大学は留年すること無く、無事卒業することが出来ました。
大学で勉強した証として教員免許も取得しました。
そして、いざ社会人!!
というのが普通の流れなのですが、そうはならないのがシャケの半生。
お笑い芸人になりたいという夢を小さい頃から温めていたシャケはフリーターになります。
大学の進路調査書に「喜劇王になる」とワンピースのルフィみたいなことを書き、
先生から「これはどういうことなんだ?」と詰問を受けます。
僕の子供の頃は、父親がとにかくバラエティ番組が好きで、
「ドリフ大爆笑」や「俺たちひょうきん族」「元気が出るテレビ」などの
お笑い番組をひっきりなしにみており、自分もビートたけしのようになれると
思っていたことが大きく影響しております。
そんな心から、卒業後はフリーターになりその年の1年間はパントマイムを習い、
次の年は太田プロのお笑い養成所に通うこととなったのです。
友達の中では面白いヤツ。
自分の言っていることで笑いが生まれるし、話す言葉のセンスが違うんだよな 笑
と思っていたので、絶対に売れると思ってこの道に進みました。
しかし、養成所ですら全く笑いが取れないことを知り大変なショックを経験して、
俺って面白くなかったんだ・・・と中学のときの野球部とは別の挫折を味わいます。
だけど、小さい頃の夢をあきらめるのは容易なことではありません。
どうしたら良いのかと思案に次ぐ思案の結果、面白くなるには
演技力を付ける必要があるとおもい、俳優事務所に履歴書を出しオーディションを受けます。
オーディションでは発声練習や自己紹介、台本を渡されてちょっとした演技などを行いました。
全く演技は出来ませんでしたが、俳優事務所もそこは商売。
合格通知を受け取り、
「やったー!!やっぱり俺って他の人には無い輝きがあるんだな!!
ダイヤの原石って結局自らの輝きによって見いだされるんだな!!」
と思い、レッスン初日緊張しながら稽古場に足を踏み入れると
そのオーディションに参加した5人中4人が受かるという、
炭酸の抜けたコーラを口に含んだかのような気分を味わうのでした 笑
それはともかくとして、劇団員として所属することとなり月謝を払いながら
演技の勉強をすることとなりました。
この25歳から30歳までの5年間は劇団の稽古場がある荻窪が生活の中心となり、
駅前のデニーズ(今は無い)でアルバイトをしながら舞台に出たり音響、大道具などの
裏方をやったりと典型的な夢見人をやっていたのでした。
劇団はかなり特殊で月に一回公演を行うというなかなかハードな活動を行っておりました。
なので、ときには1週間連続で平均2時間に満たない睡眠時間で
朝10時に大道具のとても仲のいい先輩(今でも仲が良い)と2人で集まりセットの作成を開始。
13時に稽古を開始。
19時~20時に稽古終了
22時30分までセット作成
23時からデニーズでバイト
8時にバイトが終了しその足で稽古場に向かいしばしの就寝。
また10時からセットの作成
という今では考えられないスケジュールを経験。
この生活が1週間続いたときに27、8の男が泣きながら「うっ、うっ、うっ、寝たいです・・・」
と訴えました。
その姿はまるでスラムダンクの三井くんのようだったと笑いを込めて皆に伝えられたのでした。
しかし、なかなか華やかな世界への道は開くことなく30歳を迎えたため
区切りをつけることとなったのであります。
次は初めての正社員から現在までのかけるところまでを書いていきたいと思います。






