今年3月からアメブロを始め、4月途中から毎日更新することにして早2ヶ月。
いやー 笑
毎日更新するの楽しいんですけど、
正直けっこう大変です
文章で伝えることに慣れていないので余計そう感じるのでしょうか。
正直なところ時間に追われる日もありますが、慣れない言葉で表す作業をもう少し続けて、軽やかに楽しく更新できるようになりたいと思っています
引き続き
よろしくお願いします。
今回は100記事目ということで、改めて、自己紹介をさせていただきたいと思います
お付き合いください。
たまさきよしみ
1984年生まれの35歳。
夏に36歳を迎えます。
~子ども時代~
生まれは秋田県秋田市。小学3年生まで秋田で過ごしました。秋田愛強めです♡
父の仕事の都合で引越しが多く、いわゆる転勤族の家庭。
秋田→横浜→札幌と引越し、札幌東高校を卒業後、家族の元を離れて福岡県北九州市にある産業医科大学へ。
~大学時代~
学生時代は先輩とのご縁と憧れから硬式テニス部に入部するも、けっこうしっかりした部活で自由を求めて1年で退部。
はじめての寮生活でホームシックに陥ったこともあって、癒しを求めて自由に帰省したかったのです。。
(ムカデやコバエが強烈で 涙)
その後は、
ESSなどの部活動に注力したり、
学外の活動に参加したり、
ABC Cooking Studioに通い詰めたり、、
学業以外も謳歌した大学時代でした。
大学愛が強いわけではないですが、人には恵まれたと思っています。産業医大で出会った友人、先輩、後輩、ほんとに大事にしたいご縁ばかり。
先輩が後輩の面倒をよくみる大学で、よくご飯にも連れて行ってもらいました。見返りは求めず、次世代に伝えるようにと。
「自分達も先輩に同じようにしてもらってきたから、下へ下へと繋いでいくように」
と、先輩に言われたことが今でも忘れられないです。
~研修医時代@秋田~
卒業後は生まれ故郷の秋田に戻り、中通総合病院で初期臨床研修を行いました。
やはり秋田好きで、そしてここでも人に恵まれ、秋田で糖尿病内科医になろうかと真剣に考えましたが、諸事情あり大学の精神科医局に戻ったのでした。
〜勤務医時代@福岡〜
精神科臨床生活に入り、思いのほか当直の多い日々を過ごし、精神科治療に従事するやりがいは感じられる一方、大学の精神科医局は薬理の専門家が多く、薬理のイメージが強い医局所属で修練することにモヤモヤも感じる毎日でした。
その後、大学の後輩だった夫と結婚し、しばらくしてから長女がうまれ、子どもが1歳になる前の月まで育休をいただきました。
ここではじめて、中学から憧れていた“専業主婦”の生活を体験するわけです。
なんだか、、
なんでしょう??
社会から切り離されてしまったような不思議な感覚を覚えました。夫は病院勤務にしては早く帰宅してくれる人でしたが、私ひとりで乳児と向き合う時間はなんとも心細かったです。
育休から復帰時は、精神科臨床ではなく、大学の緩和ケアチームに精神科医として所属することに。
1年弱の短い期間でしたが、大学の頃からホスピスの見学をしたり、終末期の医療のあり方を考えたり、死にゆく時のケアって大事だと感じていたので、この時に少しでも緩和ケアの現場に身をおけてラッキーでした。志の高い看護師さんたちに助けてもらい、孤軍奮闘する身体担当の先輩医師にもお世話になり、緩和ケアの医療の世界で生きていくのもありかもしれない、と本気で思いました。
ただ、精神的ケアはもちろん求められるものの、評価と薬の選択ということが、医者である以上、役割が大きいんですよね。ここでもやはり、医者に求められる薬物療法の重みを感じました。
医者としてここは身につけないといけないスキルですし、当然ではあるのですが。
時間に追われる大学病院では、たくさんの患者さんの対応を求められ、いつの間にかケアの時間は二の次三の次になりがちでした。ご本人、家族と話しながら、状態をみて評価して、、
その過程で短時間でも関係性を構築してケアに近い関わりができるように心を砕きますが、私が説明することは薬物療法のことがやはり多い。そこに寂しさというか、これでいいのか?という思いがずっとありました。
生活に変化が訪れたのは2017年。
夫の修練のタイミングで、都内に引越し働くこととなったのです。
長くなりましたので、続きは後編で♪♪
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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