大阪中之島にお引越しした香雪美術館で「茶碗について」の講演を聴いてきました。
茶碗って、茶道具の器ことです。
東京藝術大学の名誉教授竹内 順一氏がお話しくださいました。
どんなに憧れても叶うはずもない芸術大学、そこでの講義が聴ける!
私の喜び、想像できます?
流行の変遷、茶道の歴史、かけつぎの技法など一般人にも興味がもてるようにわかりやすく、かつ詳しく解説くださいました。
そのなかで何よりも鮮烈に響いたのは、
「問題意識をもって観なければ、観たことにならない。」
1時間半の講義の中で3度強調されましたね。学生にもいつも言っている…と。
痛快すぎて他の内容全部吹っ飛んでもいいとさえ思えた。今日来て良かった!と。
こんなスクランブルの角っこに特級美術館があるなんてね
芸術の楽しみ方に正解はない。
好きだな〜って感じるだけでもよい。
心で感じようって意識するのも素晴らしい。
だけど、細やかに観察することで意識に昇ってくる発見の喜びってものもある。
先生が強調されてたのはまたさらにその先、美の研究には「美を分類する眼」が不可欠ですよってことかなと。
私が興味あるのはそこなのよ。
人生全般そういうこと。問題意識もたずにただ幸せねってぼんやり暮らすなんて無理。
幸せの感覚を絵や音楽に表現できるならそうしてるだろうけれど、私には文字に変換する能しかないから綴るしかない訳で。
好きだなっと吸い寄せられ、心に響いたから文字を起こす原動力になってる。
好きすぎるから細かいところまで意識が向く。
で、受け取った感覚を言葉にできないかなって挑戦するのがささやかな楽しみ。
難しいこと考えないでもっと気楽に芸術を楽しむと良いよとアドバイスいただくこともあるけど、気楽だけでは飽き足らない。
気楽な鑑賞は一瞬で通過済みでございます。
物事なんでも、いかようにも「観る」ことができる。
一、ぼんやり眺めても気付けるフェーズ
二、自分なりの経験則をもとに深読みできるフェーズ
三、人から教わって多角的に見れるようになるフェーズ
四、他の事象と紐付けて共通性を見出すことで気付けるフェーズ
五、さらに視点を引いてゆき自然の法則を察知するフェーズ
と、いった具合に。
優れた美術工芸品を好きかどうか、綺麗かどうかだけで眺めるのはもったいない。
味方を変えれば無数の情報が浮き上がってくる。
「一を聞いて十を知る」境地は、すべての事象に問題意識をもって向き合う姿勢において達成されると思うんだな。
そんな持論を全肯定いただけた言葉でした。
“問題意識をもって観なければ、観たことにならない。”
香雪美術館では朝日新聞の創設者が収集した美術品が展示されています。
日本の優れた美術品が海外流出しないよう、明治の財界人は尽力されたようです。
そのような私設の美術館には、とびきり繊細でハッと我に帰らせてくれるような和の心が大切に守られていますね。
たくさん名器に触れました。楽茶碗といえど無数の黒がある。
天目とは姿を味わうもので、道具ではない。そんなことも知りました。
“たたら”も名品になれるらしい。これ一番好きだったな。
もう会期終了してますが、こちら↓で少し覗き見できます。
只今、刀のコレクションが展示されているようです↓
かつては武士の魂として、魂を込めて生み出された刀。
緊張感を宿した厳しい美を放ちます。
私は…、昔は好きだったけど今はちょっと無理かな。
でも、「真剣」の意味の由来でもある本物の刀からは怖いほどの真剣さが伝わってくる。真剣とはここまでの境地なのかと学べるので意義深いだろうな。