シャケの3年後までに目標を達成するブログ。 -6ページ目

シャケの3年後までに目標を達成するブログ。

「年収3000万円、貯金1000万円、自分のお店を持っている」という目標を掲げたのが11月4日。3年後までに自作のものを販売する雑貨屋を開きたいと思い、日々の活動を綴っていきます。

大学は留年すること無く、無事卒業することが出来ました。

大学で勉強した証として教員免許も取得しました。

 

そして、いざ社会人!!

 

というのが普通の流れなのですが、そうはならないのがシャケの半生。

お笑い芸人になりたいという夢を小さい頃から温めていたシャケはフリーターになります。

 

大学の進路調査書に「喜劇王になる」とワンピースのルフィみたいなことを書き、

先生から「これはどういうことなんだ?」と詰問を受けます。

 

僕の子供の頃は、父親がとにかくバラエティ番組が好きで、

「ドリフ大爆笑」や「俺たちひょうきん族」「元気が出るテレビ」などの

お笑い番組をひっきりなしにみており、自分もビートたけしのようになれると

思っていたことが大きく影響しております。

 

そんな心から、卒業後はフリーターになりその年の1年間はパントマイムを習い、

次の年は太田プロのお笑い養成所に通うこととなったのです。

 

友達の中では面白いヤツ。

自分の言っていることで笑いが生まれるし、話す言葉のセンスが違うんだよな 笑

と思っていたので、絶対に売れると思ってこの道に進みました。

 

しかし、養成所ですら全く笑いが取れないことを知り大変なショックを経験して、

俺って面白くなかったんだ・・・と中学のときの野球部とは別の挫折を味わいます。

 

だけど、小さい頃の夢をあきらめるのは容易なことではありません。

 

どうしたら良いのかと思案に次ぐ思案の結果、面白くなるには

演技力を付ける必要があるとおもい、俳優事務所に履歴書を出しオーディションを受けます。

オーディションでは発声練習や自己紹介、台本を渡されてちょっとした演技などを行いました。

全く演技は出来ませんでしたが、俳優事務所もそこは商売。

合格通知を受け取り、

 

 

「やったー!!やっぱり俺って他の人には無い輝きがあるんだな!!

ダイヤの原石って結局自らの輝きによって見いだされるんだな!!」

 

 

と思い、レッスン初日緊張しながら稽古場に足を踏み入れると

そのオーディションに参加した5人中4人が受かるという、

炭酸の抜けたコーラを口に含んだかのような気分を味わうのでした 笑

 

それはともかくとして、劇団員として所属することとなり月謝を払いながら

演技の勉強をすることとなりました。

 

 

この25歳から30歳までの5年間は劇団の稽古場がある荻窪が生活の中心となり、

駅前のデニーズ(今は無い)でアルバイトをしながら舞台に出たり音響、大道具などの

裏方をやったりと典型的な夢見人をやっていたのでした。

 

劇団はかなり特殊で月に一回公演を行うというなかなかハードな活動を行っておりました。

なので、ときには1週間連続で平均2時間に満たない睡眠時間で

 

朝10時に大道具のとても仲のいい先輩(今でも仲が良い)と2人で集まりセットの作成を開始。

13時に稽古を開始。

19時~20時に稽古終了

22時30分までセット作成

23時からデニーズでバイト

8時にバイトが終了しその足で稽古場に向かいしばしの就寝。

また10時からセットの作成

 

という今では考えられないスケジュールを経験。

 

この生活が1週間続いたときに27、8の男が泣きながら「うっ、うっ、うっ、寝たいです・・・」

と訴えました。

その姿はまるでスラムダンクの三井くんのようだったと笑いを込めて皆に伝えられたのでした。

 

 

しかし、なかなか華やかな世界への道は開くことなく30歳を迎えたため

区切りをつけることとなったのであります。

 

 

次は初めての正社員から現在までのかけるところまでを書いていきたいと思います。

大学に入学した7月にアルバイトを始めた。

初めてのアルバイトは新宿の居酒屋でホールの仕事でした。

 

それまで面接は2~3カ所コンビニを受けていたのですが、

どこも雇ってもらえずいきなり社会の厳しさを味わった気がしました。

 

なので、雇っていただいた店長には非常に感謝をしました。

 

後に話を聞いたら、

「正直使えるか使えないかと言えば厳しいと思ったんだけど、

素直さがあったから時間をかければ何とかなると思った 笑」

とのこと。

 

なかなか、見る目があるじゃねーか、内田店長!!

 

その言葉通り、使えるようになるには時間がかかりました。

 

普通の人が1月も経てば出来るようになることが3ヶ月経っても出来なかったり、

ようやく慣れてきて宴会コースの担当になったときには、

2時間という時間で決められたコース料理をテーブルの様子を見つつ時間を気にしながら

自分で厨房にお願いして出していくのですが、

他のことに一生懸命になり過ぎて、時間内に出し切れなかったり、

時には出し忘れてしまったりと毎日のように迷惑をかけていました。

 

板長には

「ヒロシ、お前が一生懸命なのはわかるけど、先ずは他のことに手を出さずに

やるべきことをしっかりとやることに一生懸命にならないとダメだぞ」

という言葉を飽きること無く、出来るまで声をかけていただいたことが

今思うと本当に有り難いことでした。

 

 

板長は僕のことを大変かわいがってくれて、今でも大変お世話になり、

ずーっと心にある人の中の一人なのです。

 

 

後に僕が就職した飲食店で店長をやったときに、素直だけど出来ない子の面倒を

みたくなる性格になったのも、このように有り難い人間関係を経験してきたこと、

自分に労力をかけてくれた方々のおかげなのだと思います。

 

 

結局、この居酒屋では4年7ヶ月働き、大学を卒業してフリーターになってからも1年間働いたのでした。

 

 

そして、学生時代は歌手のaikoさんが大好きになり、毎日のように聞いては鼻歌まじりで歌っていたので

これらの思い出や、当時の知り合いにあったりすると「花火」「カブトムシ」「桜の時」という歌の記憶が

よみがえってくるのであります。

 

 

さてさて、そんな私はなぜフリーターになったのかは次のブログに書くことにします。

ではではまた。

1年の浪人を経て日本大学の国文学科に進学することになるのですが、

正直特に文学を学びたいということではなく、受かりそうなところを立て続けに受けて受かった

大学の中の1つが本学科だったのでした。

 

ただ、大学時代は高校までに比べて色々な「初めて」を体験した時間となりました。

 

1 初めて接客仕事を学んだ

2 初めて海外旅行に行った

3 初めて自分のやりたい将来を意識した

4 初めて本が好きになり、自分のお金で本を買うようになった

5 教員免許を取った

 

などがあります。

 

学校ではすごく仲のいい3~4人のグループを形成しており、ほぼ休むことなく毎日出席していました。

国文科での勉強で、いまだに残っているテキストは2つ。

宇津保物語の変体仮名バージョンと書道のテキスト。

 

宇津保物語

 

書道のテキスト

 

当時は勉強していたので変体仮名が読めました!!

現在再度勉強中です。

 

そして、教員免許も取得するために教育実習に行ったりと

文章で書くと勤勉な学生の雰囲気がありますが、

成績は並以下の普通以下の学生でした 笑

 

教員免許のための授業の期末試験の当日に寝坊をしてしまい、危うく単位を落とすという危機もありました。

 

学校への道のりが丁度1時間あるにも関わらず、起きたのは試験開始10分前!!

間に合うはずもなく、焦りと絶望でカバンを手に取っては、まずは着替え、いや、寝癖を直して・・

などメチャクチャな動きをしていると母から

 

「とりあえず学校に連絡したら?」

 

といわれ、あ、そうか!!と電話を取り、慌てて学校に連絡。

 

「ちょっと体調が悪くて・・・」

 

と咄嗟の言い訳をして、なんとか再試験を受けようとすると事務の方から

 

「では、病院に行って診断書をもらってきてください、それがないと再試験は受けられないので、お願いしますね」

 

と言われてしまう始末。

 

とりあえず病院に行き、仮病の診察を受けることとなります。

診察がまた下手くそな会話の連続 笑

 

医者「どこが痛いんですか?」

シャケ「えーっと、今は痛くないんですけど、さっきまではここら辺(左腹部)が・・・」

医者「そうですか、(触診しながら)ではここら辺はどうですか?」

シャケ「んーっと、今は痛くないんですけど・・・、この部分はさっきもそんなに痛くなかったと思いますが・・・」

医者「他は痛いところはありましたか?」

シャケ「んーっと、無いと思うんですけど・・・さっきはこの辺(左腹部)が痛かったんですが・・・」

医者「??」

 

嘘は嘘を呼ぶとはまさにこのこと 笑

苦しいやり取りののちに「急性腸炎」の診断書をもらい、なんとか再試験を受け

無事単位を取ることが出来ました。

 

思い出せばこれも最初で最後の「初」仮病診断書でした 笑

後にも先にもこれ1回のみ!!

 

 

また、上で様々な「初」の中に挙げた「海外旅行」はフランスでした。

 

当時一番仲の良かった柴田くんと一緒に1998年のサッカーW杯を観にフランスへ。

日本のW杯初出場ということもあり大変盛り上がったのですが、

同時に起こってしまったのがチケット問題でした。

 

当時、いくつもの旅行会社が観戦ツアーを企画していたのですが、

チケットの発行ミスか転売問題かでお金を振り込んだ後にも関わらず

いくつものツアーが中止になってしまうという事態になり、

社会問題にもなりました。

 

運が良いことに僕らが申し込んだツアーは

チケットが獲れて無事観戦出来ることとなりました。

 

試合はクロアチア相手に0-1の敗戦となり、残念な結果となったのですが、

有名な観光地はほとんど訪れたり、外国の言葉を使ってコミュニケーションを取ったり、

電車に乗ったりと外国の文化に触れることが出来、とても良い経験となりました。

 

クロアチアの人たちとの1枚

 

エッフェル塔をバックにセーヌ川にて

 

長くなってしまったので、初めての接客仕事は次のブログに書きたいと思います。

 

初の接客仕事は居酒屋でのアルバイトだったのですが、

これも大きな経験となったので、次回はこれだけを書きます。