不安だらけで始まった、カンガルー教室。
クラスは六名、男の子が四人に女の子が二人
先生は三名に、心理士の先生一人と贅沢な布陣。
まず、クラスに到着すると、自分の鞄を自分の箱の中に入れるところから
始める。
その後、先生と挨拶。いすに座って、「おはようございます」
そこまではいいのだが、その後は個々の程度に合った課題を行う。
教室に参加していた子どもたち、
カボ吉をのぞいてみんな自閉症のようであった。
カボ吉は発達が遅いというだけで、見た目に障害があるようには見えない。
中には奇声を出し、泣いたり、暴れたりする子もいる。
しかしできることはみんな違う。
カボ吉がトイレを一人でできるようになったのは四歳になってからだったが、
もうトイレを完璧にできる子もいる。
ひらがなや動物の名前をカボ吉よりも知っている子もいる。
ここで思ったことは、
障害とは、単なる個性ではないか。
個々の課題の時間
カボ吉はすぐにふざけて、先生の話を聴かない。
普段なら、かあちゃんの鉄拳が飛ぶ。
いかんせんうちのかあちゃんは手が早い。
そうならないように、こういう場面ではなるたけ僕がかかわるようにする。
体罰
あまりいい言葉ではないし、するべきではない。
しかし、核家族化の進む現在、仕事に忙しい旦那さんも多いし、増してやシングルマザーも多い。
赤ん坊から四六時中子どものことを見守っているのだ。
手を出してしまったり、そういう心境になることもあると思う。
子育ては理屈ではない。
夫婦も色々だ。
だったら、母親ができない部分を僕がやればいい。
幸い僕は高校生のとき、留学先のファミリーの男の子(三歳と一歳)の面倒を一年見てきたという経験があった。
子どもがいうことを聞かないのは、当たり前なのだ。
カボ吉の課題は、手先を使うという課題からだった。
穴のあいたタッパーに、ペーパークリップを入れるという作業。
クリップはよく見ると、片方が太くなっていて、一方からでしか穴のなかに入らない
ようになっている。
たまたま入るのもあれば、悪戦苦闘をする。まるでチンパンジーの実験。
このような作業は、普通の子どもはなんなくやってしまうのだろう。
カボ吉くんはとにかくいたずら坊主。
その度に妻の鉄拳が飛ぶ。
悪いとわかっていてもどうにもならない。
だったら鉄拳が飛ばないようにするしかない。
部屋をフェンスで囲み、おもちゃ以外のものを全て撤去。
そのお陰で、カボ吉の社会体験度はたぶん他の幼児よりかなり少なかったはず。
救いなのは、現在はこのような機会があり、プロの先生が根気よく教えてくれる。
「何があっても最後までがんばるぞ」
と、気合いを入れる父であった。
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