子供を信用するというのは、簡単にできることではありません。

 

 

 

親というのは、何もできないころから我が子を育て、世話することに喜びを感じます。

 

 

 

精神的に成長できている親の場合は、子供が親の元から飛び立つように世話をすることができますが、主体性の欠落した親の場合は、子供が自分に依存するように子供の世話をしてしまいます。

 

 

 

自分が無いから。

 

 

 

自分が無いから、子供を利用して自分のアイデンティティを創り上げてしまいます。

 

 

 

主体性の無い親は、お世話に歪んだ喜びを感じてしまい、それが快感に変わり、支配欲へ繋がり、依存が起こります。

 

 

 

これは、物を落としたら必ず下に落ちるという物理の法則のように、主体性の無い親には必ず起こることです。

 

 

 

子育てには主体性が必要なのです。

 

 

 

教科書が無いからです。

 

 

 

信用するということは、子育てに置いて基盤になります。

 

 

何はなくともまずここを構築しなければ何も築くことができない。

 

 

だから、子供は反抗するわけです。

 

反抗ができなくても、親にとって嫌なことを起します。

 

 

 

 

 

 

これは全然別の方の記事ですが、こちらと似ていることが起こっているということがわかりますか?

 

 

 

 

 

抜粋下矢印

 

 

放っておくことができないのは依存しているからです。

 

 

それはある意味、相手に自由を与えないという事。

 

 

その後の文がそれを証明しています。

 

 

やっぱり元気でいて欲しい。

笑ってて欲しい、幸せでいて欲しい。

これは愛ですか?

 

 

 

抜粋上矢印

 

 

 

 





勉強できてほしい

有名な大学へ行ってほしい

自慢できる娘でいてほしい

楽しそうにしているのを見ているのが嬉しい

 

 

 

言い換えて見ましょう。

 

 

 

勉強してくれるとお母さんは嬉しい

有名な大学に行ってくれるとお母さんは嬉しい

自慢できる娘でいてくれるとお母さんは嬉しい

娘が楽しそうにしているとお母さんは満足

 

 

 

テイカーっぷりが炙り出されましたね。

 

 

 

この、そしてくれるとお母さんは嬉しいが、呪文となり、結果的に子供は息苦しくなるわけです。

 

 

 

精神的に成長している親の場合は、自分だけで人生楽しめるから。

 

もしくは夫婦で楽しめる。

 

 

子供に幸せにしてもらう必要が無いわけ。

 

 

だから子供が負担にならないし、子供が自分のことを本気で考える余裕が生まれるです。

 

 

ちゃんと、子供にパワーを与えてあげられるんです。

 

 

枯渇した親の場合は、子供からパワーを奪います。

 

 

何をしたいかよりも、どうしたら親が喜ぶか? が、先に来てしまうのです。

 

 

 

 

これが大問題なことが解りますよね?

 

 

 

この時点で、自分の気持ちを選べないのです。
 

 

 

この大問題、わかりますか?

 

 

これは、自分の人生ではなく、他人のための人生ということです。

 

 

これが、テイカーの親がやっていること。

 

だから、未熟な親はテイカーなのです。

 

 

 

子供が枯れていくのは物理的に自然な法則だということが解りますか?

 

 

このような親は、言ってることとやってることが矛盾しているんですが、言ってる言葉だけはまともで一人前の為、当たり前すぎて誰も気づけません。

 

しかし、やってることは物理的に歪んでいますから、必ず子供との関係に亀裂ができてくるのです。

 

 

 

ですから、自分がどういう子育てをしてきたと思っていようが、結果が全てです。

 

 

 

 

 

子供が、親の期待に応えて生きることがデフォルトになると、もうおかしいという事には気づけません。

 

 

 

この刷り込みは幼稚園くらいで終わります。

 

 

 

その刷り込みは、期待に応えない私は受けいれてもらえないというメッセージを24時間365日受け取って生きているということになります。

 

 

 

努力しない私はダメだ、です。

 

今のままではダメだ、です。

 

 

 

 

この呪いは壮絶です。

 

 

今のままではダメだを24時間365日受け取っていて、自己肯定感が上がるわけがないのです。

 

 

 

親は子供の価値を上げようと努力してうるさく言うのに、結果はこうなるのです。

 

 

 

だから、損得勘定できていないって、いつも私に言われてるんです。

 

 

まともに勘定できないくせに、勘定できてる!とそこだけは謎に自信満々なんです。

 

 

疑うことすらしない。

 

 

リアルが見えないので、勘定ができない自分に気づけないんです。

 

 

 

気づきが全てというのも常に言ってますよね。

 

 

 

自分がどれだけ親から束縛や主従関係を求められて嫌な思いをしても、そこと向き合って乗り越えない限りは、これまた物理の法則のように必ず我が子にやってしまうのです。

 

 


 

 

何でも口うるさく言う母親のせいで、自分の着る服まで選べなくなる始末。

 

 

それを我が娘にもやってしまうのです。

 

 

 

この方は、共依存の母親を放棄して東京に出てきたからまだマシです。

 

 

 

酷な言い方をすると、共依存の母親を捨てた。

 

 

 

大事なことは、共依存の母親を捨てたのであって、母親を捨てたのではないということ。

 

 

細かく物事を考えることができない人は、こういうところを考えることができないんです。

 

 

だから、共依存の母親を捨てたと言ってるのに、母親を捨てたと歪んでスライドさせてしまいます。

 

 

 

だから、そんな酷いことデキナイ!などと感情的になる。

 

 

このように細かく添削してもらうことが本当に大事で、国語力が無いと自力で成長するのは難しいです。

 

 

 

共依存の母親を捨てた。

 

 

それは自分が自立するためであり、本当の強さです。

 

 

その強さがあるという証です。

 

 

本質にその土台があれば、さほど大きな問題は抱えません。

 

 

だから、子供への干渉もすぐに治まると私は考えていますしその通りになるでしょう。

 

 

 

 

問題だと感じる相手は、全て自分の鏡です。

 

 

 

根底にある問題が染み出ている証拠です。

 

 

今ある目の前のNGな出来事を、見つめることが大事なのです。

 

 

 

 

ではまた後でバイバイ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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