ありがとう 続AC勉強会 その2  | 大田区鵜の木さろん楓★料理家 印南真帆のブログ「食べることは生きること」

大田区鵜の木さろん楓★料理家 印南真帆のブログ「食べることは生きること」

「食べて元気に、食べて体調がよくなるごはん」を作っています。
銀河弁当・ケータリング・料理教室・食生活相談。

さろん楓ふなだまほです。
いつもありがとうございます。


続AC勉強会に想うこと、第2弾です。




自分の居場所を自分で見つけること。 


これ、簡単なこと、当たり前のことのようで
本質的にはとても難しいことだったりする。

私はここにこうして生きていていいの?
誰もが心の奥底にこんな究極的な問いを抱えている。

…私、邪魔になっていない?
迷惑をかけていない?
本当に役に立っているの?
嫌われていない?
そんなことを考えてしまう。



何かがしっくりこないと
ここは自分がいるべき場所ではないではないかなどと思ってしまう。

そして、そういうときこそ
誰かにイエスと言ってもらいたくなる。
誰かに答えを言ってもらいたくなる。

でも、違うのだ。
そのバトンを人に渡しちゃいけない。

自分で「ここは私の居場所だ」と主張できるようになること。
それこそが私たちが心の底から望んでいること。

自分でその答えを見つけた人はただかっこいい。
「強い」「キラキラ輝く」とかではなく
ただ「かっこいい」という言葉が似合う。

その本質は、
何かができるから、とか
役立っているから、とか、
愛されているから、とか、
いわゆる他者から認められることをさすのではない。

何かに失敗しても、迷惑かけても、 
できないことがたくさんあったとしても
それでも私はここにこうして存在していていい。

大切なのは、その事実、結果だけではなくて
その後どうしていくか。
怒られることがあっても、注意を受けることがあっても
たとえ理不尽なことを言われるかもしれなくても、
それでも私はここにこうして存在していていい。

そんな図々しいぐらいの
根拠はなくとも、自分で自分の存在に対して許可を出すこと。
これが自己肯定感というものではないだろうか。

そう、自分の存在は自分で肯定するのだ。

それは、家庭や仕事に何も問題がなくなるということではない。
悩みがなくなるということでもない。

いろいろな問題に直面しては、
嘆き、ため息をつき、弱音を吐く。
泣く。怒る。落ち込む。
でも、そうできるからその人はまた立ち上がることができる。
顔を上げ、口角を上げ、今日も歩く。

それをやり続けてきたから、
最近の彼女はめちゃくちゃかっこいいのだと思う。
私自身が心からそう思うし、
周囲のみんなも同じように見ている。

そうなったからと言って、過去の癖がなくなるわけではない。
怖いものは怖いし、
あんまりいいことがあるとそれを信じられなくて
ガクンと落とされることがあるんじゃないかと構える事だって変わらない。

でもね、根拠のない自信が積み重なってくると
何かが違ってくる。
何も変わっていないようで明らかに違う。

…たくさん失敗してきた。 
でもそうやって歩いてきた道に、その自分にイエスと言う。

自己肯定感があるって、
決して落ち込まないことではないし、
いつもキラキラしていることでもない。


あーあ。
それでも、そんな「私」をしょうがないわねと言って
抱きしめる。



かばってあげる。
護り抜く。

これね、一朝一夕で身につけられるものではないのよね。
一晩寝て、朝起きたらいきなり持っているようなものではなくて
最初は、人の顔色を見ながら、オドオド、びくびくしながら
あ、こんな感じでもいいのかな?とか、
次はこんなふうにやってみようかとか、
試行錯誤しながら見つけていくもの。
だから、時間がかかる。


でも、そうやって歩いてきた時間と道のりは絶対にその人を裏切らない。
だから、発する言葉が変わってくる。
歩いてきた道がなかったら生まれない言葉が紡ぎ出されてくる。

私たちは、最初から「自分」なのではなく
(子どものときはそう自覚できないからね)
「自分」になっていく、
ある意味では、「自分」に還っていくんですね。


彼女の歩みを見て、改めて実感する私です。