小さくて、かわいい言葉を見つけました。

「かそけき」または、「幽き」

       幽か(かすか)であること。微妙で、淡い調子。

「幽けき」

      今にも消えてしまいいそうな、薄い、淡い、仄かな様子。

かそけき、かそけき、かそけき、・・・・・・・・・

  どうだろうか?

     現在でも使われることのある、雅な言葉だそうだ。

かそけき味の飲み物。
かそけき明るさのローソク。

このように使うのだろうか?

どうして、

どうして無くなってしまうのだろうか?

  こんなにかわいい言葉が!

ある国語学者は、
  「学者の立場では、言葉が変わっていくことは歓迎できる」。
と、言っていた。

学者でない私は、何か憮然としたものを感じる。

時が解決・・・というか、時の流れは本当は無慈悲で

  上から下へ、必ず流れるように

時が人生を、必ず造っていく。

人生は、本人のものでは無く、時の所有物なのです。

人の意思なんて、・・・・関係ないんですよ。

まったく

どうしよう

じゃ

次は、どうしても思い出せない言葉

日本が誇る「アニメ」の世界

特にお気に入りなのが、静けさを表わす「シーン」という表記

音が無い状況を「シーン」という音がしているという表記

不思議だけど、たのしい。

さて、本題は・・・・

      湘南ビーチ

  たくさんの水泳客たち

      画に描くとすれば、わいわい、きゃーきゃーという表記

実際、しばらく眺めていたら、本当にわいわい、キャーキャーと聞こえるから不思議だ。

おそらく多くの人は何かの会話をしているはずなのに

  わいわいとか、きゃーきゃーなどとは話していないはずなのに

一人でぼんやり眺めていたせいなのかな!

海辺での一人は、昼間では画にならない

わたしのまわり半径30センチ

    きっと「しーん」という音が鳴り響いているんだろうな。

もう何年も前のこと、友人が容姿風貌からは似合わない言葉を発した。

「あの頃は、こういう所に入ることは負けだと思っていた」。

マックでのハンバーガーを頬張っての一言だった。

私たちは、少し苦笑した。

この苦笑には、お互いが別々の思いを持っているのに私だけ気づいていた。

穏やか過ぎるほどの顔をして学生運動の頃を懐かしむ彼。

私はというと、実はジャズ喫茶もファストフードも大好きだった。

秋田美人の奥さんと珠のような娘さんとの家庭は、昔の厳つい出来事の記憶さえ口元を緩ませるほどの記憶に、本人の意思とは別に作り変えてしまっている。

人は、これほど変わることができるのだろうか。

変わったという錯覚の中で別の人格を登場させているだけなのではないか。

とにもかくにも、彼の変貌振りはひとりの孤独を楽しめる立場に至ってから、およそ私の予想を超えていた。h

言葉が思い浮かばない。

・・・そう!

メタモルフォーゼmetamorphose

昆虫の変態。

それほど鮮やかに変り身を演じているのだ。

私の今の興味は、この一転に集中されている。

いつあの芋虫だった頃の人格へ戻る?

何がきっかけで、あのさなぎだった頃の人格へ戻る?

誰も気付かないまま、彼自身さえ気付かないまま時は流れ行く。

人は、一度だけ人格を(自覚はあるなしに関係なく)変えてしまい、
    二度目の変化は想像もしないまま人生を歩む。

あの頃は・・・・・・・・・・なんて、のんきな言葉を発しながら

自分以外の誰かに、ちょっとした苦笑を投げかけてゆく。

って、

こんなエッセイ・・・・どっかで読まなかったかなぁ~