旅行中に響いた言葉。
持って行った清水眞砂子さんの『幸福に驚く力』より
旅というのは、持って出た分しか持って帰れないんだってよく言われますよね。
それ以上のものを持って帰ることはできないんだと。
自分の器分しか持って帰れない。
それは言語の習得にもいえて、いつか、ピーター・フランクルが
「外国語は、自分の母語の力を越えては絶対に学びとれない」と言っていましたが、
本当にそうでしょうね。
本を読むときも、自分がもっている力分しか読めない。
ですからこちらの力が豊かであれば、豊かな読み取りができるでしょうが、
こちらが貧しければ全部ザルのようにこぼしてしまうのでしょうね。
読むというのはpassiveな作業な気がしますが、実はactiveな作業。
さらにいえば闘いだという気がする。
書き手と読み手が互角に渡りあって、バトルをやるんだと。
何かを読むとき私たちは今ここの自分だけでよんでいるのではないんですね。
今ここの自分にはこれまでの何年かの自分が全部詰まっている。
何年かのすべての体験があり、何年か学んだことがあり、
その全部を持って今作品と向かいあうわけです。
となるとどう読みとるかは、毎回毎回テストされているようなもので、
こちらの器にある分しか読取れないんですね。
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・・・毎回読むたびに響くところが違うんですよねぇ。
今、こうして女性性を意識するようになって読むと
冒頭の「橋をかける女たち」という講演も以前とはまた違った形で自分に迫ってきます。
「橋をかける」ってどういうことかというと、「つなぐ」ことです。
龍神さまのお力ですね。
清水さんは、この橋のかけ方にもいろいろあること、
そして、どうも男性よりも女性のほうが橋をかけるのが上手と言われています。
龍とつながる女性たちが増えているのは素晴らしきこと!
皆さん、共に「橋をかけていく女」として進んでいきましょうね。