シアトルから前衛アートが山間の古民家にもたらされました。
空気が静かに地鳴りするかのような熱気が、演者と鑑賞者の間に生まれた。
もの凄い気迫の舞台が繰り広げられ。
アートをこよなく愛するわたくし、言葉なくただただ感激しておりました。
舞踏家奥村薫さんに引き寄せられるようにお集まりくださった方々も、挑むかのように開演を待ち構え。
あえての極至近距離で据えた椅子に舞踏家が悠然と腰をかけるシーンから公演が始まりました。
プログラムは3部構成。
第1部 舞踏についてのレクチャータイム
舞踏とは?
It's a big question. It's a mystery.
「答えではない」
いきなり哲学のような定義から切り出され、空気が微かにざわめきました。
身体能力で魅せるダンスパフォーマンスでもなく、感情の機微を表現する演劇でもなく、表現する言葉は存在しないけれど確かに「ある」ものを身体で発露する。
そういうものなのだと聞かされました。
「理解しようとしないこと。」
初めて舞踏を鑑賞する方々に向けて、まず鑑賞前に念を押しておくのが第1部の大切な目的だったのかもしれません。
そんな念押しも、舞踏の歴史、奥村さん自身のプロフィールが軽快に気さくな口調で語られるなかに巧妙に紛れておりました。
第2部 舞踏ステージ「Shadow Flower」
コーヒーブレイクを経ていよいよメインステージ。
舞踏特有の白塗りで衣装替えされた姿は、もはや先程までの知性的な語り手とは別人。
煩悩の権現のごとき年齢不詳の女性、心の動きに翻弄される人間の象徴。
言葉で表現した時点でそれは嘘になる。言葉で切り取れない無限の広がりこそに舞踏の真髄があるように感じました。
…語るまいっと心に決めて写真だけを並べてみた。
ただひとつだけ嘘にならない説明ができるとしたら、、
黒いレースのドレスを纏った女性のことをわたしは私の中に知っている。
白い着物を羽織った女性と同じ視線には、高齢者施設を訪れるとたくさん出会う。なんなら母も父もそんな目で、出立ちで晩年を過ごしていた。
手にされてるシャガの花はこの日の朝、裏庭で今年初めて咲いたもの。
陽の目を見ない日陰の花(Shadow Flower)が晴れ舞台を飾った。
個人的にはそんな自然との偶然の呼応にも喜びが湧いた。
第3部 交流会とワークショップ
舞台衣装のまま交流タイムに。感想や質問が募られた。
一つ一つの問い掛けに深くシャープに解説が加えられるので、密度の濃いエキサイティングな時間へと大盛り上がりした。
ささやかな質問から普遍的な定義がうねりのように紡ぎ出されていく薫さんのトークはさながら「智の洪水」。
最初は遠慮気味だった観客も、もっと聞きたい溺れたいという衝動に掻き立てられ心に浮かんだ疑問をどんどんと投げるようになった。
あの討議を録音しておかなかったことが惜しまれる。
話を聞きながら何度低く唸ったことか!夢中すぎて、全部記憶する気概でいたけどそんなの無理だった。
言葉では言い尽くせない舞踏の世界を言語で語ろうとするとき、それは知性を探求することとなるようだ。
引き続きワークショップで舞踏の歩き方の基本を学んだ。
2名が代表で「北極星の歩き方」を実践体験された。
北極星に向かって歩くイメージ…。心が侘しくなってくるそうです。
ピンと張った糸に手繰り寄せられるような感覚で相手を導くこともできるらしい。
やはり、Butoh is mystery.
途中退出された方をお見送りして戻ってみると、
人々入り乱れてまるで春の三美神の舞かのような優雅なステージに変わっていた。
様々に変化する薫の舞踏もフィナーレ。
みなさんの表情から公演の満足度をご想像いただけるでしょう。
奥村薫様、こんな辺鄙な山里の小さな古民家での公演を快く開催くださりありがとうございました。深いアート体験に溜め息。
はるばるお越しくださり会場を熱してくださった皆様、ありがとうございました。
そして、きっかけを作ってくださった古賀静華さんに感謝です。
最後にプロの写真家さんが撮影くださったお写真をご紹介します。
更なる臨場感を感じてもらえます。是非↓