自分は、確かに何かを「待っている」はずだ。

こう思い続けている人は、たいてい偽善者だ。

偽善者とはちょっと言い過ぎかもしれない。

           でも、確かに、自分に嘘をついている。

この「待」と言う漢字はちょっと面白い。

  寺は、昔の役所を意味しているようでです。そんな役割もあったことをなんとなく知っているのではないでしょうか。

    生き死にからはじまって戸籍までも管理していたんですから。

 ギョウニンベンは、行くと言う意味。

 それで「待つ」とは、
     役所へ行って訴えを起こしてその処理を待つこと。

あなたはいったい何を待っているのでしょうか。

  何の証拠も確信も無く訴えを起こしていたなら、
                         待つ時間は単なる苦痛

  結果への希望があり、確信を抱いているなら、
                         待つ時間は至福の時。

待つという時は、休止や停滞ではなく、前進であり進歩すること。

そう、行動を伴っているんです。待つって言うのは。

だから、何かを待っていると言うのは正しくなく、目標をしっかりと説明

できるものなのです。

本当の自分は、こんなものじゃないはずだ・・・って、大人の言葉じゃないよね。

で、・・・・・・
わたしは・・・・・・

待っているの!?  

先を見通すこともできずに時間をただ浪費するなら、待つことに

苦痛を感じるが、将来の希望があり、しかもそれが確かに成就

すると言う保障された期待、確信があるなら、今、この時に、

自分に求められている事柄を熱意を持って成し遂げようとする

努力、行動を起こすべきではないでしょうか。

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わたしは、

何の行動も取っていないのに「待っている」と勘違いしています

本当は楽なんですよね、この時間は。

でも、必ず苦痛の時が待っているんですけどね。

じゃ、このへんで。
今日、読み終えたのは、「落下する夕方」。

同じ作家を読み続けることは、今までに無かったことだ。

そして、次の本も「号泣する準備はできていた」に決めている。

最近、短編集、もしくはエッセイにこっている感じがする。

それでいて読むのに時間がかかってしまうのは、

「華子は私をじっとみたあとで、もちろん、とごく穏やかに言った」
                        (「落下する夕方」より)

 とごく穏やかに・・・で、

とごく・・・・・・・・・・もし、「すごく」の間違いなら、この状況は・・・・・

などと空想してしまうからに違いない。

(実は、この方が私にとってはお気に入りなのだ。)

とごく、ってなんだろうと考えたのが約30分ほど。

と、ごく穏やかに・・・・にたどり着いてから次の行へ移るのに5分ほど。

でもその前に、空想で50分ほどかけている。

楽しいね、読書は。

「いくつもの週末」は、文章の勉強用に書き写している。

「守宮薄緑」もまだ終わってないのに!

これじゃ、ひろく・あさくって言えないよ!!
気に入ったからといって、好きなわけではない。

だって、孤独ですよ。

じゃ、何が気に入ったのか。・・・

孤独って、好きか嫌いかに分かれるものだろう。

孤独を好きな者は、社会生活をある程度理解する者。

  その必要性を承知しているので、受け入れるキャパもある。

嫌いな者は、たぶんこう答えるだろう、”ぞっとするから”と。

  人は、基本的に自分にとって不要、不快なものを忌避する。

  ぞっとする事なんて、誰だって欲してはいない。

ぞっとする事の最たるものが、2人の孤独でしょう。

  一人で孤独な時は、安心、安堵を覚えることもある。。

  でも、2人が居るのに孤独を感じるならどうか。

  2人で居る、という互いの必要を意識できる状況で

  そんな状況の中で孤独だなんて、ぞっとする!!

今、私は一人ではない。

一人の孤独は嬉しいもので、2人の孤独はぞっとする。

そんな孤独が尋ねて来ないように、”気に入った”、”気に入った”

と、自分に言い聞かせよう。