「汝の敵を愛せよ」という修行⑷ | 大阪高槻 神峰山の里 古民家ギャラリーねこ福 

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“何故わたしがホロスコープ鑑定なのか”をシリーズで綴っています。

 

 

 

前々回、

精神の治癒というテーマで心理学を自分なりに探求してきたことを書きました。

 

 

 

 

 

そのテーマを与えたのは父です。

わたしの父は精神疾患がありました。

 

事をこじらせ、わたしを追い詰めたの母でした。

 

 

母は事実と向き合おうとしませんでした。

数々の父の言動はなかったこと、他言無用。

わたしとあなた(わたしのこと)で耐えれば済むことなんだから、

事を荒立てないで、と。

 

わたしには、父親として崇めるよう繰り返し苦言しました。

 

どんな人物であっても

支える心を養って欲しい

との、崇高な信念があったようです。

 

 

発症した時の矛先が己に向かうのなら、

わたしもその方針を受け入れられたでしょう。

 

 

父の発作の矛先は必ず家族でした。

姉が嫁ぐまでは姉に。

姉がいなくなれば祖母に(本人の母親)。

祖母が亡くなると母に(本人の妻)。

 

いつでも、その人の存在のせいで家族が栄えない、

不和になるのだと、なじっていました。

不和の発生源は当人です。

 

いとも簡単に容姿、弱点をネタにその人を蔑みました。

自分が出世できないのは、お前らがみっともなさすぎるからだと。

そんな人物を重用する社会がどこにあるでしょう。

 

一度何か琴線に触れると、

そのような演説が1時間でも2時間でも続きます。

1週間同じ話題を持ち越して、連日、

演説が展開されることも珍しくありませんでした。

1ヶ月後、1年後、5年後に引き合いに出されることもありました。

 

夜中の2時に母を起こして法話が始まります。

その声でわたしも目が覚めました。

翌朝、母はいつもの時間に起床して出勤していきます。

ご当人は起きれずに欠勤します。

 

長期欠勤を繰り返し、職を転々とします。

冷遇されるのはお前(妻)の親戚があんなところを紹介するからだ。

 

 

どうやって崇めましょうか?

どういう心理になれば、

このような人を否定せず、拒絶せず、受け入れられるのでしょうか。

この半生、答えを見出せず悩みました。

 

看取った後でさえ、

全てを受け入れきれなかった自分を責めていました。

 

 

 

「お父さんのことお願いね…。」

 

父の肉親たちから最期の言葉として託されたのは、

父のことでした。

現実の惨事を知らずの純粋な思いだったことでしょう。

 

母から最後に聞いた肉声も同じでした。

くも膜下出血を起こして倒れた直後、危篤となる直前のことです。

その後、後遺症で寝たきりになりました。

 

 

その言葉を受け取るたび、

汝の敵を愛せよという言葉を

目の前に突きつけられている思いでした。

 

 

配偶者なら、離婚して我が身を守ることもできますが、

親だと見捨てるわけにもいかない。

 

 

 

父を見送って、もうすぐ2年になります。

 

 

 

 

それで今どう感じているかというと、

 

気持ちは伴わなかったけれど、

形だけでもなんとか子の役割を全うしておいて良かったと。

 

 

母がわたしに気付いてもらいたいと望んでいたものの輪郭が、

おぼろげに洗い出されてきたので。