シャケの3年後までに目標を達成するブログ。 -5ページ目

シャケの3年後までに目標を達成するブログ。

「年収3000万円、貯金1000万円、自分のお店を持っている」という目標を掲げたのが11月4日。3年後までに自作のものを販売する雑貨屋を開きたいと思い、日々の活動を綴っていきます。

テレビ業界で働くという夢を追い続けて、なんとかリサーチ会社に就職することが出来たのが

2011年2月のことでした。

 

リサーチ会社というのは、様々なテレビの企画に沿ってロケ地を探し出したり、

面白そうでまだ世に出ていないような話題を探してきたり、

時には企画に合った人を探す(例えばちょっと特徴のある大家族だったり)

というような仕事をする会社でした。

 

作家のさらに裏方みたいなイメージでしょうかね。

作家は企画を考える人たち。

その企画を作り上げる為に裏側をコーディネートするというとても大切な役割です。

 

正直、やりたいこととは若干違うと思ったのですが、

何かしらに携わっていれば、企画などにも加わることが出来たり、

もっとすればそっちの方に行けるのではないかという淡い期待を抱いて入社しました。

 

ところが、考えるということよりも大切な能力はリサーチャーとしての能力。

ブログを始め、ミクシィ、その他様々なSNSに精通していたり、幅の広い検索能力や、

長年蓄積された友達の数、また企画の意図を先の先まで理解して探し続ける忍耐力などが

能力として要求されます。

 

僕にはその能力がイマイチ弱かった。

 

 

さらに入社した1ヶ月後に起こったのが東日本大震災。

 

 

このときにテレビ業界はかなりのダメージを負ってしまうこととなり、

会社は金銭面に関してかなり大変だったみたいです。

そんな状況だと、能力の低い人間を雇うような余裕は無くなるのでしょう。

日に日に社長や周りの社員さんからの当りは厳しくなっていき、

とうとう強制的な自主退社を強いられることとなりました。

 

 

正直泣きました。

 

 

今となっては、結局その会社でも芽は出なかったであろうから

これも見切りをつける為の有り難いご縁だったと思います。

しかし、当時の私には大変ショックな出来事で、

何もかもやる気の出ない日常を過ごすこととなりました。

 

 

だが、仕事はしなければなりません。

 

 

3月末にクビになり無気力になった僕は1ヶ月ニートとなりましたが、その年の5月に

「とりあえずしっかりとお金を稼げる仕事をしよう」

と思い、神奈川の藤沢にある自動車工場で期間工として働くことにしました。

 

仕事内容は8キロ~12キロくらいの重さがある鉄の丸いかたまり、

直径50センチくらいのまるで昔のお金のようなものを7~10台の機械を使って切削し、

ギアを作るという単純作業。

 

機会は左右両サイドに4〜5台ずつ並べられており

 

1 それぞれ表面を削る機械

2 溝を作る機械、

3 ギザギザを作る機械

4 細かくバリを取る機械

5 さらに磨きをかける機械・・・etc

 

などを順番に使っていきます。

これを1年2ヶ月やりました。

 

 

その後、東京都青梅市の瀬谷という所に移り住み、別の自動車工場に9ヶ月。

こちらではアンダーカバーという部分の取り付けを流れ作業で行いました。

 

 

この作業はとてもキツかった・・・

 

車は前から流れてくるのですが、僕は車の下のカバーを付ける係なので、

車は僕の上を通過していく形になります。

 

先ず、僕はかなり重いカバーを持ちます。

流れてきた車は僕の前辺りになると、まるでUFOキャッチャーのアームのような物(とても丈夫です)

で持ち上げられます。

そのまま上を流れていく間にカバーを溝に引っ掛けて、ボルトとナットを使って組み付けていきます。

このボルトの個数が足りなかったり、逆に多く手に持ってしまい車のどこかに落としてしまうと

不良品となってしまう為、その場でストップしなければなりません。

 

常に同じ動きで同じことをやります。

 

多いときでは1日350台くらいやってました。

 

カバーがとても重く1ヶ月経たないうちに右手の中指と薬指が腱鞘炎になりました。

いやーホントにキツかった 笑

 

 

しかし、この約2年の期間は労働時間が決まっているため休みはしっかりと

取ることが出来、初めて自分の生活に余裕の時間が生まれました。

そこで始めたのがちょっとした工作でした。

そこから少しづつ物を作るということを覚え始めるのでした。

 

 

この時すでに35歳を迎えていた私。

 

 

社員として働いているわけでもなく、ずーっと雇ってもらえる保証も無い。

真剣に将来を考えなければと思い、再度就職活動をと思い始めるのですが、

この年になると就職にも制限が出てくる上に、履歴書には書けないほどの経歴(笑)

を持っている人間を取ってくれる会社などなかなかありません。

 

ここまで長期短期含め25種類くらいの仕事をやったという事実は変えようが無い!! 笑

 

 

そのなかでもこの半数くらいが飲食であったため、

面接に行くことが出来れば何とかなる業種だと思い、

この道での就職を決意するのでした。

 

 

次回は人生での最も大きなターニングポイントとなった

飲食店の仕事に就いた話をしたいと思います。

世の中、不安だらけで気持ちが暗くなってしまうと思いますが、

こんなときこそ、掃除をしましょう。

 

コロナ離婚なんて言う言葉もあるみたいですが、

旦那様は家にいる時間家族に協力する時間を作ってみては如何でしょうか。

 

体を動かして、家庭に協力すればきっとそんな言葉も出ないはず

 

いや、私は未婚でありますが www

 

お金を使わず、気持ちが明るくなりますよー!!

 

30歳になり、劇団を卒業。

バイトで働いていたデニーズも辞め、初めて会社に就職することになりました。

 

 

 

初の就職は小さな企画会社。

「小さな会社」ではあるものの、山梨にある大型テーマパークにあるお化け屋敷のプロデュースをしていたり、

大手通信会社と繋がりがあったりと、なかなか楽しげな仕事をしている会社でした。

 

しかし、働いたのは1年間。

そして、毎日怒られていた記憶しかありません。

営業職とは言うものの、常に社長にくっついて行くだけで

自分からプレゼンを行ったり、仕事を取ってくるようなことはありませんでした。

 

会社の需要と自分の能力がマッチしなかったのでしょう。

 

会社は即戦力として利益を生み出す存在が欲しかったようなのですが、

初の就職と営業ということで、とにかくどんなことをしたら良いのかが分からないまま

ただただ怒られ、ストレスがたまりました。

 

 

 

自分には向いてないと思うと同時にやはり華やかな業界で働きたいとの思いで、

今度はとある省庁の中にある食堂のお蕎麦屋さんで社員として働きながら、

ワタナベエンターテイメントの作家養成教室に通って作家を目指すこととなりました。

 

養成所では面白い企画もいくつか生み出し、評価も悪くありませんでした。

 

そして、卒業プレゼンでワタナベエンターテイメントと作家事務所から評価を頂き、

両事務所への最終プレゼンの機会を頂くこととなりました。

 

しかし、両方とも後一押しのところで能力が足らず、思うような評価を得ることが出来なかったため、

大きな失意とともに1年間を終えることとなるのですが、その後もTV関係の会社への就職活動を続け、

小さなリサーチ会社に就職することとなったのです。

 

 

 

省庁のお蕎麦屋さんで働いたのは約1年でありましたが、1日1200食分のお蕎麦を打ち(手打ちではない 笑)

季節に合わせて1滴の水分量を調整出来るほどの腕前になっていたため、大変惜しまれましたが退職しました。

店長には最後まで面倒を見ていただき、大変感謝の気持ちで一杯でしたが、自分を通すことにしました。

 

そして、いよいよ末端ながら華やかと思われる業界で働くこととなったのです。

 

これは2011年2月のことでした。

 

次回は「リサーチ会社を3ヶ月でクビになる」です。笑