テレビ業界で働くという夢を追い続けて、なんとかリサーチ会社に就職することが出来たのが
2011年2月のことでした。
リサーチ会社というのは、様々なテレビの企画に沿ってロケ地を探し出したり、
面白そうでまだ世に出ていないような話題を探してきたり、
時には企画に合った人を探す(例えばちょっと特徴のある大家族だったり)
というような仕事をする会社でした。
作家のさらに裏方みたいなイメージでしょうかね。
作家は企画を考える人たち。
その企画を作り上げる為に裏側をコーディネートするというとても大切な役割です。
正直、やりたいこととは若干違うと思ったのですが、
何かしらに携わっていれば、企画などにも加わることが出来たり、
もっとすればそっちの方に行けるのではないかという淡い期待を抱いて入社しました。
ところが、考えるということよりも大切な能力はリサーチャーとしての能力。
ブログを始め、ミクシィ、その他様々なSNSに精通していたり、幅の広い検索能力や、
長年蓄積された友達の数、また企画の意図を先の先まで理解して探し続ける忍耐力などが
能力として要求されます。
僕にはその能力がイマイチ弱かった。
さらに入社した1ヶ月後に起こったのが東日本大震災。
このときにテレビ業界はかなりのダメージを負ってしまうこととなり、
会社は金銭面に関してかなり大変だったみたいです。
そんな状況だと、能力の低い人間を雇うような余裕は無くなるのでしょう。
日に日に社長や周りの社員さんからの当りは厳しくなっていき、
とうとう強制的な自主退社を強いられることとなりました。
正直泣きました。
今となっては、結局その会社でも芽は出なかったであろうから
これも見切りをつける為の有り難いご縁だったと思います。
しかし、当時の私には大変ショックな出来事で、
何もかもやる気の出ない日常を過ごすこととなりました。
だが、仕事はしなければなりません。
3月末にクビになり無気力になった僕は1ヶ月ニートとなりましたが、その年の5月に
「とりあえずしっかりとお金を稼げる仕事をしよう」
と思い、神奈川の藤沢にある自動車工場で期間工として働くことにしました。
仕事内容は8キロ~12キロくらいの重さがある鉄の丸いかたまり、
直径50センチくらいのまるで昔のお金のようなものを7~10台の機械を使って切削し、
ギアを作るという単純作業。
機会は左右両サイドに4〜5台ずつ並べられており
1 それぞれ表面を削る機械
2 溝を作る機械、
3 ギザギザを作る機械
4 細かくバリを取る機械
5 さらに磨きをかける機械・・・etc
などを順番に使っていきます。
これを1年2ヶ月やりました。
その後、東京都青梅市の瀬谷という所に移り住み、別の自動車工場に9ヶ月。
こちらではアンダーカバーという部分の取り付けを流れ作業で行いました。
この作業はとてもキツかった・・・
車は前から流れてくるのですが、僕は車の下のカバーを付ける係なので、
車は僕の上を通過していく形になります。
先ず、僕はかなり重いカバーを持ちます。
流れてきた車は僕の前辺りになると、まるでUFOキャッチャーのアームのような物(とても丈夫です)
で持ち上げられます。
そのまま上を流れていく間にカバーを溝に引っ掛けて、ボルトとナットを使って組み付けていきます。
このボルトの個数が足りなかったり、逆に多く手に持ってしまい車のどこかに落としてしまうと
不良品となってしまう為、その場でストップしなければなりません。
常に同じ動きで同じことをやります。
多いときでは1日350台くらいやってました。
カバーがとても重く1ヶ月経たないうちに右手の中指と薬指が腱鞘炎になりました。
いやーホントにキツかった 笑
しかし、この約2年の期間は労働時間が決まっているため休みはしっかりと
取ることが出来、初めて自分の生活に余裕の時間が生まれました。
そこで始めたのがちょっとした工作でした。
そこから少しづつ物を作るということを覚え始めるのでした。
この時すでに35歳を迎えていた私。
社員として働いているわけでもなく、ずーっと雇ってもらえる保証も無い。
真剣に将来を考えなければと思い、再度就職活動をと思い始めるのですが、
この年になると就職にも制限が出てくる上に、履歴書には書けないほどの経歴(笑)
を持っている人間を取ってくれる会社などなかなかありません。
ここまで長期短期含め25種類くらいの仕事をやったという事実は変えようが無い!! 笑
そのなかでもこの半数くらいが飲食であったため、
面接に行くことが出来れば何とかなる業種だと思い、
この道での就職を決意するのでした。
次回は人生での最も大きなターニングポイントとなった
飲食店の仕事に就いた話をしたいと思います。
