92歳を生かしていた想い | 山里古民家リトリート 大阪高槻 神峰山の里 ギャラリーねこ福 

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終戦記念日ですね。

 

ねこ福じいちゃんが最後に自宅で食事をした日以来ずっと、

書いてみたいと思い続けてもう1年になろうとしている。

 

去年の9月にあったことだけど、

テーマにするには今日が一番ふさわしい日でもあり、

そろそろタイムリミットにしなくちゃという思いもあって

今こうして向かっています。

 

 

 

 

 

夏バテと腎臓機能のせいもあって、

じいちゃん食欲が振るわなくなってきていました。

 

じいちゃんの辞書で「しんどい」とは、

気持ちがすぐれない場合にのみ使う用語だったのでしょうかね、

身体の不調について語ることがありませんでした。

 

その代わりに、

「こいつの作るもんは、みな、

「食べられへんのや!」

が、決まり文句でした。

 

 

言葉を額面通りに受け取るのが普通な私からすると、

何言うとんねん、となる訳で。

 

何贅沢言ってんねん、

お母さんは何も食べられないまま4年も生きたはったんやで、

ありがたいと思えよ

 

と、怒りをたぎらせながらも、

この日はぐっとこらえることができて、

ただ黙って介添えをしました。

 

 

じいちゃんも食べた方が良いことは分かっているので、

覚悟のごとき意を決して

気の進まない食事を一匙、まだ嫌々に一匙と、

喉を通していきました。

 

その時発していたオーラがものすごくて。

 

じいちゃんの頭上後方に

脈々と連なる戦死者の列が見えるようだった…。

 

 

あぁ、じいちゃんこの方達を背負ってここまで生きてきたんだなぁ

と感じた瞬間でした。

 

全く何も語らずにきたけれど。

 

 

じゃいちゃんは大學を卒業してすぐに1年だけ徴兵され、

無事に帰ってくることができたそうです。

蔵には、その時の所持品や千人針が残っていますよ。

 

母の実家のお墓まいりで、

戦死者慰霊墓に同じ兵舎だった人の名前を見つけて、

身元の聞き取りを熱心に始めたことを

子供ながらにうっすら覚えています。

 

誰が命を落としてもおかしくなかった、

そんな境涯で、運良く生きる道が与えられたその後の人生だったのですね。

 

兵隊さんを主人公にした物語や報道ドキュメンタリーに接すると、

これが自分の父親であったかもしれない、

他人事でない感じがします。

 

 

 

 

 

 

 

じいちゃんが長生きできた秘訣はいろいろ挙げられるけれど、

根底にあるのは兵隊さんの強さなんだと思うのです。

 

身体的に鍛えられたこと、

逆に精神は耐えきれずに壊れてしまったみたいだけど、

仲間の分まで生きなければいけないという気概があったのだと思います。

 

 

「ただ生きていられるだけで感謝している。」

 

よく言ってました。

 

 

私からしたら、

ただ生きてるだけじゃ困るんですけど…

家の采配してくれ〜、周りで支える者への配慮を持ってくれ〜(迷惑千万…)、

なんですけど。

 

 

 

生きなければいけない

 

理由も根拠も動機もなく

ただ本能のようにそう感じて生きてはった、

 

それが一番の強みになっていたのだと思います。

 

 

 

生きる意義を考えすぎるより、

こうありたいとこだわりるより、

生きることは単純で純粋に貴いことなのかもしれません。

 

平和の時代に育った私は、それを複雑にしようとしがちですが。

 

 

結果、成果、達成に固執しがちな私に、

「無理すな、無理すな。」

が、口癖でした。

 

『あんたがしないから、私無理せなしょうがないのですけど…』と、心の中で返してました。

 

努力、忍耐がしんどくなってきたこの頃、

いかに省力で流れに託すかを意識するようになって、

これぞ真理だったのかもとも。

 

 

 

じいちゃんは、

ただ生きることで、

重い教訓を置いていってくれたのかもしれない。

 

それをまた、少しでも多くの方に伝えることで、

ささやかながらも戦没者の方々のご供養にできたらなと思っていました。

 

 

 

 

生きたくても生きることが許されず人生を終えていった「時代の犠牲者」に私たちができる本当のことは、繁栄でも、国の意義でもなく、

 

命を粗末に考えない、

命を大切にする選択をいつも真剣に考える、

 

そんなことではないかな。