プロジェリアという通常の人間の10倍の早さで年を取るという難病があるそうだ。
世界でたった30人という難病で、平均寿命は13歳。
その患者、カナダ人のアシュリー・へギさんが17歳で亡くなった。
プロジェリア患者としては異例の長寿と言われていたそうだ。

彼女がTVカメラの前で言った言葉が、私の胸を打った。

(生まれ変わったら?という話のくだり)
"I'll choose me again, because I like who I am."
「生まれ変わっても、また私を選ぶわ。だって、私は私であることが好きなんだもの。」

by アシュリー・ヘギ
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通常の人とは違う独特の風貌が目に浮かぶ。
声がアニメ声みたいでかわいい人だった。
彼女は上記のセリフを言いながら照れていた。

彼女はプロジェリアという病気についてこうも言っている。
「私がプロジェリアということには理由があるの。神様がくれたものだからね、素敵なものなの。」

「才能がある」というのを英語で言うと
"He/She is gifted."と言う。
そう、"gift"はプレゼントのギフト。
これを神からのギフトだと言う人もいる。

きっと誰しもが何某かのフィールドにおいて神からの"gift"をもらっているのだろう。
きっと大切なのはそれを"appreciate"(真価を認める/感謝する)ことが出来るかどうかだ。
他人の"gift"に興味を持ってばかりいては
自分の素晴らしい"gift"はきっと箱の中のままだ。

自分の"gift"のリボンを解くのも、箱を開けるのも誰も他人はやっちゃくれない。
中身を出すのも、開けて入っていたものを大切にできるかどうかもその人次第。

私は私の"gift"を大切にしたいと思う。
そしてその"gift"をくれた両親に(私は信仰がないので神にってのはちょっと違和感)感謝できる人間でありたい。

お父さん お母さん ありがとう。
今回もイチロイーネタです。

日本選手最多数安打記録を出したイチロー。
そんな彼がこんな言葉を残しているそうだ。

「打ったヒットの数よりも もっと多くの悔しさを経験して来た」

by イチロー

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その成し遂げた偉業の裏で
彼は一体どれだけの悔し涙を流したのだろう。

彼は当初ドラフト4位でプロ野球界に入った。
そこから世界のプレイヤーになるために
彼はどれだけの努力をしたのだろう。

悔しさに直面しても
ふてくされてはいけない。
諦めてはいけない。
自分にはムリだと勝手に決めてはいけない。

秋に走れなくて悔しかったから、冬にあれだけ練習できた。
あの猛練習を思い出せ。
このコーナーをこのスピードで入れるのは
あの練習の中で培った自分のブレーキングを信じられるから。

「悔しい」
そう思った時きっと私は試されている。
悔しさを力に変えて
今日も練習するのだ!


今日もこれから、HMS埼玉で走って来る。
上級、絶対走れるようになってやる!!

WBC2009 イチローファンの私にとって

イチローの調子が出ず、週刊誌がぼろくそに書いているのは非常に悲しいことだった。


でも、まるでその不調すら最後のヒットを引き立たせるためのものだったのではないかと思うぐらい、

タイムリーなヒット、追加点、優勝。

やはり彼が天才なのだと誰もが言い始めた。


その彼が今回のWBCについて語った言葉。


「苦悩というものは前進したいって思いがあって
それを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れない。
だから苦悩とは飛躍なんです」


by イチロー

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11月、私は思うように走れなくなってしまって凄く辛かった。

趣味なんだからもっと軽く、気軽に楽しくやればいいじゃんって声ももっともだと思ったけれど

それでも上手になりたいし、目標があるから

走れないということがとても辛かったし、悲しかった。


でも、ただひたすら練習をして

久々にトミンで走ったら、自分が思った以上にアクセルが回せて

自分のブレーキングが秋では考えられないぐらい信じられるようになってた。


前進したい気持ちを阻むように現れる苦悩。

でも、それを乗り越えるべく奮闘したことは絶対無駄にはならない。


この冬で何かをつかんだ気がします。

特にメンタルは本当に強くなった。

イチローの言葉は真実だと、心から思います。

私が愛してやまない『ベルサイユのばら』より、その3。


フランス革命のバスチーユ牢獄の戦いで狙撃され、

オスカルはアンドレの後を追うように命を落とす。


そのオスカルの最期の言葉。


「フランスばんざい」


by オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ 『ベルサイユのばら』


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戦時中の日本兵ではないのだから、

別に「日本国万歳」「天皇万歳」と言って死にたいとは思わんよ?


このオスカルの言葉で何が胸を打たれるかって

女の身で愛する者への言葉で生涯を閉じるのではなく

その自分の生きる糧となった思想を賛美して死んで行ったことだ


生涯は短い

今「やろうと思ってるけど延び延びにしてること」があるとしたら

仮に今死んでも、こんな言葉で自分の命は閉じれまい。

せいぜい言えることといえば「ああ、○○したかったな」ぐらいのものだろう。


自分の信条に従い、目標を達成すべく懸命に生きていれば

仮にその過程で命を落としたとしても、自己の思想と共に生きた時間は永遠だ。


自分が正しいと思う思想と共に生きたい。

そして、それが決して安易な道ではなく、

自己成長のために必要な道を選んで行ける自分でありたい。

そしてその思想と共に心中ができるぐらい、

自分の中でかけがえのないものとして育てていきたい。


そんなものがこの平和な日常にあるのかって?

絶対にあるでしょう。

それは見つけようとしていないだけだ。




私が愛してやまない一生モノの少女漫画『ベルサイユのばら』より抜粋。


ベルナールとの戦闘でオスカルをかばい、目を負傷したアンドレ。

結局彼はこのまま失明してしまうことになるわけだが、

駆け寄ったオスカルにアンドレが言った言葉。


「オスカル、これがお前の目じゃなくて良かった」


by アンドレ・グランディエ 『ベルサイユのばら』


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愛する者のために、ここまでの犠牲を払えるのだろうか。

そして傷ついたのが自分であって良かったと思えるだろうか。


気付けば相手が自分に対してしてくれることを当たり前だと思い、

あれをしてくれない これをしてくれないと 不満ばかり言う自分がいないだろうか。


大切なのは「そこまで自分を愛してくれる人を見つける」ことではなく

「そこまで自分が愛せるか」という問題だ。