ねこ福でホロスコープ鑑定を始めたと近況報告すると、
旧友から決まって、
「ちょっと、その女医さん凄いんちゃう⁈」
というセリフが飛び出します。
昔馴染みの友人ほど、
声量も大きく、声のトーンもたかくなります。
感服いたしましたって感じ。
何がかというと、
👉それ、お前にぴったり
👉あの場所で占い、しかもエミちゃん…。そりゃお客さん来るわ!
とのことらしいです。
言われる度に、わたしは複雑な気分です。
言っているのは大抵、大学時代(薬科大)の友人たち。
友人たちは「占いが似合う」ような印象をどこかにもっていた。
ちょっと違うなって感じてたんだって思うと、
がっかりなんです。
周囲に合わせて理系な会話、考え方をして振舞っていたつもりなのに。
それくらい、
リアリストとして生きることをポリシーとしてきました。
リアリストのなかに混じって
普通に楽しかったし、
普通に肩書きの役割もこなしてきたし、
これからも絶対に「普通」を振舞って生きるつもりでいました。
そこへ、
ねこ福でホロスコープ鑑定をやってごらんと
アドバイスしてくれた女医さんいるらしい。
よくよく考えてみたら、
お前にぴったり
あの場所に占いってぴったり
という絵柄が友人たちにも思い描けてくるようなのです。
よう見抜いたな、
よう思いついたな、と。(←大阪弁でよくぞの意味)
「ちょっと、その女医さんだいぶ凄いんちゃう⁈」
というくだりに行き着くのです。必ず。
その女医さんって、この方。
その女医さんがねこ福にやってきて、
ここで占いをやったら良いわと進言してくれているの図。
え?リアリストのわたしが占いですか…
え?精神科医が占いを提唱しますか…
斜に構えて、話半分、とりあえずで聞いておこうの姿勢のわたし。
占いも真剣に読み解けば当たること、
世の中には自分の意思だけではどうにもならない
自然の法則のようなものがある
ことは知っていました。
でも、
万人を説得できる‘論証の土俵’を出て
人とは関わることをしたくなかった。
それって矛盾しているな、
ねこ福にお越しくださる方の悩みが晴れれば
どんな手段でもいいじゃないか、
そう思えるようになるまでに2ヶ月かかりました。
タロットカードでも易でも良いのだろうけれど、
データを憶測を混えずに読み解くことにリケジョの強みを生かして、
ホロスコープの鑑定をすることにしました。
これが、“何故わたしがホロスコープ鑑定なのか”の出発点です。
しばらく、シリーズで綴ってみようと思います。
それは生い立ちから介護経験に至る足跡と同義なんです。
シリーズは「介護体験記」に飛びます ➡︎ ♣︎♣︎♣︎
ちょっとだいぶ凄い女医さん伊豆はるかさんには、
本当の意味での社会復帰を後押ししてもらったことに感謝しています。