「般若心経編」12回目で気づいたこと
おうち整体®︎インストラクター&ここセラ講師のくみちゃんです。
現在、ZOOMで仏教講座
「こころセラピスト講座 宇宙の法則編」の
講師を務めさせていただいております。
本部理事 まーくさん&あっちゃんの
「般若心経編」の受講生でもあります。
お伝えする立場でありますが、
まだまだ仏教の道は奥が深い!
学びながら現在進行形で前進中です。
そして、学ぶほど感じるのは
「どんどん自分は進化してるのに、
まだ先があって
お終いではないことが嬉しい」という思い。
「わかった」の先に
無限に「わかった」が続いて、
どれも嘘偽物じゃない。
だから物事に対する洞察が
どんどん磨かれていきます。
「感謝」という言葉ひとつにしても、
「幸福」という言葉ひとつにしても、
深みがどんどん増していくんです。
今日はそんな私の経験をもとに、
仏教を理解していく道筋を
登山に例えて、
理解レベルの段階を解説してみようと思います。
仏教を登山に例えてみた
本当に仏教の道理を理解するまでには、
いくつかの壁を乗り越える必要があります。
一合目
道理を聞いて、反発の気持ちが起きる。
理屈では確かにそうかもしれない、「でも例外だってあるでしょ。私は違う、わかってる」と思ってしまう。
〜【理解レベル0】〜
二合目
思い浮かんだ反論が全部潰されて、「どうも言ってることは正しいっぽい」と降参し始め受け入れる。
三合目
道理の通りだということは分かったから、自分から進んで「この事例はどう捉えるのか」
と照らし合わせて考え始める。(道理を積極的に学び始める)
〜【理解レベル1】〜
四合目
照らし合わせるけどなかなか自分の考えが捨てられず、理想と現実のギャップに、学ぶのがしんどくなる(執着)。登山が楽しいだけでなく、道が険しく感じるようになってくる。
〜【ここが第一の壁】〜
五合目
同じ悩みを何度もループしたところで、自分のエゴっぷりが嫌になり過ぎて突き抜ける。キレかけるくらいまで追い詰められるとか、何かのきっかけで、今までと違う角度から考え始め、自分の中にその原因を見つける。「なるほどコレか」と理解する。
六合目
実体験を通してブッダの言ってることが確かにその通りだと心底実感する、今までと考え方が変化していく、執着の皮が一枚薄れる。
〜【ここが理解レベル2】〜
断崖絶壁
一枚薄れたくらいでは、生き方自体は変わらない。執着は膨大にあり、強固にへばりつく価値観と執着が残るうちは、六合目の先にある崖が越えられない。つまり何度も繰り返し悩みの元として人生に現れる。
四〜六合目を何度も繰り返し崖に挑む
崖に挑んでは四合目まで転がり落ちるを繰り返す。 現れてくる自分のテーマに対して、どうやって執着を薄れさせるかの試行錯誤。やっていくうちにだんだんコツが掴めてきたり、周りを見る余裕が出来てくる。
別ルートで七合目八合目にいく道を発見
様々な問題の皮を一枚ずつ剥き、何度もやるうちに、全ての問題の根本が見えてくる。
〜【ここが理解レベル3】(無常無我を頭で理解した段階)〜
七合目八合目
全ての問題の根本が解るが、解決できるかはまた別。今までの自分の生き方、考え方を全て無くすくらいのことなので覚悟が必要。その手前で「道理を通した正解の見方」はできるようになる。
九合目
生き方を変える、それに挑み始める。
【無常無我への真の理解】←コレができたら涅槃が見え出す【理解レベル4】
〜【壁】〜
十合目
無限の涅槃の道に進む。生き方が変わる。
苦痛は何ひとつない、目の前のこと何もかも大事にできる、人生が楽しい遊び場になる。
〜【ここから涅槃道】(未知の世界)〜
理解の段階はこんな感じだと、体感では思っています。
つい先週までですね、
私の理解レベルは
スレスレ七合目八合目あたりでした。
時によって真理が見えなくなる時もある、
でも基本はコレだからって
立て直しができる、みたいな感じ。
この前の日曜日。
般若心経編聴いて1日経ったところで
あっ………
「まーくさんが言ってた通りなら
私は今まで、
なんて思い違いをしてたんだ!?」
と自分にビックリしたんです。
それが今回のタイトル
「この世に私のものは何ひとつない」ということでした。
怠けたい心。
自分の時間が、好きなことをする時間が欲しいと思う心。
食べたいから食べちゃう心。
子どもに忙しいからと言い訳して適当なものを食べさせる心。
全部、「私の人生だ」という心が生んでいる。
「私の時間」ってどこかで思ってる。
「この人生に、私のものがある」って
思ってたからこうなってたという事が
唐突に解り…。
とんだ思い違いだ!
なんで感謝するのか
なんで幸せなのか
なぜ使命を果たすのか
その根本は
「自分がないと解ってるから、結果として、そう行動するしか無くなる」んだ。
それに気づいたんです。
ここセラは、仏教は苦の人生を照らす燈
読んでいる方のほとんどが、
「なに言ってるのか分からない」と思うでしょう。
でもですね、
「思い通りに自分をコントロール出来ない」という悩みは
誰にでも経験があると思うんです。
"やらなきゃいけないのは
分かってるけどやる気が起きない"とか
"子どもが生意気で優しくできない"とか
"職場の気が合わない人を見ただけで動悸がする"とか…
それが一切なくなるのが、仏教を知る事なんです。
はっきり言ってストレスゼロです。
誰もがそれを願っているけど、
なかなか手に入れられず、
様々なテクニックを試しては挫折しています。
向上心とか承認欲求でそれらを制することは、
「人によっては」ある程度可能でしょう。
でも気力は続きませんから、
どこかで限界が来たり、
ストレスでバランスを崩してしまったりします。
そうなると「努力が足りない」
「本気になれば出来る」と
自分で自分を傷めつけるか、
「自分にはどうせ出来ないんだ」と
放り投げる結果になります。
それはどちらも間違いです。
道理を知って目を逸らさず
丁寧に自分の中を見つめれば、
誰でも同じ答えに辿り着くんです。
答えがわかれば…
- 「誰かのために喜んで動くのは当たり前」
- 「自分の行為がどのような業になるのかを忘れずに生きるのは当たり前」
- 「何かを失っても、絶望する出来事が起きても、そもそもここにあることだけで、感謝できると思い出せる」
そういう心に、限りなく近づいていける。
死と喪失を前提に、
人生を見つめ直す力を手に入れれば、
毎日、毎時、毎秒、
生まれ変わって生き直す勇気を持てる。
「自分のものは何一つない」と知る事には、
そういう力がある。
なんて完璧なものを私は教わっているのか!
松井先生、協会理事の二人、
傲慢な自分、
子どもたち、夫、
両親、友人、仲間たち。
そこにたどり着くための
導を残してくれた
全ての出来事に感謝します。
命すら、私のものではない。
その事がこんなに嬉しい事だなんて、想像もしませんでした。





























