伝える | 学生団体S.A.L. Official blog

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慶應義塾大学公認の国際協力団体S.A.L.の公式ブログです。

伝える。中国でこのたったの一つのことに、私は苦労をした。

正直、人と話すのは疲れる。言語自体はあまり関係ない。大体人が言いたいことはそのときの状況と雰囲気で察しがつく。言語はあくまで媒体であり、一番重要なのはその媒体を使う人たちだ。そう考える私は、人と会話することを過剰に意識するのかもしれない。だから話すのは、疲れる。

だが、いくら媒体といえ、現地を訪れるとやはり中国語を理解したい気持ちになる。そちらの方が圧倒的に楽で効率的だからだ。

中国語は、一言で表すと強烈。語調や訛りも強く、地域によっては全く通じないこともある。今まで訪れてきた国の中で、最も苦労した。唯一の救いは中国の漢字文化。日本の漢字とは異なるといえど、旅の途中で漢字がヒントとなり助かったこともある。

旅の途中、私は中国の歴史博物館を観光の一環として訪れた。最初は展示を見ながら楽しんでいたが、最後はお土産コーナーで埋め尽くされていた。あからさまな商売精神に少し嫌気がさし、私は団体から一時はずれ、外の広場でツアーが終わるのを待つことにした。

休憩している間に、中国で撮った写真をカメラで確認していると、一人の少年が目の前に現れた。どうやらカメラに興味があるらしい。中国語は話せないので、カメラを私は指で指し、撮ってよいかとジェスチャーで頼んでみた。その後彼は、どこかへ走りながら立ち去っていった。撮られるのは嫌なのかと、少し落胆していたら、彼は目の前にサッカーボールを持ちながら満面の笑顔でまた現れた。

彼の写真を一枚撮った。とても素敵な笑顔を持つ彼のポートレートを確認した時、私は何故か幸せな気分だった。

こんな言葉がある。

“A portrait is not made in the camera but on either side of it.”

「人物写真はカメラが映すものではなく、被写体と撮影者の関係により映し出される。」

これはファッション写真の先駆者である、エドワード・スタイケンの言葉だ。

私はこのとき、言語という壁を乗り越えた気がする。写真という媒体を用い、少年と心が通じたように感じた。

中国という国を訪ね、人として大切なことを再確認できた。

あの少年は、明日も広場でサッカーボールを蹴って遊んでいるのかと、ふと夜中に考える。

少年


文責:広報局1年 岩永陸