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子育てママの心を照らす 運河駅のサロン〜with ease in 流山

流山市で、特に子育て中のイライラに効く、
おうち整体の施術と指導、ここセラ講師をする
たかはしくみ(くみちゃん)のブログ。

ママが自分自身で心と体をメンテナンスできる、
”生き方アップデート”のノウハウを授けています。

「ういの奥山、けふ越えて」は涅槃のこと

おうち整体®︎インストラクター、ここセラ講師のくみちゃんです。

 

今日は小ネタ。

 

単なる和歌と思っていた「いろは唄」、
振り返ると全部
仏教を体感している人の体験談だった
と気づいて

「わぁ」ってなったと言う話。

 

いろは唄はなんか意味がある言葉、
というのは知っていたんですが、
どうせ知ってもわからなそうだ
という印象でスルーしてました。

 

 

昔の五十音・いろは唄

 

色はにほへと 散りぬるを 
 我か世誰そ 常ならむ
 有為の奥山 けふ越えて
 浅き夢見し 酔ひもせす

 

今読むと全然難しくない!
ああ、あれのことね」ってなる!面白いな〜。

 

 

「文章として分かる」じゃないんです。
「共感する」という意味でわかる。

 

 

娘の五十音表をなんとなく見ていて、
「昔の歌って意味わかんないのいっぱいあったよな〜、
 ”うさぎ美味しい、かの山” って思ってたし、
 "ういの奥山" なんかも…」
ここまで考えて、「ん?」。

 

 

ういって「有為」と書くんじゃない?

 

「有為」って知ってるぞ。

 

為という文字は、
「〜が故に」という意味があります。

 

ですから「有為」の意味は、
「有るが故に」

 

有ると思うから、悩む。

 

だから、「無い」ことを理解しなさい、
というのが仏教の教え。

 

けれど、その「ある」という認識を
すんなり「ない」には出来ません。

 

「ない」を心底納得しないうちは、
人間は「ある」と思い続けてしまいます。

 

 

それは険しい山です。

 

前回のブログで仏教の教えを
山に例えさせて頂いたのは、
このお話をしたかったから、
というのもあります。

 

https://ameblo.jp/salonwithease/entry-12659908573.html

 

 

 

 

「ある」という認識をずうっと越えられず、
 五蘊盛苦の生だったその人が、
今まさに険しい山を越えて、その先の景色を見た。
 夢の世界に酔わず、
 目を開き、実相の世界を目にした
」様子を
 語っているんです。

 

 

日本では古来から仏教が学ばれてきて、
大昔から同じように繰り返し
「無常・無我」の峠を越えようと、
たくさんの人が試行錯誤してきたんだなあ、ということや

 

 

涅槃を見た人の気持ちが伝わってきて、
世界が広がったのを感じた出来事でした。

 

今回のここセラ「般若心経編」12回目で気づいたこと

おうち整体®︎インストラクター&ここセラ講師のくみちゃんです。

 

現在、ZOOMで仏教講座
「こころセラピスト講座 宇宙の法則編」の
講師を務めさせていただいております。

 

 

本部理事 まーくさん&あっちゃんの
「般若心経編」の受講生でもあります。

 

お伝えする立場でありますが、
まだまだ仏教の道は奥が深い!

 

学びながら現在進行形で前進中です。

 

そして、学ぶほど感じるのは
「どんどん自分は進化してるのに、
 まだ先があって
 お終いではないことが嬉しい」という思い。

 

 

「わかった」の先に
 無限に「わかった」が続いて、
どれも嘘偽物じゃない。

 

 

だから物事に対する洞察が
どんどん磨かれていきます。

 

「感謝」という言葉ひとつにしても、
「幸福」という言葉ひとつにしても、
 深みがどんどん増していくんです。

 

 

今日はそんな私の経験をもとに、
仏教を理解していく道筋を
登山に例えて、
理解レベルの段階を解説してみようと思います。

 

 

仏教を登山に例えてみた

 

 

 

本当に仏教の道理を理解するまでには、
いくつかの壁を乗り越える必要があります。

 

一合目

 

道理を聞いて、反発の気持ちが起きる。
理屈では確かにそうかもしれない、「でも例外だってあるでしょ。私は違う、わかってる」と思ってしまう。

〜【理解レベル0】〜

 

 

二合目

 

思い浮かんだ反論が全部潰されて、「どうも言ってることは正しいっぽい」と降参し始め受け入れる。

 

三合目

 

道理の通りだということは分かったから、自分から進んで「この事例はどう捉えるのか」

 

と照らし合わせて考え始める。(道理を積極的に学び始める)

〜【理解レベル1】〜

 

 

四合目

 

照らし合わせるけどなかなか自分の考えが捨てられず、理想と現実のギャップに、学ぶのがしんどくなる(執着)。登山が楽しいだけでなく、道が険しく感じるようになってくる。

〜【ここが第一の壁】〜

 

五合目

同じ悩みを何度もループしたところで、自分のエゴっぷりが嫌になり過ぎて突き抜ける。キレかけるくらいまで追い詰められるとか、何かのきっかけで、今までと違う角度から考え始め、自分の中にその原因を見つける。「なるほどコレか」と理解する。

 

六合目

 

実体験を通してブッダの言ってることが確かにその通りだと心底実感する、今までと考え方が変化していく、執着の皮が一枚薄れる。

〜【ここが理解レベル2】〜

 

 

断崖絶壁

 

一枚薄れたくらいでは、生き方自体は変わらない。執着は膨大にあり、強固にへばりつく価値観と執着が残るうちは、六合目の先にある崖が越えられない。つまり何度も繰り返し悩みの元として人生に現れる。

 

 

四〜六合目を何度も繰り返し崖に挑む

 

崖に挑んでは四合目まで転がり落ちるを繰り返す。 現れてくる自分のテーマに対して、どうやって執着を薄れさせるかの試行錯誤。やっていくうちにだんだんコツが掴めてきたり、周りを見る余裕が出来てくる。

 

別ルートで七合目八合目にいく道を発見

 

様々な問題の皮を一枚ずつ剥き、何度もやるうちに、全ての問題の根本が見えてくる。

〜【ここが理解レベル3】(無常無我を頭で理解した段階)〜

 

 

七合目八合目

 

全ての問題の根本が解るが、解決できるかはまた別。今までの自分の生き方、考え方を全て無くすくらいのことなので覚悟が必要。その手前で「道理を通した正解の見方」はできるようになる。

 

九合目

 

生き方を変える、それに挑み始める。

【無常無我への真の理解】←コレができたら涅槃が見え出す【理解レベル4】

 

 

〜【壁】〜

 

十合目

 

無限の涅槃の道に進む。生き方が変わる。

苦痛は何ひとつない、目の前のこと何もかも大事にできる、人生が楽しい遊び場になる。

〜【ここから涅槃道】(未知の世界)〜

 

 

理解の段階はこんな感じだと、体感では思っています。

 

 


 

 

つい先週までですね、
私の理解レベルは
スレスレ七合目八合目あたりでした。

 

 

時によって真理が見えなくなる時もある、
でも基本はコレだからって
立て直しができる、みたいな感じ。

 

 

この前の日曜日。
般若心経編聴いて1日経ったところで

 

あっ………

 

まーくさんが言ってた通りなら
 私は今まで、
 なんて思い違いをしてたんだ!?

と自分にビックリしたんです。

 

それが今回のタイトル

 

この世に私のものは何ひとつない」ということでした。

 

怠けたい心。

自分の時間が、好きなことをする時間が欲しいと思う心。

食べたいから食べちゃう心。

子どもに忙しいからと言い訳して適当なものを食べさせる心。

 

全部、「私の人生だ」という心が生んでいる。

 

「私の時間」ってどこかで思ってる。

 

「この人生に、私のものがある」って
思ってたからこうなってたという事が
唐突に解り…。

 

 

とんだ思い違いだ!

 

 

なんで感謝するのか

なんで幸せなのか

なぜ使命を果たすのか

 

その根本は

自分がないと解ってるから、結果として、そう行動するしか無くなる」んだ。

 

 

それに気づいたんです。

 

 

ここセラは、仏教は苦の人生を照らす燈

 

読んでいる方のほとんどが、
「なに言ってるのか分からない」と思うでしょう。

 

でもですね、
「思い通りに自分をコントロール出来ない」という悩みは
誰にでも経験があると思うんです。

 

 

"やらなきゃいけないのは
分かってるけどやる気が起きない"
とか

"子どもが生意気で優しくできない"とか

"職場の気が合わない人を見ただけで動悸がする"とか…

 

 

 

それが一切なくなるのが、仏教を知る事なんです。

 

はっきり言ってストレスゼロです。

誰もがそれを願っているけど、
なかなか手に入れられず、
様々なテクニックを試しては挫折しています。

 

向上心とか承認欲求でそれらを制することは、
「人によっては」ある程度可能でしょう。

 

 

でも気力は続きませんから、
どこかで限界が来たり、
ストレスでバランスを崩してしまったりします。

 

 

そうなると「努力が足りない」
「本気になれば出来る」
自分で自分を傷めつけるか、
「自分にはどうせ出来ないんだ」
放り投げる結果になります。

 

 

それはどちらも間違いです。
道理を知って目を逸らさず
丁寧に自分の中を見つめれば、
誰でも同じ答えに辿り着くんです。

 

 

答えがわかれば…

 

  • 「誰かのために喜んで動くのは当たり前」
  • 「自分の行為がどのような業になるのかを忘れずに生きるのは当たり前」
  • 「何かを失っても、絶望する出来事が起きても、そもそもここにあることだけで、感謝できると思い出せる」

 

そういう心に、限りなく近づいていける。

 

 

死と喪失を前提に、
人生を見つめ直す力を手に入れれば、
毎日、毎時、毎秒、
生まれ変わって生き直す勇気を持てる。

 

 

「自分のものは何一つない」と知る事には、
そういう力がある。

 

 

なんて完璧なものを私は教わっているのか!

 

松井先生、協会理事の二人、
傲慢な自分、
子どもたち、夫、
両親、友人、仲間たち。

 

 

そこにたどり着くための
導を残してくれた
全ての出来事に感謝します。

 

 

命すら、私のものではない。

 

その事がこんなに嬉しい事だなんて、想像もしませんでした。

おうち整体®︎
Twitter班の皆さまが頑張ってくださっています♡

まだ明日までチャンスはありますよ〜。

おうち整体®︎が気になっている方

この機会にメルマガに登録、
Twitterフォロー&RTなど
ぜひよろしくお願いします。

泥パックはあって損なし!

気にしてくださる方への
感謝の気持ちを受け取ってくださいね〜チュー




家庭から社会を平和に…出来ない

流山在住おうち整体インスト、ここセラ講師のくみちゃんです。

 

ここセラ講師の仕事は
大好きで本当にやりがいがあります。

 

ですが、告知や集客に
しっかり取り組みたい時期になると
画像・動画・ブログ・SNSチェック
そんでほぼ毎日、合間に施術

 

いつ子育てと家事やるん?みたいな状態になる時があります。

 

ただでさえ私自身は
性質がワンタスク人間で
切り替え下手。

 

力を分散すると何も手につかなくなる。

 

正直言って
ひとつのこと始めたら、
ずーーーーっと
そればっかやってたい
の!!!

 

 

ゲーム始めたらクリアするまで
風呂も寝食も忘れて
人間に戻れない人いるでしょ、

 

あんな感じなの。

 

 

でも子育てはね…
見ないフリ出来ないじゃん?

 

 

 

ブログいい文思い浮かんだのに
お迎え行かなきゃ…ああヤダ。メンドイ。

 

 

パソコンの作業ここで中断したら
後でわからなくなる〜

 

でも寝かしつけ…もう1人で勝手に寝てよー!

 

そういう思考になって
罪悪感を感じたり
落ち込んだり。

 

 

しばしば
「ここセラを取るか?子どもを取るか?」

 

みたいな気持ちになる時が
あったんですよ。

 

これじゃ家庭が不和になっちゃうじゃん。

 

看板偽ってるじゃん(涙)

 

罪悪感の在処

 

しばらくそんなことが続いたんですが
フッと抜けた時があって、
それが般若心経編の受講と
宇宙の法則編の講師を始めた頃です。

 

多分そのあたりで道理が一回
腑に落ちたんですね。

 

 

今まで解ってなかった八正道の意味が
理解できたんです。

 

 

で、

 

「あ、この罪悪感の根源
 全部自分で作ってる」

って思いました。

 

 

毎日ブログ書いて、画像作って
なんかしら進んだことがあるということを
「誰かに見せないといけない」

 

読んでくれる人だったり
仲間だったり

見てくれてる人たちに、

自分自身にも。

 

  • それが出来ないと→ダメだったと判断
  • 出来ない原因→子ども
  • 子どもにそんな感情を抱くなんて→罪悪感
  • 子どもにちゃんと向かい合えない→罪悪感
  • 出来ない原因→仕事
  • …エンドレス

 

 

分けてるよね、善い悪いで。

 

相対の世界に自分はいるから。

これが相対の世界にいる時の思考か!

 

それが客観的に見えてきて、

 

 

違うな、って思いました。

 

 

目の前のことに生きてない。

 

 

この場合、子どもの相手をしても
「あれやらなきゃいけないのに、いいんだろうか」
仕事が気になるはずです。

 

 

 

やるべき事が解らず

 

未来と過去に捉われて

迷いから抜けられない。

 

まさに無明の状態。

 

 

そこから逃れるための教えを
私は知っているはずです。

 

 

なのに活かせてないじゃん!

 

 

求められたことに集中する

 

八正道という教えがあります。

 

 

どんな人でも幸せになれる生き方を
教えてくれています。

 

でも、いくら八正道だと思ってやっても、自分のためにやると違っちゃうんです。

 

 

同じ行為でも、何を思ってやるのかで結果が違う

 

 

一生懸命仕事をしても、

一生懸命子育てをしても、

迷いの心で行ったら迷いの結果になる。

 

やるなら100パー
迷いなくやるしかないんですよね。

 

 

それが解ってジレンマから抜けました。

 

 

抜けた後は子どもやネコと接すること
日々の家事などの
「以前は義務的にやってたこと」に
丁寧に向き合えるようになりましたし

 

「楽しい・楽しくない」

「いいことをしてる」「これが出来ないとダメだ」
に分けなくなりました。

 

だってやったことは返って来るんだもの。

 

その時の感情に流されなければ、
求められたこと、応えられることじたい

ありがたいこと、それが見えてきます。


そう思うからこそ、
今しかないこの時を大事にできる心に
繋がるんです。

 

 

"まことの善の前には、全ての悪は払われる"

絶対の世界。

そうまーくさんから教わりましたが…

 

 

相対の世界から抜ける
ということの意味が
少しずつ理解できているように思います。

 

地に足がつかない瞑想と、そうでない瞑想の違い

千葉県流山おうち整体®︎インストラクター&ここセラ講師、くみちゃんです。

 

今日のお話は
「瞑想をすると、宇宙のエネルギーと繋がれる」

 

「自分のステージを上げたい、悟りたい」

「何かに気づくために瞑想が必要だと教わって」

瞑想をしている方、しようと思っている方に
読んでいただきたいお話です。

 

 

現代ではお寺で瞑想とか
ヨガで瞑想とかを学ぶ機会があります。

 

 

おうち整体®︎でも、瞑想と気功は
大事な三位一体の一翼。

 

 

 

協会理事のブログがこちらです。

 

 

心気体三位一体の極意!

https://ameblo.jp/mikatakakumei/entry-12658437732.html

 

 

 

なぜなら人間の体は
「肉体と精神とエネルギー」の
三つで成り立つもので、

 

瞑想はその三つの結びつきを善くするために
とても有効
だからです。

 

そのことを私自身は
エステを学んでいるときに実感して

 

「良い施術をするために
 気の流れを善くすることが重要!」

…と、一生懸命取り組んでいました。

 

ですが
瞑想すればするほど、
「なんか違う」方向に行ったんですね。

 

 


 

 

何が違う方向に行ったのか?
…というと、

 

 

説明が難しいんですが

 

「瞑想によって解決すると思ったことが解決しない」
って感じのモヤモヤ感が始まったんです。

 

瞑想して気が満タンにチャージ出来
スッキリするときもあれば、
全然上手くいかないときもある。

 

 

エネルギーの流れを感じられて
施術がバッチリ上手くいくときもあれば、
感じたつもりになってるだけで
始めたら体が動かないときもある。

 

 

おうち整体を知り、

 

"気と心はイコールだから
 安定して善い気を出したかったら
 安定した善い心にならなくてはいけない
!"

はっきりそう教えられ、

 

確かにそうだ!
私、「瞑想をすることで
ああなりたい、こうなりたい」ばかり。

 

 

フワフワしたイメージばかり見て

 

地に足がついていない。

 

利己的な心でしか
瞑想を考えてなかった…!

 

と思い知って心の勉強を始めました。

 

そして、心の勉強を進めていって
過去の私の間違いが理解できました。

 

 

 

なんのためにやるのか?

 

結局目的が違うんですよね。

私は今の自分よりもっと善い、
理想の自分になリたかったんです。

 

「大自然と一体になろうとする」
「宇宙の一部である自分を感じようとする」
瞑想ってそれを目指すのがゴール。

 

 

でも、誰より自分自身が
「大自然の一部である」ことが実感出来てないまま、

 

「本来そうなはずだから」と
無理やり自分にそう思い込ませようとして、
瞑想してた。

 

大自然の一部ということを
納得するためには、
無常・無我が完全に理解できていないと
いけなかったのに、

 

 

頭だけ、知識だけで、自分自身は全然そう思っていなかったんです。

 

 

 

「瞑想をして理想を叶えたい」

 

「先のステージに進みたい」

 

そういう思いを抱くことじたい、
「自分がある」と思っているわけで。

 

 

瞑想のゴール地点と
自分の目的がかけ離れて、矛盾しまくっているんですよ。

 

 

ここまで自分自身で体験して
実感して、

 

しみじみと思ったのは…

 

「おうち整体®︎のメソッドの凄さ」。

 

 

この答えに辿り着くためには、

 

「施術・気功・仏教」

どれが欠けてもダメでした。

 

お互いがお互いの欠けた部分を補い合ってるから、

 

バラバラにやってると行き詰まるけれど、

おうち整体®︎で学んでいる限り

行き詰まることはないんです。

 

だから、施術をやりたい方も

 

心を学びたい方も

瞑想を極めたい方も

三つとも全部やって損はないし、

やった方がゴールが近づく仕組みになっています。

 

「私は施術を学びたいだけだから心は関係ない」

 

ということはないし、

「瞑想と心が学びたいから施術は別に」

という人でも、

実践のための施術と気功をやった方が、

頭でっかちにならずに済みます。

 

瞑想を学ぶ方は、

物事の本質を

 

イメージだけでなく

現実世界を通して理解しないといけません

 

主観や思い込みで妄想に囚われるのではなく、

 

人と言葉を交わし、

相容れない人間を許し、

 

自分の行いが

世界を変えるという実感を伴って、

初めて「世界と自分は一つである」ことに納得がいくのですから。

 

 

 


 

 

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