夜のミッキーマウスは昼間より難解だ。谷川俊太郎の詩の一文である。ミッキーマウスというネズミは世界のアイドルとしてあらゆる液晶に登場し、人々を熱狂させてきた。ただミッキーマウスも人々には昼間の顔しか見せない。アイドルとしての仕事を終えた彼はいったい何をしているのだろうか。普通のネズミのように薄汚い排水溝を夜な夜な駆け回っているのかもしれない。人はだれでも裏と表がある。世界は本音と建前でできているのだ。
今、日中関係は冷え切っている。秘密保護法による日本の右傾化、やまない反日デモ。問題は山積している。ところが、僕が実際に中国に来て反日の実態に疑問が生まれた。話しかける人は皆、中国語の会話もままならない外国人に優しく答えてくれる。自分が日本人(リーベンレン)であることを伝えると、何を言っているのかは分からずとも嬉しそうな感じが肌に伝わる。私たちはナショナリズムという言葉の絶対的な正義感に踊らされてきたのではないか。
ただ中国は複雑な国だ。共産党一党による社会主義を歌いつつ、資本主義を取り入れ発展している。漢民族と少数民族が対立し共生している。たかだか二十日の旅で中国を知るには難しすぎた。たしかに表向きは日本人に対して優しい。しかしこれが本音なのか建前なのかすらわからない。少し話をして優しかったからいわゆる反日は嘘だと断定することはあまりに短絡的すぎる。日中の関係は想像を超えて深い。両国は近すぎて遠いのだ。中国人にリーベンレンと言われた時のあの期待と恐怖には、言葉にできない独特なものがある。お互いがお互いを「パンドラの箱」扱いして深く立ち入らなければ何も改善しない。
この旅で北京大学の学生とお話する機会があった。その時ある女子大生が日中関係についてこう言っていた。「お互いが知られるのを待っていてはいけない。相手を知ろうとしなければならない。」その言葉が心に刺さる。私たちはどうも自らの主張に絶対的な自信があるように思える。世界はトレードオフだ。靖国問題、尖閣諸島、戦争責任、何かを改善しようとすれば何かに悪影響が及ぶ。自分の主張だけでなくむしろ相手の主張を理解しなければ自分の意見は伝わらない。中国の表面をなぞって騒ぐのはやめにして、中国の昼の顔も夜の顔も探っていきたい。いつの日か、あの強い語調も焼き付けるような赤色も違う角度で捉えられることを願いながら。
文責 企画局二年 射場一晃