衆院選・・戦後最低の投票率。

   今回は、これまでよりも6.66ポイント下がった。

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気になったのは、6の3つ並び。実は、

今日の第一京浜の京急蒲田駅付近、秋田ナンバーの666のトラック

目の前を走っていた。

一日に2度、関係するのは珍しいことだ。

666といえば、キリスト教では忌み嫌われる数字。

  サタンの数字だと言われているんです。

昔の話だけど、クリスチャンの女の子が免許を取り自家用車を購入。

納車の時、ナンバープレートを見て愕然とした。

   666 だった。

ある友人は、選んで購入した訳ではないので気にするな、と言った。

しばらくは我慢していたけど、結局、車を手放したという。

特に避けたいと思っている訳ではないけど

目に入ると気になってしまう。

クリスチャンでなければ関係ない数字ですけどね。

小さい頃、好きな数字は「4」だった。(理由ははっきりしていない。)

嫌いな数字は、決めていなかった。

大人になって、クリスチャンになって、

    好きな数字は、特に無くなった。

    嫌いな数字も特に無い。

     (666は、マイナスイメージで気になる数字。)

好きな、嫌いな数字を誰もが決めているのだろうか?


久しぶりにたくさんの道のりを歩くことになった。

最初は、いつも車中からの眺めなので歩くことで違った景色が・・・

そう、ちっちゃなものに注意が向くんです。

○○施設まで150m などという標識。

注意して見る事はほとんどないかもしれない標識。

  150mという距離感を、多くの人はすぐに感じ取れるのだろうか?

たしかに実距離は150mなのだろう。

一目見て、大体あの場所くらいだ。・・・・こんな感じ!?

実際に歩いていき、この場所だろう。・・・こんな感じ!?
 
  自分には測る術がないので感ということだろうが

    この「感」が良い人とそうでない人では、大変な結末が。

私は、もっと小さい頃から良くない部類に入るらしい。

ゆえに結末は、直線なら我慢すれば大丈夫だけど、

曲がるとなると・・・

必ず他の人よりもたくさんの曲がり角を通り、時間を掛けることになる。

    150mという距離が悪いのか

    俯瞰する能力が極めて低いのか

結論は、あまり注意して見ていないことだろう。

あの標識は、

  実距離を教えるのではなく

  時間の俯瞰を教えるものなのであろう。

    だから厳密に標識に頼ることは考慮されていない。

この先に有るものとある程度の距離感を働かせるための

スイッチの役割を成しているんだろう。

ところで、150mを実測し、間違っていたぞー!と指摘している人を

私は見たことがない。
土曜日のことでした。

本を片手にバスルームへ。

半身浴の体制を整えたところで、いざ本を開く。

・・・ ・・・ ・・・。

1時間後、たしか、整えた体制のままの姿勢で意識が戻る。

本を閉じ、伸ばした両足を胸元へ引いてくると、

空気に触れた両膝がほんの一瞬、ピクッと震えた。

「そうだ、自動のスイッチが切れていたんだっけ」

本とメガネをタオルにくるみ、静かに湯船から脱出すると

熱いシャワーで体温を少し上げることにした。

眠ってしまったことや本を一行も読んでいないことなど気にしない。

いや、かえって読めなかったことは大成功だ。

一行目を読み始める前の妙な堅苦しさが

  新鮮さを保ちながら次回へと持ち越されたからだ。

その「次回」は、まだきていない。

今月は、この一冊で終わってしまうかもしれない。