子どもとネコとおうち整体®︎、新年のお知らせ | 子育てママの心を照らす 運河駅のサロン〜with ease in 流山

子育てママの心を照らす 運河駅のサロン〜with ease in 流山

流山市で、特に子育て中のイライラに効く、
おうち整体の施術と指導、ここセラ講師をする
たかはしくみ(くみちゃん)のブログ。

ママが自分自身で心と体をメンテナンスできる、
”生き方アップデート”のノウハウを授けています。

仏教は子育てに役立つ

 

流山おうち整体®︎施術&ここセラ講師

くみちゃんです。

 

新しい年になり

最初のブログとなります。

みなさまどんな年末年始を過ごされたでしょうか?

今年もよろしくお願いいたします。

 

私は思い切り家族同士の時間を満喫してきました。

 

年末は夫に車で送迎してもらい川崎の実家へ。

 

私はおうち整体®︎の中でも

かなりのネコ好きとして

認知されている方だと思うのですが…。

 

(FacebookもインスタもTwitterも、

 私のアカウントはネコまみれ)

 

ごくうと娘

 

私の影響を受けて

うちの子たちも、大の猫派に育ちました。

 

我が家の愛猫「ごくう」は

時々ブログの写真にも載せていますが、

私の実家でもネコを飼っています。

 

ごくうよりも5歳年上で、

私が独身の頃に家に来た

「ビビ」です。

白黒のハチワレの女の子。

 

ビビと母

おなかのハゲがチャームポイント♡


ビビはもう17歳。

 

一年会っていないうちに、

だいぶ衰えてきて…。

数日おきの点滴や摘便が

欠かせない状態になっています。

 

子どもたちにも

心の準備が必要だなと思い、

折に触れ

状態は話していたのですが、

 

冬休みに入る前

「今まだ元気なうちに

 会っておきたい。

 いつどうなるか

 わからないでしょ」

と子どもたちから

切々と訴えられたのです。

 

うちの子たちは超インドア派で

家の外に出ないため

移動さえ気をつければ

コロナ感染の可能性は限りなく低いです。

 

そんなこんなで

猫がメイン

ついで父と母に

孫の成長を見せるのが目的の

帰省となりました。

 

黄色い花

 

で、すごいなーと思ったのが

猫が見たくて仕方なくて来たのに、

「わー」って見に行かないんですよ。

 

デリケートで、

環境の変化を嫌うビビの性格を

わかっているので

寝ている部屋に突撃したりしません。

 

①一人ずつ順番で、

②寝てるところを邪魔しないように、ゆっくり近づいて、

③「こんにちは、今触っていい?」って声をかけて、

④匂いを嗅いでもらって撫でさせていただく

 

という指導を息子が娘にして、

 

「触るところは、頭か顔。お尻としっぽはダメ」

という息子の言いつけを娘は粛々と実行…。

 

え、えーと

そこまで…?

 

いや確かにその通り

文句のつけようがないんだけど、

私いつその触り方教えたっけ…?

 

君たち、ネコ奴隷として仕上がってるな!

息をするよにネコを敬い傅く

「下僕長とその手下」って感じ。

 

他にも、

「ご飯を食べてる時はちょっかい出さない」

など、暗黙のルールはきっちり守ってました。

 

「死」から目を逸らさない生き方

子どもに生と死、病を怖がらせずに伝える、

というのは難しいことですよね。

 

今飼っているネコが

いずれ死ぬということを

私自身は覚悟しながら暮らしてきたつもりでした。

 

でも子どもにどう伝えるべきか…

ずっとどこかで不安に思いながら

二人と一匹の成長を見守っていました。

 

今になってわかるのですが、

「子どもが怖がったり

 拒否したりすることを

 恐れていたのはなぜか」というと、

まだ私自身の認識が甘く

死に対する覚悟がなかったからでした。

 

私自身、死や病に対して

「忌むべきこと」

「嫌な、受け入れ難いこと」

そういう意識がどこかにあったということです。

 

そういう気持ちがどこかにあると、

子どもたちの不安を

受け止めきれないんです。

 

「大丈夫だよ」って言ってあげられない、

その「大丈夫」になんの根拠もないから。

 

だから「どうしよう…どう答えればいいんだろう」って困るんですよね。

 

私がおうち整体®︎に入門してから

ブッダの教えを聴き続けてきて、

もう5年目になります。

 

この1年くらいで

大きく変わったのがその生死の観念でした。


仏教は「死」を誤魔化さずに

真っ直ぐ受け止める方法を

教えてくれるものでもあったからです。

死を受け入れるのは「諦め」ではない

道理に触れ続けて

私が「死」を「嫌なもの」と

捉えなくなった時、

 

やっと子どもたちにすんなりと

ごくうやビビの今後のことを

話せるようになりました。

 

別にだからって

子どもたちに道理を説いて

こんこんと説明する…なんてことはしていません。

 

「死んじゃうの、嫌だなあ」

「悲しいなあ」

と言うのを否定もしません。

 

「そうだよねえ。今しかないから、いっぱい可愛がろうね」

 

「こんなに可愛い子を

 最後までお世話できるのが

 幸せなことだって、

 お母さんは思ってるよ」

 

と伝えています。

 

ただ、

私の覚悟が決まっているから

いつの間にか子どもたちも

 

「死」はいつか来るもの

 

悲しいけど、当たり前のこと

 

そんなふうに受け取るようになって、

今回のビビの話に繋がりました。

 

体が弱った相手の負担にならないように

自分の感情を抑える とか、

命はいつか終わるものという事実を

受け入れる ということも、

 

気がつけば子どもたちは

当たり前のように身につけていたな…

と振り返って思ったんです。

 

生き物と一緒に暮らすのは

私たちに多くの幸せを

もたらしてくれますが…。

 

ここにいる、ただそれだけで

どれだけ多くのことを

人間に教えてくれるのか

考えるとキリがないほど。

ありがたいです。

 

留守にしていた間のゴッちゃん。

はよ帰ってこいやビームがすごい…


学ぶほど「手放さなきゃいけない」じゃなく「手放すのが当然」になる

仏教では

「執着を手放せ」と教えます。

 

自分自身や

親しい人たちが

いつかいなくなり、

死んでしまう

それを嫌だと思うことは、

執着です。

 

ですが…

ここで注意しなくてはいけないのが

その「死にたくない、死んでほしくない」気持ちを

否定しているわけではない、ということです。

 

だって「嫌だと思うな」って言われて

しないように出来るなら

誰も苦労しないじゃないですか?

 

ブッダが説いているのは

そういうことではないんです。

 

まず初めの思い違い

「私が生きている」

「私が生まれてきた」

そのスタート地点を見直したら、

 

「死」はゴールではない

 

ということがわかる。

 

それがわかれば、

「執着する必要なんてないじゃん」と

スコーンと納得いく。

 

「執着することなんて最初から何もなかった!」

 

道理を学ぶことで、

誰にでもそれが納得いくようになります。

 

世間で言われている仏教の教えというのは

結論だけを相手に伝えて、

「そう思えないのは修行が足りないからだ」

と梯子を外している感じがします。

 

執着しないようにすることが目的、

みたいになっちゃって、

それだと本来の道理とずれてきます。

 

本当は修行や

写経や断食みたいな、

特別な事をしなくても

執着というものは

正体を明かせば分解するものなのですが…

 

ここセラが

「普通のお母さん」

「人間関係に悩むその辺の人」

特別なことは何もない多くの人たちを

楽にしてきた秘訣は、

 

梯子を外さずに丁寧に

ブッダが説いた道理を

解説していくからだと

私は分析しています。

 

 

私自身が学んで理解を深めていった

おうち整体®︎のこころセラピスト講座

 

去年からは講師の立場で

お伝えさせてもらえる

機会をいただき、

講座を開かせていただいています。

 

入門編内容

1/5火曜日からは入門編

(全四回)の講座が開始

週に一回、1ヶ月で終了します

 

 

 

宇宙の法則編内容

1/16土曜日からは

宇宙の法則編(全八回)

隔週で月二回、4ヶ月の講座となります

 

このブログでお話しした

生死の観念が変わる道理は

「宇宙の法則編」で詳しく解説する

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、の三法印

一切皆苦の四法印

 

この辺りが腑に落ちると

理解が進むお話ですので、

ご興味がありましたら

ぜひ参加してみてくださいね。

 

詳細+お申し込みはこちらから