さろん楓ふなだまほです。
いつもありがとうございます。
前編では ( ⇒ こちら )
「戦争の世紀の言葉と方法」と
「新しい時代の言葉と方法」について
具体的に考えてみたいと書いてきました。
では、友人が紹介してくれた言葉
『一波万波』とは?
☆ ☆ ☆
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いのちあるもの一つ一つを波にたとえてみる。
近くで見ると一つ一つの波はまったく違うものだけれど、
少し離れてみるといくつかのグループに分かれて見える。
そしてもっと遠くから見ると、
それは一つの大きなうねりに見える。
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私たちも一人一人はまったく違うのだけれど、
結局は大きな一つの流れ。
そして、この小さな波に光が当たると、キラキラ光って見える。
このキラキラこそが個性=美しさ。
一つとして同じものはないし、
一瞬たりとも、同じ状態で留まることはない。
みんな違っていて、いつも違っていて、でもみんな一つ。
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これが「新しい時代の言葉と方法」なのではないかと
仮定したいと思います。
そう、私たちは皆これを知っています。
金子みすずさんの詩「みんな違って、みんないい」であり、
スマップの「世界でひとつだけの花」の世界ですよね。
でも、今、アタマでそれはわかっているんだけど、
みな違うということは認めているんだけど、
その違いを認めた瞬間に、
自動的にその優劣を判断してしまっている。
競うポイントを探してしまったりしている。
無意識のうちに根本的な価値判断をしてしまっている。
だから、苦しいのではないでしょうか。
たんぽぽと薔薇の価値を比べたって、そこに答えはない。
たんぽぽにはその役割が、
薔薇にはそのための舞台があるのに、
同じ土俵で比べることにそもそも何の意味があるんだろう?
人生に王道、本流もなければ亜流もない。
大正解もなければ、
致命的な間違いというものもない。
ただ、人は背負っている役割が違い、
生きる場所、地域が違うだけなのに。
「みんな違う。でも、その価値は同じだよ。」に
なれないのはなぜなんだろう?
それは、次のような戦争の世紀の言葉と方法に
あまりに慣れ親しんできてしまったからではないでしょうか。
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ひとつひとつの波を近くで見たとき。
どれもキラキラしている。
もともと同じものはないし、
すべては変化しながら同じ状態で留まっていることはないのに、
それを揃えようとした。
揃っていることを「よし」とした
統制をとるにはそっちのほうがラクだから。
個性的というのが、人と違うことをする、
際立ったことをするという意味になった。
本当は同じことをしたって
個性が際立っているはずなのに。
名前も顔も違うように、
同じオーラを纏っている人は
誰1人いないのに。
少し離れて見たとき。
いくつかのグループに分かれて見える。
それらを競わせようとした。
仮想の敵を作ることで、グループの結束は高められる。
ライバルがいる限り、切磋琢磨される。
敵がいる限り、闘志が燃え尽きることはない。
その闘いにエネルギーを注いでいる限り、
秩序は乱れない。
大きな混乱は起きない。
そのおかげで、
もっと遠くから俯瞰してみること。
全体を見ること。
本質を見るという目線を
なかなかもつことができなかった。
そんなものの見方があるということさえ
想像もつかなかった。
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つづく