“何故わたしがホロスコープ鑑定なのか”を
しばらく、シリーズで綴ってみようと思っています。
前回からの続きです。
薬学部、化粧品の研究開発、薬剤師、
肢体全敗発語なし要介護5の母を在宅介護。
表向き人間心理とは無縁の経歴ですが、
ヒトの心の闇を読み解くことをライフワークとしてきました。
実は。
必要に迫られてのことです。
心理学を学問として正式に学んだことはありませんし、
その分野の資格は何もありません。
でも、日々の生活の中で
精神の治癒というテーマが頭から離れる日は、
ほぼなかったと言い切れます。
家を飛び出し暮らしていた3年間を除いては。
わたしの父は精神疾患がありました。
現代医学における診断名は不明です。
精神科にちゃんとかかったことはないので。
日常生活ができるほどの「軽度」というのは曲者で、
近親者にとって
病気と割り切れないやるせなさがついてまわります。
健常者としてはモラルを逸していて、
心の交流は期待できない。
かといって病人として突き放すには
まともな部分、逆に優秀な面も多少はあるので、
真っ当な生活を送らせてもやりたい。
ここまでは、そこそこ特別なことではないかもしれません。
何かしらの心の闇を抱えて、
家族に向かって抑制の効かない素行を撒き散らす人は結構いるでしょう。
わたしの母は、このような人物に何事もないかのように
健常者として接するように強いました。
父の病気は、母とわたしの中の秘め事、
絶対に誰にも漏らさぬよう、
父親として崇めるようにと。
父が社交の場に出た時に恥ずかしい思いをしないように、
父親としてのプライドが病気に良い影響をもたらすようにとの配慮でしょう。
それは立派な心の在り方だと思います。
反面、
事実を事実として捉える現状認識能力を
わたしから奪うことになると
母は気づかなかったようです。
幼少期のわたしはほんとうに阿呆でした。
太宰治の『人間失格』の冒頭、
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
そのまんま、自分でした。
父の精神疾患を我がごととして背負い、
時に渾然一体化され
自分自身の精神状態をも脅かされながら
伴走する半生でした。
秘め事なので、
誰に相談することも許されない。
解決の道はいつも自分で探さなければいけない。
その環境がわたしを磨いてくれました。